多田部長の家庭力アップ講座。
愛が子どもに届くためには、3段階があるといいます。
その1段階目、
愛することで「個性真理体」を確立するという内容を
お伝えしています。
昨日の続きです。。。
☆
では、どうしたら愛が子供に届くのでしょうか。
第一に、親があるがままの子供自身を受け止めて、
愛してあげることが大切です。
親が、自分の理想に沿って子供を助けすぎると、
親の望む子供というものを教えるだけになってしまい、
「親にとってのいい子」になってしまうのです。
☆
第二に、自分の願いに答え、欲求を満たしてくれる人がいる・・・・
この安心感こそが、子供の人生を支える愛の始まりになります。
よく抱いて肌を触れ合うこと、笑顔でやさしく目を見て話しかけること、
よく一緒に遊んであげること、無条件にかわいがることが必要です。
☆
第三に、肯定的な言葉や思いをたくさん書き込まれた子供は、
自分に対して肯定的なイメージをもつことができます。
そして、自分を好きになることができるのです。
☆
第四に、甘えを受け入れることです。
子供は大きくなるに従って、どんどん具体的な問題を抱えるようになります。
友達からいじめられたとか、先生から叱られたとか、
集団生活の難しさを感じた入りします。
すると家に帰れば、「あのね……」と子供は、親に問題を話そうとします。
それは、子供の「甘え」です。
安心感を得たから話そうとするし、
心の痛みを癒そうとして話そうとするわけです。
またそれが、子供の自立の準備となります。
そして、親が「甘え」を受け入れることによって、
子供の欲求に答えて必要な心の支えができるようになるのです。
「甘え」を受け入れるということも、
やはり子供の話を共感するということになるのです。
☆
例をひとつ紹介します
「今年のお盆に親戚と家族が集まりました。
しかし、高校二年生の甥はなぜか一人だけ別の部屋で携帯電話を離さず、
私たち家族と話をせずに一人でぽつんと座っていました。
彼は髪の毛を赤っぽい色に染め、口と耳にピアスをはめていました。
高校生でありながらタバコも吸い、親のいうことも聞かず、
小さい頃の無邪気で純粋な面影はありませんでした。
彼のそばに座っていると、彼は英語がとても好きで、
もっと上達したいと言ってきました。
そこで、私が英語を好きになったきっかけや
上達の秘訣などを話してあげると、
彼はとても興味を示してきました。
そしてお互いに英語で話し合い、彼の英語の発音を認めてあげました。
そしてさらに交流が深まっていくと、
彼の今の生活、これからの生き方などにも話が及びました。
そして私はタバコをやめること、
結婚するまでは男女関係をもたないことなどまで話しました。
驚くことに彼は素直に話を聞き、
今の生活を正しい方向に変えていくように努力することを約束しました。
そして、家族のいる部屋に一緒に行き、話に加わりました。
そこで彼が実は私を尊敬しており、
私のように英語を話せるようになりたいと思っていたことを
皆の前で話したときは本当に驚きました。
その日、早速、彼はピアスを全部外して捨て、
髪の毛を元通り黒く染めたのです。
あまりの彼の変化に家族は驚くとともに、
私が彼に対して及ぼした影響に驚きました。
彼はその後、実家に帰ったあとも私と英語でメールをやりとりしています。
また息子の教育に手を焼いていた妹は、
聞くことの重要性を理解してくれました。
彼は長い髪の毛を短く切り、その写真を送ってきました。
私は、自分の観点で彼を裁くような目で見ていましたが、
実は彼がこんなに純粋であること、
そして変わりたいと願っていることを知らされ、
決して表面的に判断してはいけないことを知らされました。
そして少しの時間でも話を聞いてあげるだけでも
こんなに変わるのかと自分ながら驚きました。」
☆
口(くち)ピアスの甥御さん。
見た目では本当にひいてしまうような子ですが、
証しの方は、愛する心情で、接していったのでしょう。
そんな心を彼も察知して、心を開いていったのだと思います。
私は神の子であり、
子供も神の子なのだ。
子供を愛し、育てることを通して、
私も神様から愛され、育てられているのだ。。。
そんな風に感じさせられています。
この道に出会い、
真の父母様を通して、
理想の家庭のあり方を示され、
家庭の重要性を教えていただいたことが本当に感謝です。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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