先週の日曜日。
私たち家庭連合にとっては、安侍日の聖日でしたが、
キリスト教にとっては、特別な一日でした。
ご存知の方も多いと思いますが、
復活祭の一日でした。
春分の日から最初の満月の日の次の日曜日、
その日が復活祭(イースター)です。
真のお父様が、数えの16歳、
イースターの朝にイエス様と出会われました。
ちなみに、昨年の記事に掲載しましたが、
イエス様と会話されたお父様は、
何語で話されたのでしょうか?
正解は、韓国語です。
イエス様と出会われたお父様は、
イエス様の使命を継承し、
ご自身を犠牲にされ、
神様と人類のために全生涯をかけて歩まれました。
そんなお父様のようにどれだけ歩めているか。。。
まだまだ足りない私であると感じざるを得ません。
☆
私たちは、真の父母の歩みを継承する立場です。
神霊と真理に満ちた存在となっていくために、
何より大切なものが何かと言えば、
祈りと訓読だといいます。
そして、為に生きること、
真の愛の実践、伝道(氏族メシヤ活動)を通して、
更に復活し、天の願いに答えていくのです。
祈りや訓読は、すればするほど復興するはずですが、
逆に、それがないと、どうなるかというと、
ますます祈りたくなくなり、
み言も求める思いもなくなり、
人を愛したり、み旨に燃える気持ちも薄れ
不信仰の悪循環になっていきます。
祈り、訓読、為に生きる愛の実践、伝道。
やればやるほど、もっとやりたくなり
やらなければやらないほど、全然したくなくなります。
ちなみに、家庭連合のメンバーである私たちが
どれだけ訓読会をしているかどうかの報告では、
できている家庭が、あまりにも少ないということです。
貴重なみ言、その恩恵を広げていく立場ですが、
それ以前に、私たちが訓読の時間を待ち望んで
み言に酔いしれるぐらいになっていてもいいはずですが。。。
☆
さて、クリスチャンの友人と話す機会がありました。
復活祭の話などをしながら、
聖句のことに話題が移り、
「聖書はどのくらい読んでおられますか?」
そのように質問されて答えに窮しました。
「講義の時とか、説教の時、聖句を用いるときに読むくらいで
正直、精読することはあまりないですね。。。」
彼は、毎日時間をとって、必ず10ページ以上は聖書を精読するそうです。
私の答えに、少しがっかりした様子でした。
毎朝の訓読会においても、
条件的に読む時があったりして、
本当に申し訳ない限りです。
彼がイエス様を愛し、聖書を愛する心情と
私が真の父母様を愛し、み言を愛する心情を比較しても、
もちろん、ページ数で比べることができるわけではありませんが、
話をしていても、まだまだ足りないな。。。
そのように感じざるを得ませんでした。
イースターにイエス様に出会ったお父様のごとく、
もっともっと真の父母様を求めて
父母様の願いに応えられるように、
日々の精誠が重要であると感じさせていただきました。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)