この原理講論は、早く出して、
みんな一生懸命勉強するように
しなくちゃなりません。
劉孝元先生
みんな一生懸命勉強するように
しなくちゃなりません。
劉孝元先生
☆
家庭連合(旧統一教会)の誇るべきものの一つが
原理であり、み言です。
昨日、真のお母様が釜山に行かれた様子を紹介しました。
ご存知のように、真のお父様が原理原本を執筆されたのが釜山でした。
原理を解明されたお父様に感謝しつつ、ネットを検索していたら、
日本版原理講論発刊40周年の証しを見つけました。
お父様が書き上げられた原理原本を元に
劉孝元先生が原理講論を書かれますが、
それが日本語になるまでの経緯はあまり知りませんでした。
また劉孝元先生についての証しが興味深いので
少し編集して掲載します。
☆
『原理講論』を日本語に翻訳する経緯については、
「成約週報」第141号「原理講論事始め」の中で、
野村健二先生は次のように記しています。
「劉孝元先生じきじきの指導のもと、
原理講論の翻訳が開始されたのが、
1967年7月2日。
奇しくも3ヵ月目の10月2日、統一教会創立記念日に、
紙の香りも真新しい600余頁(ページ)の汗の結晶が、
父のみもとにささげられる運びとなった。
われわれは、たかだか汗を流しただけであったが、これが著されるまで、
どれだけ多くの血と涙が費やされたかということを考えると、
ただ感無量である。
最初の3週間ばかりは、李貞玉先生と張泳暢先生の
大変な努力によって下訳された原稿に、めいめいが手分けして手を入れ、
それを劉先生と他のメンバーの前で読み上げ、誤り、
もしくは稚拙と思われる個所を指摘していただき、
さらに書き改めるという方法で原稿を整え、
最後に野村がそれらすべてに目を通して
加筆添削するというやり方で仕事を進めた。
☆
その間、劉先生の真理に対する厳しさと、子供のような純真さ。
半身がほとんど動かないという肉体的な悪条件を、
ものともせずに闘ってこられたこの偉大な、
しかし、極めて親しみやすい人格と日夜触れえたことは、
本当にうれしいことであった。
『ここの個所が分かるまでにわたしは2年かかりました。
ここは半年かかりました』
と淡々として語られるのだが、それを聞いていると、
実にさりげなく書き下ろされているように見える。
しかし、ほんの五、六行の章句の陰に、どれだけ多くの血をしぼるような
苦しい思索があったかということが、しみじみと思わされるのである。
『この原理講論は、くれぐれも早く出して、
みんな一生懸命勉強するようにしなくちゃなりません。』
劉先生のあの懐かしいなまりが、今日も耳に響いてくるような気がする。」
☆
『原理解説』と『原理講論』をまとめられた劉孝元先生は、
平安北道定州郡に生まれ、1953年12月に入教。
劉孝元先生は、真のお父様が直接書かれた「原理原本」を読み、
真のお父様に会われる前に、このみ旨の道を歩むことを決意します。
韓国統一教会の草創期、劉孝元先生は3年8ヵ月間(または3年半)
1日16、18時間、毎日講義をした記録があります。
☆
小山田秀生先生は、1967年の「原理大修練会」について、
次のように語っています。
「1967年6月12日に、真の父母様と三人の子女様と
韓国の先生がた(10人)が来日されました。
『原理大修練会』では、真のお父様は劉孝元先生が講義する横におられて、
ポイントごとに解説されました。
真の父母様ご一行が、羽田空港に到着され、
タラップから降りられたときのことを今もよく覚えています。
真のお父様は孝進様を抱かれて、虎のように堂々としたお姿で
タラップを降りて来られました」
☆
「続いて、杖をついて深刻な顔をして降りて来たのが、劉孝元先生でした。
ところで劉孝元先生は、総序から再臨論まで
『原理講論』を全部暗記して来られたのです。
劉孝元先生が日本に来るに当たっていちばん心配だったことは、
怨讐の中の怨讐である日本人に会ったときに、
日本人を赦す気持ちになれるかということでした。
劉孝元先生は、食口を見た瞬間、日本人が敵であることを忘れただけでなく、
暗記してきた『原理講論』も全部忘れてしまったと言われました。
そのため、『原理大修練会』では、『原理講論』を読みながら講義されたのです。
いわゆる訓読式原理講義でした」
☆
劉孝元先生はお父様と同年代ですので、
日本語が流暢だったのだと思います。
ですから、日本語の翻訳作業にも携わったのでしょう。
日本人が『怨讐の中の怨讐』とありますので、
詳しいことはわからないのですが、日本植民地時代に
親御さんとか、近しい方、あるいはご自身が
多くの苦難を受けられたのではないかと推測されます。
しかし、食口たちを見て、その恩讐の思いが消えました。
暗記されていた原理も忘れてしまった・・・
何とも興味深いエピソードです。
それだけ衝撃的なことだったと思います。
恩讐を愛されるお父様に近くで侍られながら、
日本人の食口たちに会った時に、
「怨讐の日本人」という思いでなく、
神様を中心とした弟、妹たち・・・
そんな思いを持たれたのでしょう。
その思いに感動して、
み言を忘れてしまったのではないか・・・
そのように思わされてなりません。
このような証しを通しても
『真の愛と真理により、
世界は必ず一つになる』
そのことを教えられているような気がします。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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