2016年04月19日

日本語版の原理講論ができた日! 恩讐を愛して、原理を忘れた劉孝元先生?!



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この原理講論は、早く出して、
みんな一生懸命勉強するように
しなくちゃなりません。

劉孝元先生



家庭連合(旧統一教会)の誇るべきものの一つが
原理であり、み言です。

昨日、真のお母様が釜山に行かれた様子を紹介しました。
ご存知のように、真のお父様が原理原本を執筆されたのが釜山でした。

原理を解明されたお父様に感謝しつつ、ネットを検索していたら、
日本版原理講論発刊40周年の証しを見つけました。

お父様が書き上げられた原理原本を元に
劉孝元先生が原理講論を書かれますが、
それが日本語になるまでの経緯はあまり知りませんでした。

また劉孝元先生についての証しが興味深いので
少し編集して掲載します。


『原理講論』を日本語に翻訳する経緯については、
「成約週報」第141号「原理講論事始め」の中で、
野村健二先生は次のように記しています。

「劉孝元先生じきじきの指導のもと、
原理講論の翻訳が開始されたのが、
1967年7月2日。
奇しくも3ヵ月目の10月2日、統一教会創立記念日に、
紙の香りも真新しい600余頁(ページ)の汗の結晶が、
父のみもとにささげられる運びとなった。

われわれは、たかだか汗を流しただけであったが、これが著されるまで、
どれだけ多くの血と涙が費やされたかということを考えると、
ただ感無量である。

最初の3週間ばかりは、李貞玉先生と張泳暢先生の
大変な努力によって下訳された原稿に、めいめいが手分けして手を入れ、
それを劉先生と他のメンバーの前で読み上げ、誤り、
もしくは稚拙と思われる個所を指摘していただき、
さらに書き改めるという方法で原稿を整え、
最後に野村がそれらすべてに目を通して
加筆添削するというやり方で仕事を進めた。


その間、劉先生の真理に対する厳しさと、子供のような純真さ。
半身がほとんど動かないという肉体的な悪条件を、
ものともせずに闘ってこられたこの偉大な、
しかし、極めて親しみやすい人格と日夜触れえたことは、
本当にうれしいことであった。

『ここの個所が分かるまでにわたしは2年かかりました。
ここは半年かかりました』
と淡々として語られるのだが、それを聞いていると、
実にさりげなく書き下ろされているように見える。

しかし、ほんの五、六行の章句の陰に、どれだけ多くの血をしぼるような
苦しい思索があったかということが、しみじみと思わされるのである。

『この原理講論は、くれぐれも早く出して、
みんな一生懸命勉強するようにしなくちゃなりません。』
劉先生のあの懐かしいなまりが、今日も耳に響いてくるような気がする。」


『原理解説』と『原理講論』をまとめられた劉孝元先生は、
平安北道定州郡に生まれ、1953年12月に入教。
劉孝元先生は、真のお父様が直接書かれた「原理原本」を読み、
真のお父様に会われる前に、このみ旨の道を歩むことを決意します。

韓国統一教会の草創期、劉孝元先生は3年8ヵ月間(または3年半)
1日16、18時間、毎日講義をした記録があります。


小山田秀生先生は、1967年の「原理大修練会」について、
次のように語っています。

「1967年6月12日に、真の父母様と三人の子女様と
韓国の先生がた(10人)が来日されました。

『原理大修練会』では、真のお父様は劉孝元先生が講義する横におられて、
ポイントごとに解説されました。

真の父母様ご一行が、羽田空港に到着され、
タラップから降りられたときのことを今もよく覚えています。

真のお父様は孝進様を抱かれて、虎のように堂々としたお姿で
タラップを降りて来られました」


「続いて、杖をついて深刻な顔をして降りて来たのが、劉孝元先生でした。

ところで劉孝元先生は、総序から再臨論まで
『原理講論』を全部暗記して来られたのです。

劉孝元先生が日本に来るに当たっていちばん心配だったことは、
怨讐の中の怨讐である日本人に会ったときに、
日本人を赦す気持ちになれるかということでした。

劉孝元先生は、食口を見た瞬間、日本人が敵であることを忘れただけでなく、
暗記してきた『原理講論』も全部忘れてしまったと言われました。

そのため、『原理大修練会』では、『原理講論』を読みながら講義されたのです。
いわゆる訓読式原理講義でした」



劉孝元先生はお父様と同年代ですので、
日本語が流暢だったのだと思います。
ですから、日本語の翻訳作業にも携わったのでしょう。

日本人が『怨讐の中の怨讐』とありますので、
詳しいことはわからないのですが、日本植民地時代に
親御さんとか、近しい方、あるいはご自身が
多くの苦難を受けられたのではないかと推測されます。

しかし、食口たちを見て、その恩讐の思いが消えました。
暗記されていた原理も忘れてしまった・・・
何とも興味深いエピソードです。
それだけ衝撃的なことだったと思います。

恩讐を愛されるお父様に近くで侍られながら、
日本人の食口たちに会った時に、
「怨讐の日本人」という思いでなく、
神様を中心とした弟、妹たち・・・
そんな思いを持たれたのでしょう。

その思いに感動して、
み言を忘れてしまったのではないか・・・
そのように思わされてなりません。

このような証しを通しても
『真の愛と真理により、
世界は必ず一つになる』
そのことを教えられているような気がします。



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posted by ten1ko2 at 16:02 | Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする