2016年05月16日

誰が問題児か?! 悪い人に悪いと指摘するのは、悪いこと?! 《金元弼先生》



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「リーダーが問題だ」という人がいますが、
そういう兄弟こそ問題児です。
メンバーの悪口を言うリーダーも
よくありません。
 



金元弼先生の「伝統の源流」
今日は、『尊敬される人と問題児』です。


(お父様がおられた)牢屋の中でも、まだまだ心を悔い改めない人がいて、
同じ部屋の人たちをよく殴ったり、
苦しめたりするという問題の人がいました。

一緒の囚人たちは、「あの人がいなかったらいいのに」
「誰かあの人をやっつけないかなあ」という心をもちながらも、
自分ではどうすることもできないのです。
怖がりながらも、何にも言えないで、
いじめられるままにならなければならなかったのでした。

先生は部屋の人たちの前でその人を呼んで、
「私たちはなぜここに入ってきたのだろうか。
ここでも、こういうことをしてもいいのでしょうか」
と色々お話ししてあげました。

ところがそれ以後、先生は祈ろうとしても祈りが出てきませんでした。
お祈りの道がふさがれ、暗黒の中をさまようような一週間を過ぎて、
一週間後に初めてお祈りができたのです。
その時の喜びの心を述懐しておられました。


善くない人に忠告してあげただけなのに、
なぜそういうことが起こったのでしょうか。

人が悪いことをしたときに、「お前、こんなことをしてはいけない」
と教えてあげるのは、良いことですか、悪いことですか。
百度考えても、それは良いことです。


ところがこう考えてみましょう。

先生にしかられた泥棒というのは、
ちょうど神の前の私というかたちでとらえてみないといけません。

言い換えれば、「善くない人」と「私」がいるとします。
「善くない人」を「私」が見ているとしたら、
私の前にいるこの人は、ちょうど神の前にいる私に当たるということです。

「お前が悪い」と人に忠告して言う前に、
まず神の前の自分を考えなさいということです。
善くないものを見た時、「神様、私はあなたの前でこのように善くない者です」
と自分を省みるのです。

「神はこういう者を許して、愛して、また信じて導いてくださる」
という感謝の心をもたないといけません。
そういう心をもってその人を見るときに、
「あなたが悪い」と言えますか。


例えば、泥棒した者が泥棒に対して、
「お前、泥棒するな」と言えるでしょうか。
このために、先生の心は一週間真っ暗になったことを考えてみてください。

皆様がこのことをよく心得て生活するとするならば、
カイン・アベルという問題は絶対に起こりません。
メンバーから尊敬される人になり、
先生の心、親の心、神の心がよく分かるようになります。


ここに、皆さんが言う問題児がいるとしましょう。

その人を見て、「お前、問題児だね」
「はい、そうです」これこそ問題児です。

神が考える問題児が問題児か、
私たちが考える問題児が問題児か、誰が問題児ですか。
要するに、私が考える人が問題児ではなく、本当の問題児は私です。
私は神から見た問題児なのです。

だから私が皆様にいつも言っているように、問題児だという人が問題児です。

なぜですか。
私は神から見た問題児であるし、私が問題児だという人は、
私から見た問題児であるということで、そこが違うのです。

ですから問題児を考えるときには、私が問題児であるにもかかわらず、
神は許して信頼して復帰摂理の責任を任せ、
私をして神の国を実現させようとしている、その神を考えなければなりません。

兄弟の中には、「リーダーが問題だ」という人がいますが、
そういう兄弟こそ問題児です。


そういう自分を見る時には、
神に感謝の心をもって考えなければいけないのです。

これが先生の教えです。

先生は私たちに教えてくださるときには、
御自身がそういう神を考えながらお話ししてくださるのです。
先生は常に神の心を中心にしていらっしゃることが分かります。
そこが違うのです。

先生から何か言われても、感謝の心が出てくるのは、
そういう動機から教えてくださるからです。


先生がアメリカに来られたときに、
アメリカが国を挙げて反対するのを見て、
どのように考えられたでしょうか。

先生は、「私が、一九四六年の時に、
早く来ていればこんなことはなかったのに、
遅れて来たからこういう目に遭っている」ととらえたのです。


皆さんはよく、「人のために尽くしなさい≒許しなさい」と言います。
誰もがよく分かっているのに、なぜできないのですか。

それは神の心情を中心としないで、自分を中心として考えるからです。
先生は常に神の心を中心にしておられるということを忘れてはいけません。
そういう先生の真の子供になるには、
先生と一体となった心をもっていなければなりません。


メンバーの悪口を言うリーダーも、
自分のリーダーを悪いというメンバーも良くありません。

夫婦の関係も同じです。
自分の奥さんの悪口を言ったり、
旦那さんの悪いことを人に言うくらい悪い人はいません。

メンバーが悪いと言うのは、神の前、真の親の前で
「私はこんなに悪い者です」ということと同じです。

特に復帰摂理路程にあっては、
カインの立場の人はいくらアベルに足りない点があっても、
アベルに対して不平不満を言うとすれば、復帰の道はありません。



リーダーがメンバーの悪口を言う、
また、メンバーが自分のリーダーを悪いという
これは、私達が陥りやすい堕落性によります。
本当に気を付けないといけないと思います。

『カインは、アベルの堕落性を指摘することがありますが、
そのように指摘すればするほど、
自分も倒れることになる。。。

また、アベルはカインに対して、
神様から受けた愛を
付け加えて与えないといけないのだ。。。』

以前、周藤先生から受けた講義で聞いたことがあります。

『すべてが私の問題』
このように捉えるのは、簡単なことではありません。
しかし、それがみ旨だと思って、
取り組んでいきたいと思います。


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2016年05月15日

感謝と忠誠があれば、驚くべき成長、発展ができる!! 《清平での真のお母様のみ言》



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この清平修錬苑を通して、
皆さんがどれだけ感謝し、
天の前に忠誠を尽くすかによって、
皆さん自らが驚くべき
成長、発展が可能です。




週刊ブリーフィングに
清平大役事と日本牧会者研修会の時の
真のお母様のみ言が紹介されています。


2016 天運相続つつじ浄火祭清平特別大役事
天一国4年 天暦4月1日(陽5.7)


愛する祝福家庭、全世界からお集まりの食口の皆様、
今日この場は地上と天上が一つとなった場です。
しかし私たちが行くべき道は世界復帰です。

神様は人類に対する夢があり、人間を創造されました。
しかし人間の堕落は天の父母様の痛みであり、
悲しみであり、恨でした。

それで、堕落した人間を取り戻すための
蕩減復帰摂理歴史が始まりました。

過去二千年前、イエス様当時には
マリヤとザカリヤと、ユダヤ教とイスラエル民族が
一つになれずに、侍ることが出来ませんでした。
イエス様が成そうとされた環境を
作って差し上げることが出来ませんでした。

しかし六千年ぶりに天が探し立てられた、
独り娘の基盤を通して、天は勝利されました。

大母様はその名の通り、大きな母です。
堕落した人類の前に、最も近く、彼らを抱き、
真の父母様の前に出ることを可能にする、
恩賜と恩寵を与えることの出来る大母様です。

そのため、この清平を中心に実体的に
霊肉合わせた役事を始めることが出来ました。
それは真の父母様と一つになっていたからです。

今後皆さんの信仰生活、皆さんの心情基準を高める上で、
この清平修錬苑を通して、皆さんがどれだけ感謝し、
天の前に忠誠を尽くすかによって、
皆さん自らが驚くべき成長、発展が可能です。

皆さん、ここに集まった皆さんは大きな夢を持ってください。

そして真の父母様、私と一つとなり、
必ず天が願われる地上天国、天の父母様を中心とした、
真の父母様を中心とした一つの世界、
73億人類が天の父母様に侍るその日を早めることの出来る、
天一国の誇りある民となるよう祝願いたします。




日本牧会者研修会特別集会
天一国4年 天暦3月30日(陽5.6)


清平で行われる、清平団地について、お父様が、
父母様が計画された夢があります。
それは未来にやって来る天一国の民のためのものです。

現在皆さんは真の父母様と共にある生活をしていますね。
肉身には限界があります。
私がいつまで生きられるかは、天のみがご存知ですね?

しかし皆さんの願い、私の願いがあるならば、
すべてを私の当代で叶えて差し上げたいのです。
天の父母様、真の父母様を中心とした一つの世界。
このような世界はこんな姿であるということを
見せてあげたいのです。

そのように考えたときに、私が天地鮮鶴苑。
真の父母様の全生涯の業績と、
これからの未来の天一国の人々が
どのような人生を生きてこそ、
真の父母様の前に近づくことができるのかを
見せてあげるのです。

天地鮮鶴苑を通して表される、
真の父母様を中心とした一つの世界。
貴いその日のために前進する
今日となることを願います。



清平の大役事において、
真のお母様が主管されるのは、今回が初めてだと聞きました。
そして、名称も聖火式でなく、奉献式になったということです。

清平を中心に霊界がさらに開かれ、
お父様を中心に地上に役事が行われる時であることを信じて、
何よりも地上で歩む私たちの立場が重要であると思うので、
さらに、み旨に励んでいきたいと思います。



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2016年05月14日

これからは希望のみです!! 父母様の願いは私の願い! 《真のお母様のみ言4.23》 



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先日行われた、天地人真の父母様 聖婚56周年記念式。
その翌日の祝勝会で、真のお母様がみ言を語られました。
WEB中和新聞に要旨が掲載されていましたので、紹介します。


母の位置は本当に重要です。

ましてや6000年ぶりに初めて天の父母様が共にされる位置。
天の父母様の夢であり、願いであることを
実体的に成してさしあげなければならない位置。

大変だと思ってもならず、毎日、天の父母様が天地創造をされるとき、
一つの植物、花を創造されて、まことに喜ばれたその心で…。

小さい動物から大きな動物まで創造されるときの喜びと愛。
最後に人間始祖となり得る位置にいるアダムとエバを創造され、
成長過程をご覧になりながら喜ばれたその心。

それは、父よりも母のほうが、さらに感性や表現が豊富だというでしょう。
そのような位置にいる母の責任は重いのです。


「私が地上にいる間に、
天の父母様の願いを成してさしあげる」
という心は(私の中で)ますます大きくなっています。

毎日、私は考え、また現実に創造を続けています。
現実が十分でないためにもどかしいのです。


皆さんが祝福子女であるならば、
真の父母様の前に、
孝子、孝女、忠臣とならなければなりません。

そうしようとすれば責任を果たさなければなりません。

祝福を受けたこと自体だけで生きては、
歴史に名前を残し得ません。
先祖となることもできません。

6000年間、天が探そうとされた人類です。
真の父母によって道が開かれたではないですか。

真の父母様の在世時に、母の在世時に、
このことを完成させなければなりません。
そのためには、皆さん各自が
責任を果たさなければなりません。



私が話したではないですか。
再臨主、真の父母様の顕現は
国家基準で成されなければなりませんでした。

2000年間、準備されたキリスト教には
(天から)何の便りもありません。
何も分かり得ないのです。

それゆえ(再臨主に)協助できる道がありませんでした。

真の父母様が、どん底から出発するしかない環境にあって、
今日、このような基盤を築かれたことに
皆さんは感謝しなければなりません。

幸いにも、真の父母様、真のお母様が地上にいることを
感謝だと思わなければなりません。

毎日の生活が「ありがとうございます」で
出発しなければならないのです。
そうしてこそ発展があります。



私がチョ・ハンヂョ(韓国の歌手)の歌を好むのも、
「欲を一つ捨ててみると、喜びの花が咲く」
そのとおりです。

アダムとエバも自己中心の欲心によって堕落したではないですか。

み旨のために生きる皆さん祝福家庭も同じです。
自己中心的なことは禁物です。

全ての焦点を真の父母様に合わせ、父母様と一心一体、
一つの共同体となって動かなければなりません。

「父母様の願いが皆さんの願いだ」
このようにならなければなりません。



それが、天の父母様の夢を成してさしあげる
実体的な地上天国であり、
そこで暮らしてから行く所が天上天国ではないですか。

私たちが肉身をもって生きる生活は、
永遠の世界で暮らし得る心と体を決定するようになるのです。

誰かの助けを得て無理に上がっていっても、
その環境に合うことができなければ自然淘汰されます。

そのため、天国に行く道には「賄賂」があり得ないという話です。



私が昨日、聖物を分けてあげながら祈祷したではないですか。
一点のサタン世界の痕跡があっても駄目です。
皆さんは知らなければなりません。

皆さん自身が責任を果たさなければなりません。
誰かがしてあげることができません。
二世、三世も同じです。

自分が生まれた目的、その責任を果たさなければなりません。
天国の民としてどのように生きていくべきか。



それで私は切に皆さんに言うのです。

可能な限り早く、私が地上にいる間に、
天の父母様の前に、世界人類の前に真の父母様が顕現されて、
生涯、世界73億人類を思われ、その後代の未来のために、
このような多くの業績をつくられ、見せられ、
成し遂げられた(と知らせること)。

それを私がするつもりです。
ですから、皆さんは決して後れを取ってはならないという話です。


どれくらい生きますか。

皆さんが霊界に行く前に私がいる時に責任を果たしたというのと、
私が霊界に行ったあとに責任を果たしたというのとでは、天地の差です。

それを肌に感じながら一生懸命生きてくれることを願います。
私が記憶し得る皆さんの姿となることを願います。

これが真の父母様の愛です。
分かりましたか。

今や、これから展開されることは希望だけです。



毎日毎日思っていることではありますが、
真のお母様のみ言を通して、
今、真のお母様が地上におられる時、
私たちもともにみ旨を歩めることが
どれほど、尊いことか、感謝でなりません。

そして、「責任を果たす者」になることを
改めて心に刻み、実践する者になっていきたいと思います。

しかし、私の力でできることは微々たるものです。
だからこそ、お母様の語られるように、
「全ての焦点を真の父母様に合わせ、父母様と一心一体、
一つの共同体となって動かなかなければ」ならないのです。



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