私が死んだとしても、
霊界に行きません。
地上で皆さんを指導するでしょう
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霊界に行きません。
地上で皆さんを指導するでしょう
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昨日の続きになります。
可知講師が『イエス様と真の御父様との比較』について
言及されています。
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2000年前、イエス様が地上におられる時は、
誰一人最後まで付いていく者がいませんでした。
イエス様が死後、復活して40日間に
たびたび弟子たちに現れ、指導する中に、
真の信仰に目覚め、悔い改めて50日目に聖霊体験をし、
以降、爆発的な伝道がなされて、2000年間に
世界最大のキリスト教の基盤を築いていきました。
その間に真摯な信仰をもって歩むクリスチャンには、
イエス様が霊的に現れ導いていかれたのです。
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真の御父様の場合においては、地上におられるときに
縦的横的八段階を一つ一つ勝利されることによって、
天一国創建のための真の父母としての責任は果たされたのですが、
人類を代表する弟子たちの責任が果たされず、
基元節までに国を建てることができませんでした。
しかし真の御父様が祭物となり、聖酒式を通して、
弟子たちの過去のすべての悔い改めと
天一国創建に向けての決意を条件として
天一国時代の宣布がなされました。
それゆえ、真の父母様の伝統のみを生活行動の指針とし、
立てられた真の御母様と一体となって歩むならば、
真の御父様自身がいかなる所にも現れ、導いて下さるでしょう。
そしてそのような食口たちを通して神の御旨が成就していくでしょう。
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イエス様は再臨の時について、
「彼はまず多くの苦しみを受け、
またこの時代の人々に捨てられねばならない」
(ルカ、十七・25)
と語られました。
それはイエス様がユダヤ教徒から反対されたように、
再臨主もキリスト教徒から反対されることのみを
予測して言われたのではありません。
イエス様が第二次摂理においてかき集めた弟子たちから捨てられたように、
再臨主も第二次摂理において復帰した弟子たちが不信すれば
捨てられることを予測して言われたのです。
しかし再臨主はいかに捨てられても、
未来において必ず神の御旨を成就させるための祭物となっていかれました。
☆
原理講論には以下の記述があります。
復活したイエスが、霊的洗礼ヨハネの立場から、
復活40日のサタン分立期間をもって
霊的な「信仰基台」を立てられたのち、
悔い改めて戻ってきた弟子たちの信仰と忠節とによって、
霊的な「実体基台」が立てられた結果、
そこで初めて「メシヤのための霊的な基台」が
造成されたのである。
p.431
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完全に勝利されたわけではないといっても、
イエス様の偉業はどれだけ大きかったかわかりません。
その土台があったので、
お父様が「すべて成す」ことができたのでしょう。
本来、イエス様と誰かを比較することもできませんが、
お父様、御父母様の勝利が、そこまで偉大であるということです。
あとは、私たちの責任が残されているのみです。
それでも、御父母様は変わらず投入していかれています。
『悔い改めて戻ってきた弟子たちの信仰と忠節』
クリスチャンの間にペンテコステが起きたのは、
数理的な期間も必要だったと思いますが、
それ以上に内的な精誠も重要だったのだと思います。
今、お父様の聖和3年を経た、
私たちに願われている姿勢なのだと思います。
最後に、真の御父様ご自身が
霊界に行かれたことに関するみ言を
可知講師が抜粋してくださっているので、
それを紹介して終わります。
☆
「いつもこのように先生が導いてあげていては、
先生がいない時はどうするのですか」
(1979.4.15)
「先生が願うことは、
先生を愛する前に神様を愛することです。
…ですから、神様を愛するために、
先生が千里、万里の巡礼の道に出かけたとしても
寂しく思ってはいけないというのです。
皆さんは先生を愛する前に神様を愛さなければならず、
世界人類を愛さなければなりません」
(1969.2.2)
「私にも突然死ぬ日が来るのです。
しかし、私は別の世界で考え続け、働き続けるので、
死などはありません。
…私が霊界に帰る時、私は道を開くことができます。
地上で苦労している者たちを助けることができるのです。
…また霊界では、神の名によって苦労した者たち、
そういう人たちは、霊界でも中心的な立場にいるのですが、
とりわけ歴史上の苦労した聖人たちと一緒にいて、
彼らをまとめ、ひきあげ、
この世界の苦労の解放を早めるのです。
…私は霊界にいても、地上にいても働き続けます。
私が死んで霊界に行ったとしても、
いつでもあなた方に現われてあげましょう。
同じように、同じ伝統をもって、
この地上に完全な神の国を造るまで。」
(1976.9.20)
「私が死んだとしても、霊界に行きません。
地上で皆さんを指導するでしょう」
(2010.8.16)
☆
真の御父様の歩みは、地上におられた時と
霊界に行かれてからと異なるものがありません。
神のみ旨成就のために生きるのみです。
それゆえ、その歩みはまだ終わってはいないのです。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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