2016年05月11日

叱る? ほめる? ホントのやる気を引き出す方法?! 《家庭力up↑講座》



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多田部長の家庭力アップ講座
今日は、「『人のために生きる喜び』を教える」より
「褒めて育てること」と「叱って育てること」です。


私たち親は、子供のやる気を引き出そうとするときに、
どのように接したらいいか分からなくて悩んでしまうことがあります。

そんな時に、子供を「褒めること」を通してやる気を引き出そうとしたり、
時には「叱ること」を通して、
または「ものやお金をあげる」ことでやる気を引き出そうとしたりします。

この三つは、どれも子供に対する外からの働きかけで、
子供のやる気を引き出そうとするものです。
それぞれの事情の中での子供への働きかけですから、
それなりの効果があると思います。

ここではどうしたら、子供の本当のやる気を引き出すことが
できるかを考えてみたいと思います。

本当のやる気というのは、子供自身の中から湧いてくるものであれば、
環境にかかわらず子供のやる気は継続していくことになるでしょう。



褒めて育てることについて


一つの例を通して、「褒めて育てる」ことを考えてみたいと思います。

例えば、「A君は、とてもいい子で、
よくゴミを拾ってくれたり、先生の手伝いをします。
しかし、やり方が気になるのです。
先生が見ていると確認してからゴミを拾い、
先生の視線を意識しながらゴミ箱にゴミを捨てます。
そして、先生のところに来て『ねえ先生、ぼくえらい?』と聞きます。
かなり頻繁に聞くのです」

このAくんは何かをして、褒められた時に、愛されたと感じているのです。
ですから、褒められないと愛を感じず、
奉仕の実践ができにくくなってしまっています。

褒められることよりも、A君を認めてあげることが必要ではないでしょうか。
認めて、必要としてあげて、感謝してあげること。
ですから、Aくんにとって必要なのは、
「個性真理体」として認めてくれる家庭が必要なのです。


褒め言葉を、行動を起こす動機づけにすると、
子供は、「褒めてもらうために行動を起こす」
ようになってしまう可能性があります。

ですから「褒めてくれる人がないと、やる気が起きない」となってしまいます。
ですから「褒めてもらわないと傷ついて前進できなくなる」のです。

つまり、他の人によって自分の価値を決める、自信のない人」になってしまいます。
ですから、その子供は「個性真理体」の自覚が育ちにくくなるのです。



叱って育てること


叱られたり、脅されたりした子供は、おびえ、
その不安を解消するために親の言うとおりに行動するのです。

「叱る」というのは、躾ではないのです。
脅しという罰を使った支配になってしまいます。
それは、害こそあれ、何もいいことはありません。

親が叱る理由を考えてみると、親の思い通りにならないので、
腹を立てて叱っていることがあります。
そうすれば、子供は、「怒られない」ために行動してしまいます。

そして、親に腹を立てながら行動していることになります。
それは、子供に人を憎むことを教えていることになってしまいます。


一度、自分が何に腹を立てているかを見つめ直してみましょう。

私たち親の心の中に「子供に対して『〜するべきだ』
という考え方がないだろうか」と問いかけてみてください。

親が、子供に対して、「〜べき」が腹を立てているのです。
ですから、親の心の中の「〜べき」は、本当に正しいかどうか振り返ってみましょう。

正しく判断して、それが理にかなっているならばそれを子供に教えてあげましょう。
しかし、理にかなっていなければ、子供に押し付けないようにしましょう。



「褒める」ことと「叱る」こと。
ただ褒めて、叱るだけでは、
本当のやる気を起こすのではないと思います。

ただそこに本当の愛情、成長を願っているものであれば、違うような気もします。
褒めるにしても、良いところを引き出すように褒めることもできるだろうし、
また、叱るにしても、自分の感情だけで怒っているのではなく、
本当にその子のために、叱っているのなら、
その感情が子供にも伝わるのかな、とも思います。

いずれにせよ、それ以上に重要なのが
ために生きる喜びを教えてあげることなのです。
少し長くなりましたので、明日に続きます。



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