2016年05月16日

誰が問題児か?! 悪い人に悪いと指摘するのは、悪いこと?! 《金元弼先生》



20160507_8photoline_37.jpg


「リーダーが問題だ」という人がいますが、
そういう兄弟こそ問題児です。
メンバーの悪口を言うリーダーも
よくありません。
 



金元弼先生の「伝統の源流」
今日は、『尊敬される人と問題児』です。


(お父様がおられた)牢屋の中でも、まだまだ心を悔い改めない人がいて、
同じ部屋の人たちをよく殴ったり、
苦しめたりするという問題の人がいました。

一緒の囚人たちは、「あの人がいなかったらいいのに」
「誰かあの人をやっつけないかなあ」という心をもちながらも、
自分ではどうすることもできないのです。
怖がりながらも、何にも言えないで、
いじめられるままにならなければならなかったのでした。

先生は部屋の人たちの前でその人を呼んで、
「私たちはなぜここに入ってきたのだろうか。
ここでも、こういうことをしてもいいのでしょうか」
と色々お話ししてあげました。

ところがそれ以後、先生は祈ろうとしても祈りが出てきませんでした。
お祈りの道がふさがれ、暗黒の中をさまようような一週間を過ぎて、
一週間後に初めてお祈りができたのです。
その時の喜びの心を述懐しておられました。


善くない人に忠告してあげただけなのに、
なぜそういうことが起こったのでしょうか。

人が悪いことをしたときに、「お前、こんなことをしてはいけない」
と教えてあげるのは、良いことですか、悪いことですか。
百度考えても、それは良いことです。


ところがこう考えてみましょう。

先生にしかられた泥棒というのは、
ちょうど神の前の私というかたちでとらえてみないといけません。

言い換えれば、「善くない人」と「私」がいるとします。
「善くない人」を「私」が見ているとしたら、
私の前にいるこの人は、ちょうど神の前にいる私に当たるということです。

「お前が悪い」と人に忠告して言う前に、
まず神の前の自分を考えなさいということです。
善くないものを見た時、「神様、私はあなたの前でこのように善くない者です」
と自分を省みるのです。

「神はこういう者を許して、愛して、また信じて導いてくださる」
という感謝の心をもたないといけません。
そういう心をもってその人を見るときに、
「あなたが悪い」と言えますか。


例えば、泥棒した者が泥棒に対して、
「お前、泥棒するな」と言えるでしょうか。
このために、先生の心は一週間真っ暗になったことを考えてみてください。

皆様がこのことをよく心得て生活するとするならば、
カイン・アベルという問題は絶対に起こりません。
メンバーから尊敬される人になり、
先生の心、親の心、神の心がよく分かるようになります。


ここに、皆さんが言う問題児がいるとしましょう。

その人を見て、「お前、問題児だね」
「はい、そうです」これこそ問題児です。

神が考える問題児が問題児か、
私たちが考える問題児が問題児か、誰が問題児ですか。
要するに、私が考える人が問題児ではなく、本当の問題児は私です。
私は神から見た問題児なのです。

だから私が皆様にいつも言っているように、問題児だという人が問題児です。

なぜですか。
私は神から見た問題児であるし、私が問題児だという人は、
私から見た問題児であるということで、そこが違うのです。

ですから問題児を考えるときには、私が問題児であるにもかかわらず、
神は許して信頼して復帰摂理の責任を任せ、
私をして神の国を実現させようとしている、その神を考えなければなりません。

兄弟の中には、「リーダーが問題だ」という人がいますが、
そういう兄弟こそ問題児です。


そういう自分を見る時には、
神に感謝の心をもって考えなければいけないのです。

これが先生の教えです。

先生は私たちに教えてくださるときには、
御自身がそういう神を考えながらお話ししてくださるのです。
先生は常に神の心を中心にしていらっしゃることが分かります。
そこが違うのです。

先生から何か言われても、感謝の心が出てくるのは、
そういう動機から教えてくださるからです。


先生がアメリカに来られたときに、
アメリカが国を挙げて反対するのを見て、
どのように考えられたでしょうか。

先生は、「私が、一九四六年の時に、
早く来ていればこんなことはなかったのに、
遅れて来たからこういう目に遭っている」ととらえたのです。


皆さんはよく、「人のために尽くしなさい≒許しなさい」と言います。
誰もがよく分かっているのに、なぜできないのですか。

それは神の心情を中心としないで、自分を中心として考えるからです。
先生は常に神の心を中心にしておられるということを忘れてはいけません。
そういう先生の真の子供になるには、
先生と一体となった心をもっていなければなりません。


メンバーの悪口を言うリーダーも、
自分のリーダーを悪いというメンバーも良くありません。

夫婦の関係も同じです。
自分の奥さんの悪口を言ったり、
旦那さんの悪いことを人に言うくらい悪い人はいません。

メンバーが悪いと言うのは、神の前、真の親の前で
「私はこんなに悪い者です」ということと同じです。

特に復帰摂理路程にあっては、
カインの立場の人はいくらアベルに足りない点があっても、
アベルに対して不平不満を言うとすれば、復帰の道はありません。



リーダーがメンバーの悪口を言う、
また、メンバーが自分のリーダーを悪いという
これは、私達が陥りやすい堕落性によります。
本当に気を付けないといけないと思います。

『カインは、アベルの堕落性を指摘することがありますが、
そのように指摘すればするほど、
自分も倒れることになる。。。

また、アベルはカインに対して、
神様から受けた愛を
付け加えて与えないといけないのだ。。。』

以前、周藤先生から受けた講義で聞いたことがあります。

『すべてが私の問題』
このように捉えるのは、簡単なことではありません。
しかし、それがみ旨だと思って、
取り組んでいきたいと思います。


応援のクリックをお願いします


にほんブログ村



※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)



posted by ten1ko2 at 13:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする