あなたが決めるのではなく、
天のみ旨に従うのです。
何も失うことはない。
天命に任せて、人事を尽くしなさい
☆
天のみ旨に従うのです。
何も失うことはない。
天命に任せて、人事を尽くしなさい
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私たちの知っている朴普煕(パク ポウヒ)先生は、
米国での3大大会でも素晴らしい通訳を務められ、
いろんなシーンで常にお父様の傍らで
支えられていました。
若き陸軍将校だった朴先生が
更に、ご父母様の片腕として活躍していく
きっかけとなったエピソードです。
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一九六一年、ワシントンDCにある韓国大使館に、
陸軍武官の補佐官として外交官の任務が設けられました。
そこに志願をする人が百人もいました。
その中には、大学で英文学を専門に学んだ人、
通訳の将校として長い間働いた人がずらりと並んでいました。
陸軍士官学校から上がってきた私は、歩兵将校で通訳将校ではありません。
だから、その人たちと競争して合格することは不可能なことで、
ただ一つしかない武官の補佐官に就くということを、
私は最初から考えてもいませんでした。
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そのことをお父様に申し上げたら、
「あなたが決めるのではなく、天のみ旨に従うのです。
できるかできないかは天に任せなさい。
神様があなたを必要とするなら、あなたは行くようになる。
そうでなければ、残るようになる。
何も失うことはない。
だから天命に任せて、人事を尽くしなさい」
と言われました。
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その時私の「人事を尽くして天命を待つ」
という信仰の姿勢が生まれてきました。
人生において、私はいつも「人事を尽くして天命を待つ」です。
お父様が言われるとおりだと思って、私は志願書を出しました。
試験は英語だけでなく、軍隊の将校として必要なものを含め八科目でした。
一科目から八科目まで熱心に受け、天命を待ちました。
その中でも論文は、原理を学んだ立場ですから、
最高の論文を書いたのではないかと思います。
とにかく、お父様の言われたごとく、
全力を尽くしたので私の使命は終わったと思いました。
そしたら一週間後に、陸軍参謀総長から呼び出しがあり、
合格を通知されたのです。
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そして一九六一年三月一日、渡米する日の早朝、
私と家内はご父母様にあいさつに行きました。
その時、ご父母様は私たちを三十六家庭として選んでくださいました。
祝福式は五月十五日に予定されていましたが、
渡米してしまう私たちに対し、
特別に祝福の祝祷をしてくださったのです。
その時、お母様は譽進様をお生みになられて、静養中でした。
お母様が動けないので、お父様は私たちを
お母様の部屋に連れていかれました。
そこでご父母様は共に手を上げて祈られ、
私と妻の頭の上に手をおいて、三十六家庭として祝福されたのです。
そしてその日の朝十一時の飛行機でアメリカに渡りました。
お父様は空港にまで、見送りに来てくださっていました。
特別祝福を頂いて、お父様が直接飛行場まで見送ってくださった、
これが、私の生涯最大の栄光です。
☆
「人事を尽くして天命を待つ」
朴先生の人生において、座右の銘となるこの言葉は、
何よりも真のお父様ご自身が実践されたに違いありません。
それは、お父様が解明された
「責任分担」に通じる言葉だと思います。
そのみ言を信じ、実践された朴先生は、
見事にアメリカの外交官として出発していきました。
このことは、お父様がアメリカ開拓を成すにおいて、
重要な役割を果たすことになります。
明日のお楽しみ・・・
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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