困難な峠が近づけば、
避けて戻るのではなく、
克服して進まなければなりません。
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避けて戻るのではなく、
克服して進まなければなりません。
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阿部先生のweb礼拝説教
「幸不幸の分岐点」を紹介します。
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人は誰もが「幸福な人生」を求めて努力しています。
しかし、努力していても「不幸な人生」が繰り返される人がいます。
反面、それほど努力していなくても、
順調で「幸せな人生」が続く人もいます。
このような違いはどこからくるのでしょうか?
ただ単に、運が良いとか悪いということだけではありません。
それは「幸不幸の分岐点」に「正しい判断」、「原理的な選択」が出来るか、
出来ないかで決定されるのではないでしょうか?
人生の幸不幸は紙一重と言われるように、
小さな過ちが奈落の底に落ちるような困難を招いたり、
小さな心掛けが大きな転換となって大成功したりすることもあります。
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ですから、人生のポイントとなる時を知ることが大切です。
その時は、「ピンチ」であると同時に「チャンス」になるものです。
まさに、「幸不幸の分岐点」です。
この時に、ピンチをチャンスに変えられる人、
またはチャンスをさらに大きなチャンスに変えていく人が「幸せをつかむ人」です。
反対に、チャンスをピンチに変えてしまったり、
ピンチが本当に大きなピンチになってしまったりする人が
「幸せを逃す人」まさに「不幸な人」です。
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「幸不幸の分岐点」とは、ピンチでありチャンスであると表現しました。
これは言葉を換えるならば、ピンチとは
「サタンが最も狙う瞬間」だということです。
「サタンの誘惑」によって悪なる方向に
引っ張られやすい瞬間なので気を付けなければなりません。
人生の試練の瞬間と表現することもできます。
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一方、「幸不幸の分岐点」がチャンスの瞬間であるということは、
「神様が最も働きやすい瞬間」だということです。
その瞬間に正しい判断、原理的な選択ができたら
サタンを分立することができるので、
「神様の役事」によって善なる方向に導かれるということです。
天運の源である神様の役事を受けるためには、
このような瞬間をどのように選択するかが必要です。
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それでは、「幸不幸の分岐点」となる時とは、どのような場面でしょうか?
それは三つの分岐点に分けることができます。
第一の分岐点は、「困難・苦難」に直面した時です。
人間関係が難しくなったり、仕事がうまくいかなかったり、
大きな失敗をしたり、疎外されるような立場に立たされたときなど、
難しい状況に直面することは人生の試練の瞬間です。
このような状況に直面すると、悲観したり落胆したり、
諦めたりしやすいものです。
また、不条理な状況に立たされれば不平不満を言いたくもなります。
さらには、このようになった状況の原因は
環境のせいだという思いも出てきます。
しかし、このような選択をすれば、
さらにサタンの侵入を許してしまう結果になります。
このような時ほど、「甘受する心」を持つことが大切です。
責任転嫁したり、自己正当化したり、言い訳をするのではなく、
甘んじて受け入れるならば、その経験は次の成功の踏み台になるはずです。
そのような選択をした人は、
困難や苦難を通して成長し豊かな人格を育むことでしょう。
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誰もが困難や苦難には会いたくないものです。
私自身、そういう時には、真のお父様を思い出します。
真のお父様はあらゆる困難・苦難を乗り越えていかれた
まさに、「チャンピオン」です。
お父様が乗り越えていかれた、その思いをたどっていけば、
乗り越えることができるし、
また、お父様に近づくことができます。
すべてに勝利されたお父様に
心から感謝したいと思います。
二番目・三番目の分岐点は明日紹介します。
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お父様のみ言
お父様のみ言
「信仰生活は、頂上なら頂上を征服するために、
最高峰なら最高峰を征服するために、
必要な材料を収拾するのと同じです。
ですから、皆さんは困難な峠が近づけば、
その峠を避けて戻るのではなく、
克服して進まなければなりません。
今、ぶつかっている難しいことより、
もっと難しいことに遭遇するようになっても、
『私はそこで滅びない』という真剣な立場で、
その困難を自分のものとして消化できる、
主体的な自我を発見するために
努力しなければならないのです。
(天一国経典「天聖經」P815〜816)
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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