昨日は、日曜日でしたが、
「天一国4大聖物伝授及び聖酒式」のための一日特別教育
を行いました。
全国的にも多くの教会で行われたことと思います。
最初に徳野会長のみ言がありましたが、
その中で、お母様の祝祷が流れました。
お母様の涙ながらの祈りに対し、
多くの方が涙ぐんでいました。
その祈祷を紹介します。
☆
天一国原聖物伝授式 真の父母様祝祷
天一国原聖物伝授式 真の父母様祝祷
天暦4年3月15日 (16.04.21)
敬愛してやまない天の父母様!
あなた様は御自身の夢を実現するために
天地万物を創造され、
人間先祖となることができるアダムとエバを創造されました。
あなた様の創造の原則が人間とひとつになっていたので、
アダムとエバが責任を果たし天の父母様に侍る立場で
人類の始祖になっていれば、
今日のこのような現象は起きなかったはずでした。
しかしながらアダムとエバの堕落により、
天は6千年という悠久なる歳月である
恨と悲しみの歴史路程の中で、
それでも本来創造された理想がございましたので、
人間先祖が出てきて
あなた様を解放して差し上げることの出来る
その一日を待ちこがれながら、忍耐して来られました。
6千年を経た1960年にあなた様が探し立てられた
独り子・独り娘により
真の父母様の名前が地上に誕生しました。
しかし2000年の間準備して来られたキリスト教の基盤が、
その環境と垣根になってくれることが出来なかった
現実に対して、最低の立場から踏み上がって来た
8段階路程を通じて、
真の父母様の切なくて事情の多い日々がありましたけれども、
それでも真の父母様は
祝福子女たちをたくさん輩出いたしました。
しかしサタンの勢力圏内にいるこの祝福子女たちの信仰が、
父母様を中心として絶対信仰、絶対愛、絶対服従で、
父母様と一つになった立場で繁殖して
行かなければならない責任があったにもかかわらず、
その責任を果たすことよりも、まず先に自分自身のことを考え、
環境に揺れる信仰生活をしている子女を見る
真の父母様の心は、あまりにも切ないものでした。
天の父母様、もう一度矜恤(きょうじゅつ 哀れみ恵む)の恩賜を、
真の父母様の望みを奉じる祝福子女たちとなることができる
祖国圏を立てて、
真の家庭としての影のない正午定着となった信仰基準から、
新たに立てて下さった天一国の真の民として、
その使命と責任を果たす祝福子女たちとなり、
天の父母様が願われ、
真の父母様が73億人類を抱こうとするその事情の前に、
責任を完遂することができる統一の子女として
生まれかわることのできるその立場を祝福するために、
もう一度真の父母様の名前で、
天の父母様に矜恤のこの聖物を通じて
新しく誕生し永遠なる本郷苑に行くことができる、
影のない、サタン圏内のわずかな痕跡もない、
そのような姿で本郷の地へ行くことができる、
最後の真の子女の姿になることができる、
祝福の恩賜を下さるこの聖物であることは、
全世界統一家の子女たちは
天の父母様に喜びながら感謝を捧げ、
最後の最善を尽くすことができ、
誇らしい歴史に残ることのできるあなた様の子女を、
73億人類を、
真の父母様の懐に抱かれるようにして上げることのできる
責任を果たす子女たちになることができるように、
もう一度矜恤の救いを施して下さることを、
真の父母様の名前で祝願申し上げます。
アーヂュ。
☆
この『矜恤』という言葉、
普段聞きなれない、あまり使わない言葉ですね。
ブログ『先祖と霊界』の
文鮮明先生は人類の真の父母さんが、以下のように書かれていました。
☆
矜恤(きょうじゅつ)の意味は、「あわれみめぐむこと」と記載されている。
真のお母様は、全祝福家庭にもう一度、矜恤の恩賜を差し伸べることを祈願され、
真の家庭として影のない正午定着した天一国の民の姿になることを願われている。
祈祷文の中に、3回「矜恤」という言葉が出てくる。
内村鑑三は、「聖書の読み方」の中で「矜恤」を数度使っている。
矜恤ある者は福なり、
・・・・神・イエスキリストは、矜恤の方である。
我々もそのようになれば、福が来るという意味なのであろうか?
☆
神様に、私たちの足りなさに許しを請いながら、
再び、私たちを天に連結させてくださろうとする真の父母様。。。
その恩に感謝し、報いる歩みをしていかないといけない、
そのことをただただ思わされるのです。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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