日曜日の可知講師の講義で印象に残ったところが
いくつかありました。
そのうちの一つを紹介します。
☆
お父様のみ言です。
「先生も35歳までは僕の僕たることに徹して、
自分の服を買ったこともないし、
整髪料等を付けたこともほとんどないくらいです。
その上いつも45度以上は顔を上げずに下を向いて歩いていたほど、
罪人の立場に自らを置いていました。
一人の罪人になりきっていたのです」
(1977.5.1)
「また、自然が罪なき真の人間によって
見られたいと願っている事を知りながらも、
自らの摂理的使命を成し遂げるまでは、
清き自然を見る資格も権利もない事を感じては、
大自然の前から身を隠したくなるのでした。
罪人となって歩む自分自身が、
真に罪深き者として感じられるほど、
そうなりきっていたからです」
(1977.5.1)
お父様は神の子、メシヤとしてこの地に誕生されました。
しかし、真に罪深き者として感じられるほど、
罪人になりきっておられました。
なぜでしょうか。
お父様は「神の子」ではありますが、
一人の人間です。
ですから、今まで人類が犯してきた罪、
そのことに対して、人類の代表として、
神様に申し訳ない・・・
そのような思いを持って、生活された
真のお父様であったのです。
☆
お父様は私たちを本当に愛しておられる、
そして、神様に赦しを乞いて、
神様にお返しすることを何よりも願っておられる
そのことを感じました。
そのための基元節でありました。
そして、まったく同じ心情を
真のお母様もお持ちであり、
そのために今回、四大聖物を下賜してくださったのです。
「私たちは、過去を悔いて反省し、
自分は足りない、申し訳ないと思うのでなく、
(もちろんそういう心情も大切だけれど)
それ以上に、如何に改めていくのか、
これからどう決意して、歩んでいくのか、
そのことが重要である」
そのように教会長は語られていました。
しっかりと前を向いていきたいと思います。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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