2016年06月22日

成功の落し穴、精誠の落し穴?!  ←「幸福」 or 「不幸」→ 3つの分岐点(後)


20000623 UNグランプリ平和賞 (2).jpg
☆国連グランプリ平和賞受賞
2000.6.23☆


阿部先生のweb説教
「幸と不幸の分岐点」後半です。


第二の分岐点は、「成功・恩恵」に直面した時です。

一見、成功したり、恵みを受けたりすることは嬉しいことであり、
楽しいことであり、幸せなことなので、
試練とは無縁のように考えがちです。

しかし、成功した時ほど気を付けなければなりません。

何事でも、成功した人は「傲慢」になる可能性があります。
必要以上に「自慢」したり、
成功できない人を「見下す」可能性もあります。

恵みを受けた瞬間は、嬉しくて有頂天になり、
周りの状況を冷静に判断できなくなったりします。

また、今までの努力が実って成功したので、
安堵の気持ちから油断して努力することを
やめてしまう瞬間にもなり易いものです。

また、安堵の気持ちから怠惰な生活に後退することもあります。


このような時ほど、「謙虚な心」が必要です。
さらに成長しようという「向上心」を忘れてはいけません。

成功しても、恵みを受けても
謙虚な姿勢を変えない人は、さらに成長します。

このように成功や恩恵を受けた瞬間もチャンスであり、
ピンチにもなり易いのです。


第三の分岐点は、「精誠・努力」が実らなかった時です。

何かの目標に向かって精誠を尽くし、努力することは大切なことです。
しかし、熱心に精誠を尽くした人ほど、
無意識のうちにその見返りを求めたくなるものです。

神様に精誠条件を立てるならば、「良き結果がもたらされるはずだ」、
「良き報いがあるはずだ」と、
自分なりにご利益を要求しがちになるということです。

もし、その結果が現れれば満足し、現れなければ
憤りの思いが出てくるかもしれません。


人間関係でも同じです。

ある人に尽くして、多くの支援をしてあげたとしましょう。
その時、無意識に相手からのお礼の言葉や
お返しなどの見返りを求めたりするものです。

その見返りが来なければ、相手に対する裁きの思いが湧いてきます。
さらには、怒りの思いが湧いて関係が悪くなることもあるでしょう。

自分は頑張っているのに、という自己正当化の思いも出てきます。

相手に尽くさなければそのような試練は来ません。
努力した時、精誠を尽くした時こそ、
試練が訪れることを知らなければなりません。


そのような時は、自分が受ける利益を捨てる姿勢が大切です。
それは「無私の心」です。
無私の心にこそ、神様が役事してくださいます。

人は誰もが「無私の愛・無償の愛」に触れた時、
感動と喜びを感じるものです。


そして、精誠や努力に対して、結果が現れなかったとしても
憤るのではなく、「変わらない心」「貫く心」で
さらに精誠と努力をし続けることが大切です。

その継続こそ幸福の原動力になります。


そして、精誠と努力をする時に、
「自己主張」はあってはいけないということです。

「人事を尽くし天命を待つ」という言葉があるように、
結果は天が決定してくださいます。
自分で評価したり、結果を決めたりしてはいけないということです。

人間関係でも、相手の幸せのために愛する実践を行ったのに、
いつの間にか自分の幸せの為に相手を利用したりする心に
変化している場合があります。

愛する実践は、あくまでも「無私の心」と
「変わらない心」が動機となって、
その愛を貫かなければなりません。


このように、「幸不幸の分岐点」として三つの観点で紹介しました。

これは人生の試練の瞬間であると同時に、飛躍のチャンスです。
目の前に起こる現状の良し悪しを安易に判断することなく、
まずは受け止めていきましょう。

私たちの人生に起こる全ての出来事は無意味なもの、
不必要なものはないというのです。

神様が私に与えて下さったプレゼントだと思うことが大切です。

自己中心に判断するのではなく、父母なる神様の目で見つめ、
受け止める姿勢が必要です。


ですから、たとえ「困難や苦難」があっても
「ありがとうございます」と受け止めて甘受することです。
「成功や恩恵」に対しても「ありがとうございます」と
感謝して自分の栄光と思わず、神様に栄光をお返ししましょう。

また、「精誠・努力」が実らなかったとしても、
その姿を見守ってくださる神様に
「ありがとうございます」と感謝する者になりましょう。

そのような姿を見れば、神様も喜ばれ感動されることでしょう。
「至誠感天」の言葉のように、誠を尽くし続けたならば、
天が感動して、奇跡的な恩恵を下さることもあります。

三つの分岐点において、常に神様が願う選択と判断が
できるように努力いたしましょう。



昨日は困難や苦難に会った時のとらえ方を紹介しましたが、
順風満帆な時でも、有頂天になってはいけないということを
改めて受け止めさせていただきました。

自分の感情のままに動いてはいけない、
頭ではわかっていることですが、
しっかりと実践していきたいと思います。

昨日も書いたことではありますが、
全てを勝利された真の父母様に侍ることができること、
相続できることを改めて感謝いたします。




「自分を中心として起きる周囲のすべての要件には、
無意味なものは一つもありません。
すべてのことが、私を啓発させ、発展させるための
一つの教材として登場するのです。

そのような生活態度が必要です。
一人だからといって、自分勝手にはできないのです。
このような生活態度を中心として生活すれば、
初めて会う人でも、面識のある人でも、誰であっても、
いい加減に接することはできません。

初めて会う人だから、
適当に扱えばいいだろうと考えてはいけません。
その人がどんな人なのか分からないではないかというのです。

ですから、このようなあらゆる心情的基準を中心として、
体恤する環境を開発する生活をしなければなりません。」

(天一国経典「天聖經」P822)


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posted by ten1ko2 at 09:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする