阿部先生のweb説教
「幸と不幸の分岐点」後半です。
☆
第二の分岐点は、「成功・恩恵」に直面した時です。
一見、成功したり、恵みを受けたりすることは嬉しいことであり、
楽しいことであり、幸せなことなので、
試練とは無縁のように考えがちです。
しかし、成功した時ほど気を付けなければなりません。
何事でも、成功した人は「傲慢」になる可能性があります。
必要以上に「自慢」したり、
成功できない人を「見下す」可能性もあります。
恵みを受けた瞬間は、嬉しくて有頂天になり、
周りの状況を冷静に判断できなくなったりします。
また、今までの努力が実って成功したので、
安堵の気持ちから油断して努力することを
やめてしまう瞬間にもなり易いものです。
また、安堵の気持ちから怠惰な生活に後退することもあります。
☆
このような時ほど、「謙虚な心」が必要です。
さらに成長しようという「向上心」を忘れてはいけません。
成功しても、恵みを受けても
謙虚な姿勢を変えない人は、さらに成長します。
このように成功や恩恵を受けた瞬間もチャンスであり、
ピンチにもなり易いのです。
☆
第三の分岐点は、「精誠・努力」が実らなかった時です。
何かの目標に向かって精誠を尽くし、努力することは大切なことです。
しかし、熱心に精誠を尽くした人ほど、
無意識のうちにその見返りを求めたくなるものです。
神様に精誠条件を立てるならば、「良き結果がもたらされるはずだ」、
「良き報いがあるはずだ」と、
自分なりにご利益を要求しがちになるということです。
もし、その結果が現れれば満足し、現れなければ
憤りの思いが出てくるかもしれません。
☆
人間関係でも同じです。
ある人に尽くして、多くの支援をしてあげたとしましょう。
その時、無意識に相手からのお礼の言葉や
お返しなどの見返りを求めたりするものです。
その見返りが来なければ、相手に対する裁きの思いが湧いてきます。
さらには、怒りの思いが湧いて関係が悪くなることもあるでしょう。
自分は頑張っているのに、という自己正当化の思いも出てきます。
相手に尽くさなければそのような試練は来ません。
努力した時、精誠を尽くした時こそ、
試練が訪れることを知らなければなりません。
☆
そのような時は、自分が受ける利益を捨てる姿勢が大切です。
それは「無私の心」です。
無私の心にこそ、神様が役事してくださいます。
人は誰もが「無私の愛・無償の愛」に触れた時、
感動と喜びを感じるものです。
☆
そして、精誠や努力に対して、結果が現れなかったとしても
憤るのではなく、「変わらない心」「貫く心」で
さらに精誠と努力をし続けることが大切です。
その継続こそ幸福の原動力になります。
☆
そして、精誠と努力をする時に、
「自己主張」はあってはいけないということです。
「人事を尽くし天命を待つ」という言葉があるように、
結果は天が決定してくださいます。
自分で評価したり、結果を決めたりしてはいけないということです。
人間関係でも、相手の幸せのために愛する実践を行ったのに、
いつの間にか自分の幸せの為に相手を利用したりする心に
変化している場合があります。
愛する実践は、あくまでも「無私の心」と
「変わらない心」が動機となって、
その愛を貫かなければなりません。
☆
このように、「幸不幸の分岐点」として三つの観点で紹介しました。
これは人生の試練の瞬間であると同時に、飛躍のチャンスです。
目の前に起こる現状の良し悪しを安易に判断することなく、
まずは受け止めていきましょう。
私たちの人生に起こる全ての出来事は無意味なもの、
不必要なものはないというのです。
神様が私に与えて下さったプレゼントだと思うことが大切です。
自己中心に判断するのではなく、父母なる神様の目で見つめ、
受け止める姿勢が必要です。
☆
ですから、たとえ「困難や苦難」があっても
「ありがとうございます」と受け止めて甘受することです。
「成功や恩恵」に対しても「ありがとうございます」と
感謝して自分の栄光と思わず、神様に栄光をお返ししましょう。
また、「精誠・努力」が実らなかったとしても、
その姿を見守ってくださる神様に
「ありがとうございます」と感謝する者になりましょう。
そのような姿を見れば、神様も喜ばれ感動されることでしょう。
「至誠感天」の言葉のように、誠を尽くし続けたならば、
天が感動して、奇跡的な恩恵を下さることもあります。
三つの分岐点において、常に神様が願う選択と判断が
できるように努力いたしましょう。
☆
昨日は困難や苦難に会った時のとらえ方を紹介しましたが、
順風満帆な時でも、有頂天になってはいけないということを
改めて受け止めさせていただきました。
自分の感情のままに動いてはいけない、
頭ではわかっていることですが、
しっかりと実践していきたいと思います。
昨日も書いたことではありますが、
全てを勝利された真の父母様に侍ることができること、
相続できることを改めて感謝いたします。
☆
「自分を中心として起きる周囲のすべての要件には、
無意味なものは一つもありません。
すべてのことが、私を啓発させ、発展させるための
一つの教材として登場するのです。
そのような生活態度が必要です。
一人だからといって、自分勝手にはできないのです。
このような生活態度を中心として生活すれば、
初めて会う人でも、面識のある人でも、誰であっても、
いい加減に接することはできません。
初めて会う人だから、
適当に扱えばいいだろうと考えてはいけません。
その人がどんな人なのか分からないではないかというのです。
ですから、このようなあらゆる心情的基準を中心として、
体恤する環境を開発する生活をしなければなりません。」
(天一国経典「天聖經」P822)
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)