2016年07月25日

天一国聖酒を受けました!! 空前絶後の「4大聖物」の価値!!



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昨日、天一国聖酒式に参加させていただきました。
その時、教会長が訓読された本部資料
『天一国4大聖物の摂理的な意義』を紹介します。



「天一国4大聖物の摂理的な意義」説明文


真のお父様の「聖和」以降、人類の「真の父」は霊界におられ、
人類の「真の母」は地上界におられるという歴史上、
かつてない時代圏を迎えています。

真のお母様は,天正宮本郷苑で3年間にわたる
「侍墓精誠」を全人類に代わって直接捧げながら、
天の父母様に捧げる真のお父様の最後の孝の精誠を共に尽くされました。



真のお父様は、祭祀(先祖供養・霊人のための儀式)について
次のように語っておられます。

「今までキリスト教で、
祭祀を捧げられないようにしたのも一理があるのです。
祭祀は、神様と全人類の真の父母が受けなければなりません。
上の代の先祖たちが天でまず侍られなければならないのです。
ところが堕落によって、それを今までは禁止してきましたが、
復帰時代において祝福を受けたので、
これからは先祖たちに侍らなければならないのです」


(八大教材・教本『天聖經』1080ページ)


このように、人間始祖アダムとエバは堕落することで
その肢体がサタンの宮≠ニなってしまったために、
本来なら、神様と真の父母様が最初に受けるべきであった
「祭祀」がなされないまま、今日まで来ました。

今回、「神様と真の父母」に対する祭祀≠ェ、
真のお母様の3年間にわたる「侍墓精誠」の勝利圏によって、
人類歴史上、初めて成されたことになります。


この3年間の「侍墓精誠」の基台によって、
霊界の真のお父様と、地上界の真のお母様の完全一体が
安着したその勝利圏によって与えられたのが「天一国4大聖物」です。

天一国4年天暦3月16日(陽暦4月22日)、
「真の父母様御聖婚56周年記念式」を機として
与えられた「天一国4大聖物」、およびそれに基づく恩赦は、
空前絶後の歴史的な勝利圏に基づいて与えられた恩賜です。


真のお父様が地上にいらっしゃった時に、
「天一国基元節」で使用する聖酒を作られ、
それを保管するように清平に指示されました。

その聖酒は、当初「基元節聖酒」と言い、
後に「天一国聖酒」と呼ばれるようになりました。

今回の「天一国4大聖物」の聖酒は、その天一国聖酒が、
真のお母様の3年間の「侍墓精誠」の
勝利の基台の上で新たに与えられたものです。

すなわち、今回の聖酒は、
真のお母様のみによって作られたものではなく、
真の父母様によって与えられたものです。


また、「天一国4大聖物」で、従来の聖物と異なる点の一つは聖塩です。

従来の「聖塩」は、万物を聖別するために用いられてきましたが、
今回の天一国聖塩は、私たち祝福家庭が「聖和」したとき、
その「聖体(遺体)」を聖別するためにも用いることができる
という貴い意義がそこに付加されました。


『原理講論』には、

「人間は堕落により、その死体までも
サタンの侵入を受けたのであった。
ところがヤコブは、祝福を受けて、聖別された体であったから、
彼の死体も、サタンと闘って分立したという条件を立てるため、
その死体に、40日間、防腐剤を塗ったのである。
したがって、この路程を見本として歩いたモーセも、
その死体をもってサタンと闘ったのであり、
またイエスも、その死体をめぐって問題が起きた」


(345〜346ページ)と論じられています。


モーセは霊的勝利圏しか立てることができず、
カナンの地に入ることができなかったために、
その死体は行方不明となり、イエス様の場合も、
地上で新婦を立てることができず、
その肉体がサタンの侵害を受けたために、
その聖体は行方不明となりました。

ところが、真のお父様の場合は、地上で人類の「真の母」を立てられ、
勝利した「真の父母」となられたため、
その聖体はサタンに侵害されることなく、
聖別された聖体として「天正宮本郷苑」に安着されました。

このことは、今までの復帰歴史になかった大きな勝利圏です。


また、今回、「天一国聖土」が分配されたことも、新たな恩恵です。

これは、お母様が3年間の「侍墓精誠」を捧げられた勝利条件の上で、
真のお父様の聖体が安着した「天正宮本郷苑」の聖土を、
全大陸の祝福家庭に分配されたものです。

この聖土分配は、全世界の祝福家庭を
真のお父様に連結してくださろうとする
真のお母様の特別な計らいがあって与えられた恩恵です。


このような「天一国4大聖物の摂理的な意義」を深く心に刻み、
感謝と悔い改めと決意の心情を持って
「天一国4大聖物」の伝授に臨み、
天一国の真の主人となって再出発いたしましょう。


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人を愛し、赦す基準というものは、
絶対的なものであることを感じさせられます。

私たちは自分自身に堕落性があり、
自分自身が不完全であるにも関わらず、
そういう自分を棚に上げて、
人を批判し、人の堕落性を論(あげつら)います。

しかし、真の父母様は、どこまでもどこまでも、
愛してくださり、赦してくださるのです。
そのような心情に到達するのは、
並大抵のことではないと思うですが、
何よりも、真の神様、天の父母様の心情に
通じているからなのだと思うのです。

日々、自分の足りなさを感じざるを得ませんが、
御父母様を目指して、前進していきたいと思います。。。


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2016年07月24日

今日、聖酒式! 涙で前が見えない!!  歴史的な一日 《真のお母様のみ言 7.16》


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私たちの教会では、本日聖酒式が行われ
天一国のための新しい出発を成していきます。
今日は一日目ですが、順次、参加されていくことでしょう。

つい最近もお母様は
私たちが勝利の報告をする時、
抱擁して迎えてあげたいと、
涙ながらに言ってくださっています。

どれだけ私たちの勝利を願われ
待ち焦がれておられるご父母様であり、
愛したくて仕方がない父母であられるでしょうか。

今日は、7月16日に行われた
天地人真の父母様 天正宮入宮・戴冠式10周年記念行事
その時に語られた真のお母様のみ言を紹介します。


きょうは歴史的な日です。
人類歴史、聖書歴史6000年の中で奇跡のような日です。

皆さんは実感していますか。
それならば、皆さんはどれほど幸福ですか。

2001年に「神様王権即位式」を
天宙清平修錬苑でしてさしあげました。

その時、真の父母様は世界のために
南米で主要摂理を展開されていました。

この国に責任をもち、機関に責任をもつ人たちが
立ち上がって修錬苑聖殿を建てましたか。
摂理の時が近づいているのに、
それを知っている人は地上に誰もいませんでした。

皆さんに代わって、このような摂理歴史の完成を
見るようにしてくださった
大母様に対して感謝しなければなりません。



その時、お父様は祝福家庭に対して、
「祝福家庭何某」と自身の名前で
報告祈祷をしなさいと語られました。

それは、とてつもない祝福です。

天が、真の父母様が、祝福家庭個々人を
子女として認定されるという意味です。
これがどれほど感謝すべきことですか。

そのようにして語ってくださったみ言が、
「血統を汚すな、人権蹂躙をするな、
公金を乱用するな、奪取するな」でした。

それは簡単なことではありません。
このみ言を守ってきましたか。
自信をもって答えられる人は少ないでしょう。



天正宮入宮・戴冠式を挙行するようになる時、
天正宮博物館を誰が建てましたか。

この天苑団地の数々の建物は、
みな霊界の主導によって建てられました。

考えてみてください。
万王の王・天地人真の父母入宮・戴冠式です。
天正宮博物館がなかったら、どこでしますか。
天幕でしますか。
6000年ぶりに天の摂理歴史を完結させる、その一日です。

キリスト教の2000年間、外的には
ヨーロッパを通して燦爛たる文化を花咲かせました。
700年、900年前に建てられた聖堂が、
いまだに、当時の姿のままで存在する所が
幾つもあることを知っているでしょう。

主人がいない時にも、文化の歴史をそのように残したのです。
6000年ぶりに来られた真の父母様の摂理歴史における
偉大な業績を残さなければならないのですが、
準備した指導者はいませんでした。



この日を迎えれば迎えるほどに、
皆さんは悔い改めなければなりません。

真の父母と共に同事同役したと言いますが、
真の父母様のご意思を中心として、
自分がどれほど責任を果たしたのか、
孝子の位置に立ったのか、忠臣の位置に立ったのか、
多く反省しなければなりません。

きょう、皆さんは本当に、
「それでも赦され、この日を私が見ることができるように、
私の家庭が見ることができるようにしてくださって、
あまりにも感謝です」と痛哭しながら、
今後はさらに成長した成熟した子女として、
まず自分が責任を果たすことが先決です。



「2020」を前に私たちが直面する問題があります。

皆さんがどのように責任を果たすのかに従って
神様の位相が変わってきます。
真の父母様の位相が変わってきます。



真の父母の路程を世界の人々が知るようになれば、
涙で前が見えなくなることでしょう。

困難な環境の中で、終始一貫して
天のみ旨を成してさしあげようと、
前だけを見つめてこられた真の父母様の摂理歴史です。

想像もできない多くの困難がありましたが、
神様が共にされて、
神様の夢を成してさしあげる一片丹心のご生涯が、
きょうのこのような奇跡をつくりあげました。



皆さんには責任がありましたが、
責任を果たし得ませんでした。

今後成されていく摂理歴史、天地鮮鶴苑について、
皆さんが同参してくださるよう、お願いします


(中和新聞より)


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週刊ブリーフィングに映像が載っていましたが、
最後の方では、涙を流されながら、
み言を語られていた真のお母様でした。。。

今回、特別に四大聖物を伝授してくださる
真のお母様ですが、
深い愛と許しの中に、今の私があることを思いつつ、
お母様の願いに答える者になっていきたいです。



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2016年07月23日

みすぼらしい部屋につまづかなかった人達?! 初めての伝道と情熱の西川先生 《小室先生の草創期の証し》3


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小室先生の証し。
今回は、澤浦先生を伝道された時の証しです。



西川先生の講義に燃えて澤浦先輩を伝道

私が統和社に三回目に行ったとき、桜井節子姉がいたことはお話ししましたが、
何回目かに行ったときには増田勝さんがいました。
このとき男性も来ていると思い、非常にうれしかったことを覚えています。

そのころ増田さんは、一通り講義を聴き終わっていて
礼拝に来ているようでした。

礼拝は統和社ではなく、統和社の近くにあった
矯風会館の一室を借りて行っていました。
そこには年配の素晴らしい夫婦も参加していました。
大体、七、八人が礼拝に参加していたのです。


矯風会館でも統和社から次に引っ越した所でも、
西川先生は大きな声で説教されました。
三階とか五階を借りて礼拝をすれば、一階にいても
西川先生の声が聞こえてくるほどでした。

西川先生の情熱たるや大変なものでした。
ですから当時、西川先生は結核を少し患っていたようですが、
それは情熱で吹き飛んでいったのでしょう。

西川先生はどんなに生活が貧しくても、
サタンから絶対に讒訴されない歩みをすることを、常に心掛けていました。

ですから、人がだれも見ていなくても、絶対に不正なことはしなかったのです。
文先生の伝統をちゃんと引き継いでいました。


西川先生はいつも、
「このようなみすぼらしい部屋で講義を聴いて、つまずくような人はだめだ。
本当の義人は、こういう部屋で講義を聴いてもつまずかない」
ということを、口癖のように言っていました。

やはりそのような環境でみ言を聴き続けた人が、今も統一教会に残っています。

増田勝兄、桜井節子姉、澤浦秀夫兄(二〇〇五年昇華)、
岩井裕子(現、神山裕子)姉、春日千鶴子(現、ロニオン・千鶴子)姉、
それから別府美代子(一九七二年昇天)姉たちです。


西川先生の気迫あふれる講義で燃えた私が、伝道をするために
一週間断食をしながら、中央大学で
「神様と世界に貢献できるかたと出会わせてください」と祈っているとき、
学内の床屋で出会ったのが澤浦秀夫兄でした。

そのとき澤浦兄は、中央大学法学部四年生で
弁護士になるため司法試験の勉強を一生懸命にしていました。

法律においても話術においても、私よりも数段優れていたので、
必死に祈りながら聞き役となり、質問話法で澤浦兄を伝道したのです。

声をかけても、連絡先は教えてくれず、
司法試験の勉強で図書館通いをしてることが分かったので、
毎日3時間、2ヶ月間にわたり図書館で待ち続けて、何度か声をかけ
「法律の目的は何か?善悪の判断基準は何か?」などと質問、
答えを迫られたのをかわして、伝道しました。


一九六〇年十二月六日に、西川先生に澤浦兄を紹介すると、
彼は真剣に講義を聞き始めました。

西川先生は「日本人が日本人を初めて伝道してくれたね」と言われ、
本当に心から喜んでくださいました。
今でもその時の西川先生のうれしそうな顔を忘れることができません。

澤浦兄は銀行に勤めながら、伝道活動をしようと考えていました。
しかし彼は、「原理」を深く学ぶにつれ自ら今何をすべきかを悟り
大学を卒業して間もなく、管理職として就職した銀行と弁護士への道を
すべて神様にささげて、男性の中で最も早くみ旨を献身的に歩むようになったのです。


澤浦兄は、父親を早くに亡くしていたため、
実のお兄さんが澤浦兄の父親のような存在でした。
お兄さんは、澤浦兄が大学を卒業した後には、銀行に勤め
司法試験にも合格してほしいと望んでいました。

澤浦兄が家(群馬県伊勢崎市)を出て、教会活動に専念しようとする時には、
並々ならぬ状況下にあったのです。

澤浦兄が、故郷を出て東京に向かおうとする日、
お兄さんが「西川という男に会いに行く」と言いながら追いかけてきたのでした。
澤浦兄は、そのお兄さんに対し
「自分を殺してから、西川先生の所に行ってくれ」と命懸けで訴え、家を離れたのです。

その日が、一九六一年四月二日でした。
そのとき初めてもらった給料袋の封を切らず、給料袋を持って上京しました。


澤浦兄は、立正佼成会のかたを伝道し、
そのかたが久保木修己先生を伝道することによって、
日本統一教会の発展の基礎を築きました。

真のお父様も西川先生も、澤浦兄を「ザワ」と呼んで深く愛してくださいました。

澤浦兄は、岸信介元総理大臣と福田赳夫元総理大臣に原理講義をしましたが、
自分でしたことを口に出すこともなく謙虚なかたでした。
真のお父様が「統一教会を引っ張っていく男だ」とおっしゃったごとく、
パウロのように活躍されました。



小室先生の伝道された澤浦先生の霊の子が小宮山先生、
その霊の子が久保木会長です。
また、小室先生の霊の親が松本ママ、
そのまた霊の親が西川先生になるわけですね。。。

久保木会長が復帰されたことにより、
多くの人たちが立正佼成会から導かれて、
日本統一教会の礎が築かれたのです。

小室先生が澤浦先生を伝道する時、
毎日3時間、2か月間、投入したということです。
そのような熱烈なる伝道精神が
大きな基盤を築くきっかけになったのではないかと感じます。

私達も相続していかないといけないな、と思わされます。

これからも不定期に続きます。


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