シリーズで紹介してきた
朴先生のこの証しは、ちょうど20年前
日本人に語られたものであると思われます。
今日が、最後になります。
☆
一九九六年の年頭標語は、「真のご父母様を誇り愛そう」です。
それに基づいた私の九六年のスローガンは「絶対信仰に奇蹟が起こる」。
そして「死なんとする者は生きる」。この二つでした。
絶対信仰とは何か。
その一つは「私は神の子供であり、愛する神が私の親である」という信仰です。
これ以上に力になる信仰はありません。
神様が私の親であり、私を愛しているならば、
この世の中で何を恐れましょうか。
不可能なことがあるでしょうか。
☆
二つ目は「真のご父母様に出会った」という信仰です。
統一教会の信仰の基本は真のご父母様です。
「真のご父母様の子女となり、祝福を受け、原罪を清算し、
真の愛と真の生命と真の血統を受け継いだ」ということです。
「私は神の子だという信仰と、私は真の父母に出会った」
ということが信仰の源で、二本柱なのです。
☆
「考える信仰」では絶対信仰ではありません。
「今日これをやらなければいけない」とか
「お祈りしないといけなかったができなかった。断食しよう」
と考えて動く信仰は駄目です。
意識の努力をもって、無意識の中に入る。
肉身が生きている間に意識の努力により
霊人体に刻まれた信仰が絶対信仰です。
☆
原理的に表現すれば、肉身の肉心から、霊人体の生心に刻むのです。
その時、絶対信仰になるのです。
これだけを霊界にもっていきます。
肉体的意識は地上に置いていくのです。
それは肉体が終わる時、終わることになります。
信仰しているように見えても、死んだら何ももっていくものがありません。
無意識の中に「神の子だという信仰」があり、
「真の父母の子女になったという信仰」があれば本物です。
そこまで行かなかったら、どの信仰もまだまだ足りません。
☆
思いがけなくだれかが針で刺したら、日本人は「痛い」と言うでしょう。
韓国人は「アヤ」と言い、アメリカ人は「アウチ」と言うのです。
私の妻は韓国人です。
アメリカに行ったすぐは「アヤ」と言っていましたが、
三十年たつうちに「アウチ」と変わりました。
意識から無意識に変わったのです。
☆
蜂に刺されても、倒れても起きても、悲しいときもうれしいときも、
「アボジ」が出てこないと駄目です。
それは真のご父母様のことです。
絶対信仰というのは、アボジのために生き、アボジのために死ぬことです。
こういう信仰があれば奇蹟が起こります。
偉大なことが起こります。
☆
聖書のマタイによる福音書一七章に
イエス様が悪霊に取りつかれた子を癒やす場面があります。
「私の子供がてんかんに苦しんでおります。
それで弟子のところに連れてきましたが、治していただけませんでした」
と言ってイエス様にお願いするところです。
イエス様は「いつまであなたたちはそうなのか」と苦悶の表情でありましたが、
その子を連れて来させ、しかりました。
すると悪霊が出ていきました。
これは清平の役事と同じです。
イエス様は悪霊を追い出して、その子は癒やされましたが、
それを見た弟子たちは
「私たちは、どうしてそれができなかったのですか」と聞きました。
イエス様は、「信仰が足りないからである」と答えられたのです。
これは絶対信仰がないということです。
☆
また私が強調するのは、喜びがないといけないということです。
信仰は喜びなのです。
問題のない人は一人もいません。
しかしその問題に苦しんでいるのはそれ以上の喜びがないからです。
喜びなしには良いことも奇蹟も起こりません。
☆
では何を喜ぶべきでしょうか。
それは「神の子だ!」というわき上がる喜びです。
「私は真の父母に出会った!」という込み上げる興奮です。
そして人生を最後までこの喜びと興奮で生き抜いていくのです。
これが最高、そして永遠なる喜びです。
このように生きる人が天国人であり、永遠不滅の人なのです。
これこそ「天運到来!」の秘訣です。
☆
朴先生は、かつて日本の総会長をしておられました。
「天運到来」講演会で全国を巡回されたことも
そして、講演会に参加された方もおられると思います。
その時のお元気さ、
また、お父様の補佐官として、
全米中を飛び回っていたころから考えると、
先日紹介した、車いすの写真は、
少し衝撃的なものです。。。
しかし、朴先生は、
涙ながらに御父母様を証ししていました。
御父母様を侍ることができることが感謝であると。。
朴先生のごとく、
どんな状況の中にあっても
生涯、真の父母様に侍っていく、
そのような者になっていきたいと、
今回の朴先生の証しを書きながら、
思わせていただきました。
全部で6回のシリーズとなった朴普煕先生の証し。
いかがでしたでしょうか。
記事に使った写真を、最初にあげたものと
入れ替えて、新しいものも貼っています。
下に、それ以外の写真を含め、朴先生の写真を
集め、ミニギャラリーとしました。
お楽しみください。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)