金元弼先生のみ言、
昨日の「7たびを70倍するまで許す」の続きです。
イエス様もすべてを許す道を通過されましたが、
ご父母様も、十字架を越える道を行かれました。
それでは、私たちはどのようにしたらいいのか、
貴重なお話です。
☆
ですから皆さん、先生からみ言を受ける時には、
先生の過去の内面の世界や現在の内面の世界において、
こうしたことがいつあったのだろうか、
今はどのような心の世界なのだろうかと考えながら聞くのです。
そうすれば本当に、神様の心に、先生の心に響く、
呼応することのできる私たちになれるでしょう。
そういうことですから、今もそうですが、
これからたくさんのみ言を学ぶ時には、
常にそういうことを考えながら聞かなければなりません。
☆
原理で学んでいるように、本当にサタンは少しのすきも与えません。
ですから神は、サタンが少しでも
未練をもつようなことはされないというのです。
サタンに未練があるならば、やってみなさいというのです。
ヨブの信仰を試されたことがありますけれども、
サタンの未練があるならば、それをサタンの手に渡してしまいます。
渡すのは神の子を苦しませるためではなく、
サタンが未練をもたない、そういう完全なる、
絶対的な、愛する子女として誇らんがため、たたえんがためなのです。
「見よ、我が子はこうだ」とたたえんがためなのです。
☆
そういうことがありますので、先生がこの復帰の摂理を解いていくには、
先生御自身もアダム家庭やノアの家庭やアブラハムの家庭での
摂理を通じて私たちが学んだように、
心を少しもゆるめることのできない生活の延長だということを、
私たちは考えていかねばなりません。
☆
時の重大なことに対しては、諸先生からも聞いていると思います。
現実というものは、非常に厳しいものです。
ですから現実の中にあって、いつもその観念、理想と現実とが合わない、
それで非常に苦しいのです。そういうことで、
この現実をいかに勝利していくかということに対して、
皆さんも苦労していると思います。
私たちの内面に、また周囲に起こるいろいろな現象があります。
仕事をする時に、気が合わないとか、そういうことが色々起こるのです。
私たちの願わないことが起こるのです。
そういうことに対して、皆さんは逃れようとしないで、
いかに勝利していくかということに心を遣っていただきたいと願います。
☆
一つの例をとって話しましょう。
兄弟が私を苦しめるということがあるとします。
あるいは社会においても、対人関係で色々そういうことがあるでしょう。
家庭の中にもあるでしょう。
とにかく私の心を苦しめることがあるとした場合には、
必ずそれを自分を中心に解決しようとしてはいけません。
全体の、すべての問題を、自分を中心として解決するなということなのです。
それは深く戒めなければいけない問題です。
絶対に、それでは解決ができないというのです。
☆
そこで私は七七七双の祝福家庭の人たちに、
祝福記念日に一応お話ししたのですけれども、
人が私を苦しめるとすれば、常にこう考えてほしいのです。
自己を中心とせず、常に神を中心とし、先生を中心として考えるということです。
み旨を中心とするということです。
人が私を苦しめるのは良くないことです。
これを教えてやらなければいけないという時、それを感じ取ったのは自分です。
自分というものがあって感じ取るのですが、
解決の時には自分を先にして絶対に解決するなというのです。
問題視するのは自分ですが、その問題解決には自分を介入してはいけないのです。
ということは自分を苦しめる人を、
その人のこととしてだけ考えないで自分自身であると考えるのです。
そして苦しめられる自分の立場を神様として、
あるいは先生として考えるのです。
☆
イエス様と同様、真の父母様も
私たちを愛し、許してくださっています。
今回行われる聖酒式が何よりもそれを示しています。
お母様が四大聖物を下賜してくださいましたが、
その背後にどれだけの深い愛と許しがあるのか。。。
そのことを求めていかないといけないと思います。
40日間の条件も、
自分の足らなさばかりが出てきて。。。
それでも、いろんなことを事実は事実として、
神様、父母様が私たちにかけられている願い
時の重要性を思い出して、
自分の思いではなく、神様とみ旨中心として
絶対にあきらめないでいきたいと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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