2016年07月20日

わかってあげたい! 「ウリヌン ハナダ」の親子関係に!!  教会に距離を置く2世たち 3


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教会に距離を置く2世たちに対し
親はどのように接したらいいのでしょうか──

子女教育講座青年期編、『原理的人生観と縦的軸 実践編』
「2世青年の再教育」四つの課題、
残りの二つの課題についてお伝えします。


3つ目は、二世はこうであって欲しいという期待が要求に変わっている場合です。

二世は原罪は無いと言っても個性を完成して生まれてくる訳ではありません。
二世に対して大変期待する気持ちはわかりますが、それが要求になっている場合です。

よく、「二世は神の子だからこうあるべきだ」と言ってみたり、
逆に「二世なのにこんなことも出来ないの?」と否定してみたり、
極端な場合「あなたは神の子では無い、サタンの子よ」と言ってしまう場合もあります。

理想に近づくには教育して上げる、投入してあげるべきですがそれを十分にせずに、
要求するとなればヒドイ話しです。
子供たちは「二世で生まれなければ良かった」となってしまいます。

あるお母さんは「あなたは二世だからハーバード大学よ」と口癖のように言い、
その子供はたいへん苦しんでいました。
まさに自分のことは棚に上げておいてという話です。


親としては、二世に要求するのではなく、
二世の価値を発揮出来るように信じて投入するという姿勢に変わるべきです。

原理講論には、個性真理体という言葉が出てきます。
子女を愛し個性真理体を確立させる必要があります。

個性真理体を確立すれば、「自分はここにいるべき存在だ」
「周りの人は自分の存在を喜んでくれている」
「自分の存在が家族に幸福をもたらしている」
「私は自分が好きだ」
「自分を愛してくれる人がいる」という感情を抱くことができるのです。

そのように愛して投入していきましょう。


4つ目は、何を言っても反発される、どうしたらいいのだろう?
と半ば諦めているという場合です。

つまり、原理で解かれている理想家庭実現への決意が薄れ、
夫婦間、親子間でもコミュニケーションが成立せず、
親子間の信頼も崩れている。

しかし、あれこれやってはダメよ、修練会があるから参加しなさい、
そろそろ祝福受けなさいなどなど、
親の願いを一方的に伝えるとなれば当然子供たちは反発し、
親は何を考えているのかさっぱり分からない。となるのです。

当然親も子供たちの気持ちがさっぱり分からず、
どの様に接したらよいのか戸惑ってしまっているのです。


原理の根本に立ち返り、まず理想家庭実現への決意を固める、
そのためにみ言を学ぶ必要があれば親が修練会へ参加すべきでしょう。

それを動機に夫婦間のコミュニケーションを積極的に持つように努力し、
親子間のコミュケーションをもち信頼回復に向けて投入してください。

コミュニケーションではよく話を聞くことに徹して見てください。
どうしても子供とのコミュニケーションが成立しない場合
は手紙を書いてあげる事もいいと思います。

1度で無理なら何度でも書いてあげましょう。
何年かかるか分かりませんが何年でも投入する気持ちで臨んでください。
その土台で始めて親の願いに対して子女も耳を傾けてくれるようになるはずです。



最初にお伝えしなかったと思うのですが、
この文章は、私の個人的な考えではなく、
本部の青年担当部長さんのお話です。
この方は二世ですから、鋭い観点でのお話しとなっていると思います。

今回は4つに分けてのお話でしたが、
100組の親子がいれば、100通りのストーリーがありますし
それは同じ親から生まれた兄弟でも大きく違います。

ですから、「四つだけではない」
そのようにご指摘いただいてもいますが、
一つの意見として見ていただければと思います。

ただ、親の問題が大きいということは、
認識していくべき部分であるとも感じています。

それにしても、二世に対して
あまりにも要求が強い例が挙げられていましたが、
少なからず私たちにもそのような傾向があると思うと、
親はずいぶんと二世を苦しめているようです。。。

多田部長が以前、語っておられました。
「人類歴史上、初めて、一世が
二世(祝福子女)を育てていく時が来た」

私たちは、生まれてみ言を知ったのではなく、
青年時代にみ言を受けて、この道に来た者たちです。

それに比べて、二世たちは、
生まれると同時に「神の子女」なのですが、
環境的には、サタン圏の中に住んでいます。
このことも一つの問題だと思います。

正しい環境を二世たちに与えることのできなかった、
私たち一世の責任は大きいと思います。
ただ、二世のそういう環境を一番心痛く思い、苦しんでいるのは
親たち一世なのではないでしょうか。

子供の苦しみをどうすることもできない親の立場、それは神様と同じ立場です。
祝福子女を育てる立場は、歴史上誰も経験していません。
みなが初めての経験をしているわけです。

家庭に神様をお迎えできる時が来ました。
だから、それぞれの教会もあえて、
「○○家庭教会」となっています。
なぜならば「家庭」に天運があるからです。

時代が変わったのだということを
ハッキリと認識して、
天運の中で、子女に向き合っていきたいと思います。


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