昨日は、7月20日。
皆さんもご存じのように、
真のお父様がダンベリーに入られたのが、
1984年7月20日のことでした。
そして、7月20日といえば、草創期の頃、
毎年開拓伝道に出発した貴い日です。
大先輩たちは片道切符で、
精誠を捧げていかれました。
今回は、その大先輩の一人、
777双の小室宏之先生の証しを紹介します。
西川先生が最初の礼拝をしたのが、1959年の10月。
1960年、真の父母様の御聖婚後
松本ママが復帰されますが、その直接の霊の子の一人です。
☆
私が統一教会に入教したのは、1960年10月です。
私が神様に召命されたということを実感するのは、
大学生のとき健康管理と修行を目的として、
十二日間と八日間の断食をした後に、
松本道子さん(通称、松本ママ)に伝道されたからです。
高校時代は、東京大学に行こうと勉強していたのですが、
「赤門(東京大学の俗称)」よりも
「白門(中央大学の俗称)」のほうがよいと思って
中央大学法学部に入学しました。
そして弁護士になって困っている人のために生きようと、
司法試験の勉強を一生懸命にしていたのです。
☆
しかし勉強すればするほど悩みが生じてきました。
人間が人間を裁くことができるのか、
善と悪の判断は何によって決まるのかなどの問題で、
非常に悩み苦しんだのです。
この問題を解決しないと、法律を勉強して
司法試験を受ける気持ちにもなれませんでした。
それで二年のときに、四年の法哲学の講座に参加して、
刑事訴訟法や民事訴訟法などを学び
自分の疑問を解決したいと思ったのです。
法哲学の先生にも随分と質問をしましたが、
納得のいく解答が得られませんでした。
善悪について説いている宗教の門を
叩かなければならないとも思いましたが、
宗教団体に入るのには抵抗があったのです。
☆
当時、中央大学は御茶ノ水駅の近くにあり、
近くにキリスト学生会館がありました。
ある日、そこで「キリスト教に入らなくてもいいから、
聖書の勉強をしたい人は来てください」
という内容の聖書研究会の広告を見たのです。
そこで聖書研究会に通い続け、聖書の勉強をしていました。
そこに松本道子さんが、大学生を伝道しようと思って
キリスト学生会館の聖書研究会に来ていたのです。
不思議なおばさんが来ていると思っていました。
☆
ある日、私はその聖書研究会で牧師さんに、
次のような質問をしたことがあります。
「なぜ、全知全能の神の子であるイエス様が、
十字架にかからなければならなかったのですか?
全知全能であれば、十字架を避けられたのではないでしょうか?
今のキリスト教は、『イエス様の十字架によって世界が救われた』
と言っていますが、救われた世界になぜ刑務所があり、
裁判が必要なのでしょうか?
それでは救われていないのではないでしょうか?」。
この質問に牧師さんは、しどろもどろになって答えられないのです。
そのときそこにいた松本さんは、いらいらするようにして
「学生さん、学生さん。それは……」と、説明しようとしたのです。
私はそのとき、松本さんの立場も価値も分かっていなかったので、
「おばちゃんは、黙っててください。
私は今、牧師さんに質問しているのです」
と言って、松本さんが語ろうとするのを退けました。
そのときが1960年10月でした。
☆
その日、聖書研究会が終わって、御茶ノ水駅に向かって歩いていると、
松本さんは私の後を追いかけてきました。
「学生さん、学生さん。あなたの質問は素晴らしいです。
あの牧師さんに、答えられるわけがありません。
あの牧師さんが答えられない問題を、
明確に教えてくださる先生が日本にただ一人だけいます。
そこに行きませんか?」と誘われたのです。
それで私が、「そこは、どんな教会ですか?」
と尋ねると、「それは、行ってみれば分かります」と言われました。
それで、そのときに行くのはやめて、
10月26日に、中央線の大久保駅の改札口で
待ち合わせる約束をして別れたのです。
☆
10月26日、私は待ち合わせの時間どおりに
大久保駅の改札口に行きました。
そこで松本さんと出会い、教会に向かったのです。
私は素晴らしい大きな教会に連れて行ってもらえる
とばかり思って、ついて行きました。
確かに大きな建物があったのですが、その前を通り過ぎて行きます。
「あれ?」と思っていると、長屋みたいに粗末な建物に
「統和社」という看板が掛かっていました。
ガラスにはひびが入り、そこに紙が貼ってある建物に入りました。
私は「おばちゃん、早く行こうよ」と言ったのです。
すると松本さんは、「申し訳ないけど、私ちょっと用事があるから、
ここの事務所でいすに座って待っていてくれない?」と言うのです。
松本さんは事務所の奥のほうに行って、だれかを呼んで来ました。
事務所の奥が印刷工場になっていたのです。
松本さんは、作業服を着た若々しい、
きりっとした顔の印刷工を連れて来ました。
松本さんは私に、「私が帰ってくるまで、このかたと話をしていてください。
すぐに帰ってくるから」と言って、出掛けてしまったのです。
☆
私は松本さんが帰ってきてから、恐らく素晴らしい教会に
連れて行ってもらえるのであろうとばかり思っていたので、
暇つぶしにその印刷工の人と話をしていました。
そのうちに、いつの間にかキリスト教の話になっていました。
この印刷工の人は、随分キリスト教のことを知っていると思ったので、
この前、牧師さんにした内容と同じ質問をしてみたのです。
「全知全能の神の子イエス様が、
なぜ十字架にかからなければいけなかったのか」
そして、「イエス様が十字架でこの世界を救ったと言うが、
なぜ刑務所があり犯罪があるのか」という内容です。
そのときその印刷工が、非常に分かりやすく、明快に答えてくれました。
この回答を聞いて、随分、教養のある印刷工の人であると思いました。
身なりはみすぼらしくても、素晴らしい答え方をしてくれるので、
次から次と今まで疑問に思っていたことを質問し続けたのです。
それらの質問に対しても、納得の行く回答を
してくれるのでうれしくなってきました。
統和社内の情景といえば、四十ワットの薄暗い裸電球と、
ひびが入った畳一枚くらいの大きさの黒板と、
チョークが置いてありました。
いすに張られた布は破けており、
そのほかに丸いいすが二個置いてある本当に粗末な事務所でした。
広さは六畳か八畳くらいでしょうか。
☆
私は質問に答えてもらったのがうれしくて、時のたつのも忘れていました。
しばらくして、松本さんが帰ってきたのです。
「おばちゃん、随分待たせたね。早く教会に行こう」
と言うと、松本さんはがっかりしたような顔をして、
「学生さん、このかたに質問をしましたか?」と言われました。
「しましたよ」
「どうでしたか?」
「とても素晴らしい話でした」
「良かったですね。明日もここに来ませんか?」と、松本さんが言うのです。
聖書のことを知っているのなら来てみようと思って、
「いいですよ」と言って別れました。
後で、その印刷工の人が西川勝先生だと分かったのですが、
そのときはどのような人かは全く分かりませんでした。
でも西川先生は姿勢がよく、目は清らかで、
口元はきりっとしており、非常に気品のある顔をしていました。
それに話の内容が良かったので、外的にはみすぼらしくても、
つまずかなかったのではないかと思います。
☆
松本ママの伝道方法ってすごいなぁ、と思わされます。
純粋に神様が働いたともいえるでしょうか。
そして、小室先生のような純粋に真理を求めている人が来るというのも、
神様の役事だと思うし、
また、松本ママの霊的条件があってのことだと思います。
さらには、西川先生の精誠の賜物であるとも感じます。
明日に続きます。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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