2016年07月21日

真理に詳しい印刷工の正体は?! 不思議なおばさん、松本ママに連れられ教会へ 《小室先生の証し》1


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昨日は、7月20日。
皆さんもご存じのように、
真のお父様がダンベリーに入られたのが、
1984年7月20日のことでした。

そして、7月20日といえば、草創期の頃、
毎年開拓伝道に出発した貴い日です。
大先輩たちは片道切符で、
精誠を捧げていかれました。

今回は、その大先輩の一人、
777双の小室宏之先生の証しを紹介します。

西川先生が最初の礼拝をしたのが、1959年の10月。
1960年、真の父母様の御聖婚後
松本ママが復帰されますが、その直接の霊の子の一人です。


私が統一教会に入教したのは、1960年10月です。

私が神様に召命されたということを実感するのは、
大学生のとき健康管理と修行を目的として、
十二日間と八日間の断食をした後に、
松本道子さん(通称、松本ママ)に伝道されたからです。

高校時代は、東京大学に行こうと勉強していたのですが、
「赤門(東京大学の俗称)」よりも
「白門(中央大学の俗称)」のほうがよいと思って
中央大学法学部に入学しました。

そして弁護士になって困っている人のために生きようと、
司法試験の勉強を一生懸命にしていたのです。


しかし勉強すればするほど悩みが生じてきました。
人間が人間を裁くことができるのか、
善と悪の判断は何によって決まるのかなどの問題で、
非常に悩み苦しんだのです。

この問題を解決しないと、法律を勉強して
司法試験を受ける気持ちにもなれませんでした。

それで二年のときに、四年の法哲学の講座に参加して、
刑事訴訟法や民事訴訟法などを学び
自分の疑問を解決したいと思ったのです。

法哲学の先生にも随分と質問をしましたが、
納得のいく解答が得られませんでした。

善悪について説いている宗教の門を
叩かなければならないとも思いましたが、
宗教団体に入るのには抵抗があったのです。


当時、中央大学は御茶ノ水駅の近くにあり、
近くにキリスト学生会館がありました。

ある日、そこで「キリスト教に入らなくてもいいから、
聖書の勉強をしたい人は来てください」
という内容の聖書研究会の広告を見たのです。
そこで聖書研究会に通い続け、聖書の勉強をしていました。

そこに松本道子さんが、大学生を伝道しようと思って
キリスト学生会館の聖書研究会に来ていたのです。
不思議なおばさんが来ていると思っていました。


ある日、私はその聖書研究会で牧師さんに、
次のような質問をしたことがあります。

「なぜ、全知全能の神の子であるイエス様が、
十字架にかからなければならなかったのですか? 
全知全能であれば、十字架を避けられたのではないでしょうか? 
今のキリスト教は、『イエス様の十字架によって世界が救われた』
と言っていますが、救われた世界になぜ刑務所があり、
裁判が必要なのでしょうか? 
それでは救われていないのではないでしょうか?」。

この質問に牧師さんは、しどろもどろになって答えられないのです。

そのときそこにいた松本さんは、いらいらするようにして
「学生さん、学生さん。それは……」と、説明しようとしたのです。

私はそのとき、松本さんの立場も価値も分かっていなかったので、
「おばちゃんは、黙っててください。
私は今、牧師さんに質問しているのです」
と言って、松本さんが語ろうとするのを退けました。

そのときが1960年10月でした。


その日、聖書研究会が終わって、御茶ノ水駅に向かって歩いていると、
松本さんは私の後を追いかけてきました。

「学生さん、学生さん。あなたの質問は素晴らしいです。
あの牧師さんに、答えられるわけがありません。
あの牧師さんが答えられない問題を、
明確に教えてくださる先生が日本にただ一人だけいます。
そこに行きませんか?」と誘われたのです。

それで私が、「そこは、どんな教会ですか?」
と尋ねると、「それは、行ってみれば分かります」と言われました。

それで、そのときに行くのはやめて、
10月26日に、中央線の大久保駅の改札口で
待ち合わせる約束をして別れたのです。


10月26日、私は待ち合わせの時間どおりに
大久保駅の改札口に行きました。

そこで松本さんと出会い、教会に向かったのです。
私は素晴らしい大きな教会に連れて行ってもらえる
とばかり思って、ついて行きました。
確かに大きな建物があったのですが、その前を通り過ぎて行きます。

「あれ?」と思っていると、長屋みたいに粗末な建物に
「統和社」という看板が掛かっていました。
ガラスにはひびが入り、そこに紙が貼ってある建物に入りました。

私は「おばちゃん、早く行こうよ」と言ったのです。
すると松本さんは、「申し訳ないけど、私ちょっと用事があるから、
ここの事務所でいすに座って待っていてくれない?」と言うのです。

松本さんは事務所の奥のほうに行って、だれかを呼んで来ました。
事務所の奥が印刷工場になっていたのです。
松本さんは、作業服を着た若々しい、
きりっとした顔の印刷工を連れて来ました。

松本さんは私に、「私が帰ってくるまで、このかたと話をしていてください。
すぐに帰ってくるから」と言って、出掛けてしまったのです。


私は松本さんが帰ってきてから、恐らく素晴らしい教会に
連れて行ってもらえるのであろうとばかり思っていたので、
暇つぶしにその印刷工の人と話をしていました。

そのうちに、いつの間にかキリスト教の話になっていました。
この印刷工の人は、随分キリスト教のことを知っていると思ったので、
この前、牧師さんにした内容と同じ質問をしてみたのです。

「全知全能の神の子イエス様が、
なぜ十字架にかからなければいけなかったのか」
そして、「イエス様が十字架でこの世界を救ったと言うが、
なぜ刑務所があり犯罪があるのか」という内容です。

そのときその印刷工が、非常に分かりやすく、明快に答えてくれました。
この回答を聞いて、随分、教養のある印刷工の人であると思いました。

身なりはみすぼらしくても、素晴らしい答え方をしてくれるので、
次から次と今まで疑問に思っていたことを質問し続けたのです。
それらの質問に対しても、納得の行く回答を
してくれるのでうれしくなってきました。

統和社内の情景といえば、四十ワットの薄暗い裸電球と、
ひびが入った畳一枚くらいの大きさの黒板と、
チョークが置いてありました。
いすに張られた布は破けており、
そのほかに丸いいすが二個置いてある本当に粗末な事務所でした。
広さは六畳か八畳くらいでしょうか。


私は質問に答えてもらったのがうれしくて、時のたつのも忘れていました。
しばらくして、松本さんが帰ってきたのです。

「おばちゃん、随分待たせたね。早く教会に行こう」
と言うと、松本さんはがっかりしたような顔をして、
「学生さん、このかたに質問をしましたか?」と言われました。
「しましたよ」
「どうでしたか?」
「とても素晴らしい話でした」
「良かったですね。明日もここに来ませんか?」と、松本さんが言うのです。
聖書のことを知っているのなら来てみようと思って、
「いいですよ」と言って別れました。

後で、その印刷工の人が西川勝先生だと分かったのですが、
そのときはどのような人かは全く分かりませんでした。

でも西川先生は姿勢がよく、目は清らかで、
口元はきりっとしており、非常に気品のある顔をしていました。
それに話の内容が良かったので、外的にはみすぼらしくても、
つまずかなかったのではないかと思います。



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真のお父様と崔奉春(西川勝)先生




松本ママの伝道方法ってすごいなぁ、と思わされます。
純粋に神様が働いたともいえるでしょうか。

そして、小室先生のような純粋に真理を求めている人が来るというのも、
神様の役事だと思うし、
また、松本ママの霊的条件があってのことだと思います。
さらには、西川先生の精誠の賜物であるとも感じます。

明日に続きます。



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