小室先生の証し、続編です。
☆
それから毎日、統和社に通いました。
私が三回目に統和社に行ったとき、小河原節子さん(現、桜井節子さん)が、
ちょうど「メシヤ論」の講義を聴いていました。
そのときここに来ている人もいると思って安心し、
毎日、通うことができたのです。
☆
私は講義の中では、「創造原理」が大好きでした。
西川先生は、一回の講義でチョークが何本も折れるほど、
黒板にチョークを叩きつけて文字を書き大声で講義をされました。
その情熱あふれる講義を聴きながら、
いつの間にか私の心は解けてきました。
熱が物を溶かすのと同じように、
情熱が人の心を動かすことをそのとき悟らされました。
法学部の学生は、理屈屋が大半です。
みんな弁護士や裁判官、検事を目指しているので、
理屈では絶対に負けないという自信を持っています。
私はあまり屁理屈のような質問はしなかったほうですが、
それでも随分、西川先生を質問責めにしていじめたようです。
それは、納得が行くまで知りたかったからです。
☆
「堕落論」を聴いたときは、
当たり前のことを言っているのではないかと思いました。
というのは、私の母が学校の教頭だったので、
母は「結婚前に、不倫な関係を持ってはいけない」
と、しょっちゅう教えてくれていたからです。
そのことが自分の心にしみ込んでいたので、
「堕落論」には、あまり感動しなかったのです。
講義の中では、「創造原理」と「メシヤ論」に感動しました。
イエス様の十字架の真相が分かってくると、とてもうれしく思いました。
☆
講義を一通り聴いたといっても、
そのころは真のお父様についての証しはありません。
あくまでも、メシヤが来ているかもしれない、来ていないかもしれない、
という程度で、講義が終わるのです。
後は、自分で悟らなければなりませんでした。
☆
私がメシヤはすでに来ていると思ったのは、
講義を聞き終わった後に、ある夢を見せられたからです。
それは、長いトンネルみたいな中をくぐって行く夢でした。
小さい門をくぐって行くと、そこには部屋があり、
その部屋の中に入ると大きな写真が二枚掛かっていました。
どちらも同じ顔をしていました。
すると案内してくれた人が、「小室さん、どちらがメシヤだと思いますか?」
と質問するのです。
私は同じ顔をしているが、やはり少しでも
光り輝いているような顔をしている写真の方を指して、
「このかたです」と言うと、
「学生さん、よく分かりましたね。
そうですよ、このかたがメシヤです」と言われました。
それで西川先生がメシヤの再臨について隠していても夢を通して、
メシヤは来られていると悟らされたのです。
☆
さらに再臨主がいかなるかたであるかということを知ったのは、
西川先生が用事があって外出されたとき、
西川先生がいつも愛用していた金で装飾された聖書を
手に取って開いて見たときです。
聖書の中に一枚の写真がありました。
それはみすぼらしい服を着ている人が、岩の上に立っている写真でした。
その写真を見たとき、あれ夢で見たかたと同じではないか。
ああ、やはりこのかたが、再臨のメシヤなのだと思ったのです。
そのときは驚きと同時に、とても喜びが込み上げてきました。
西川先生は当時、メシヤの再臨については言葉に注意して講義をされました。
それは、相手をつまずかせないための西川先生の配慮でした。
中央大学からも、YMCA(キリスト教青年会)からも、
素晴らしい学生が何人も来て講義を聴いたのですが、
やはりイエス様の十字架の問題で悩んで、来なくなっていたからです。
☆
私は講義を聴くのがうれしくて、家に帰るのが
いつも夜中の十二時過ぎになりました。
ある日、母は私の帰りが遅いことを心配して、
遅くなる理由について尋ねてきたことがあります。
私は「将来の司法試験の勉強のために、図書館で勉強しています」と答えたのです。
そのころの統和社での食事は、とても粗末でした。
明日の食べるお米がないときもありました。
私はいつも弁当を持って大学に行っていましたが、
教会での食事があまりにも粗末なのを見かねて、
母に「このごろ大学で剣道をやっているから、
おなかが空いてたまらないので、でかい弁当箱にしてほしい」
と言って、ご飯もおかずもたくさん詰めてもらいました。
昼食には、その弁当には手を着けず、一杯三十円のラーメンを食べ、
弁当は統和社に持って行き、皆に分けてあげたのです。
西川先生は、そのことをとても喜んでくださいました。
☆
昔の先輩たちは、小室先生のように、
霊的な証しが多かったとよく聞きます。
2000年間のキリスト教の精誠の基台、
それが現れた一つの象徴だと思います。
しかし、真のお父様が来られている、
再臨主が今、来られている。。。
そのことを昔はハッキリと証すことができませんでした。
お父様のお写真を見ると、
「目がつぶれる・・・」なんて言われることもあったとか(笑)
それだけお父様の存在を証すことが
簡単ではなかったのだと思わされます。
お弁当のエピソードは聞いたことがありましたけど、
今では考えられない環境だったのですね。。。
そういう先輩たちの苦労の土台で、
今があるということを忘れてはならないと思います。
だいぶ長くなると思いますので、
明日以降、不定期に続きます。。。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)