2016年07月22日

講義に感動!! メシヤを証されずして、夢で逢う! 《小室先生の草創期の証し》2


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小室先生の証し、続編です。


それから毎日、統和社に通いました。

私が三回目に統和社に行ったとき、小河原節子さん(現、桜井節子さん)が、
ちょうど「メシヤ論」の講義を聴いていました。

そのときここに来ている人もいると思って安心し、
毎日、通うことができたのです。


私は講義の中では、「創造原理」が大好きでした。
西川先生は、一回の講義でチョークが何本も折れるほど、
黒板にチョークを叩きつけて文字を書き大声で講義をされました。

その情熱あふれる講義を聴きながら、
いつの間にか私の心は解けてきました。
熱が物を溶かすのと同じように、
情熱が人の心を動かすことをそのとき悟らされました。

法学部の学生は、理屈屋が大半です。
みんな弁護士や裁判官、検事を目指しているので、
理屈では絶対に負けないという自信を持っています。

私はあまり屁理屈のような質問はしなかったほうですが、
それでも随分、西川先生を質問責めにしていじめたようです。
それは、納得が行くまで知りたかったからです。


「堕落論」を聴いたときは、
当たり前のことを言っているのではないかと思いました。

というのは、私の母が学校の教頭だったので、
母は「結婚前に、不倫な関係を持ってはいけない」
と、しょっちゅう教えてくれていたからです。

そのことが自分の心にしみ込んでいたので、
「堕落論」には、あまり感動しなかったのです。
講義の中では、「創造原理」と「メシヤ論」に感動しました。
イエス様の十字架の真相が分かってくると、とてもうれしく思いました。


講義を一通り聴いたといっても、
そのころは真のお父様についての証しはありません。

あくまでも、メシヤが来ているかもしれない、来ていないかもしれない、
という程度で、講義が終わるのです。
後は、自分で悟らなければなりませんでした。


私がメシヤはすでに来ていると思ったのは、
講義を聞き終わった後に、ある夢を見せられたからです。

それは、長いトンネルみたいな中をくぐって行く夢でした。
小さい門をくぐって行くと、そこには部屋があり、
その部屋の中に入ると大きな写真が二枚掛かっていました。
どちらも同じ顔をしていました。

すると案内してくれた人が、「小室さん、どちらがメシヤだと思いますか?」
と質問するのです。

私は同じ顔をしているが、やはり少しでも
光り輝いているような顔をしている写真の方を指して、
「このかたです」と言うと、
「学生さん、よく分かりましたね。
そうですよ、このかたがメシヤです」と言われました。

それで西川先生がメシヤの再臨について隠していても夢を通して、
メシヤは来られていると悟らされたのです。


さらに再臨主がいかなるかたであるかということを知ったのは、
西川先生が用事があって外出されたとき、
西川先生がいつも愛用していた金で装飾された聖書を
手に取って開いて見たときです。

聖書の中に一枚の写真がありました。
それはみすぼらしい服を着ている人が、岩の上に立っている写真でした。
その写真を見たとき、あれ夢で見たかたと同じではないか。
ああ、やはりこのかたが、再臨のメシヤなのだと思ったのです。
そのときは驚きと同時に、とても喜びが込み上げてきました。

西川先生は当時、メシヤの再臨については言葉に注意して講義をされました。
それは、相手をつまずかせないための西川先生の配慮でした。

中央大学からも、YMCA(キリスト教青年会)からも、
素晴らしい学生が何人も来て講義を聴いたのですが、
やはりイエス様の十字架の問題で悩んで、来なくなっていたからです。


私は講義を聴くのがうれしくて、家に帰るのが
いつも夜中の十二時過ぎになりました。

ある日、母は私の帰りが遅いことを心配して、
遅くなる理由について尋ねてきたことがあります。
私は「将来の司法試験の勉強のために、図書館で勉強しています」と答えたのです。

そのころの統和社での食事は、とても粗末でした。
明日の食べるお米がないときもありました。

私はいつも弁当を持って大学に行っていましたが、
教会での食事があまりにも粗末なのを見かねて、
母に「このごろ大学で剣道をやっているから、
おなかが空いてたまらないので、でかい弁当箱にしてほしい」
と言って、ご飯もおかずもたくさん詰めてもらいました。

昼食には、その弁当には手を着けず、一杯三十円のラーメンを食べ、
弁当は統和社に持って行き、皆に分けてあげたのです。
西川先生は、そのことをとても喜んでくださいました。



昔の先輩たちは、小室先生のように、
霊的な証しが多かったとよく聞きます。
2000年間のキリスト教の精誠の基台、
それが現れた一つの象徴だと思います。

しかし、真のお父様が来られている、
再臨主が今、来られている。。。
そのことを昔はハッキリと証すことができませんでした。
お父様のお写真を見ると、
「目がつぶれる・・・」なんて言われることもあったとか(笑)
それだけお父様の存在を証すことが
簡単ではなかったのだと思わされます。

お弁当のエピソードは聞いたことがありましたけど、
今では考えられない環境だったのですね。。。
そういう先輩たちの苦労の土台で、
今があるということを忘れてはならないと思います。

だいぶ長くなると思いますので、
明日以降、不定期に続きます。。。

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