小室先生の証し。
今回は、澤浦先生を伝道された時の証しです。
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西川先生の講義に燃えて澤浦先輩を伝道
西川先生の講義に燃えて澤浦先輩を伝道
私が統和社に三回目に行ったとき、桜井節子姉がいたことはお話ししましたが、
何回目かに行ったときには増田勝さんがいました。
このとき男性も来ていると思い、非常にうれしかったことを覚えています。
そのころ増田さんは、一通り講義を聴き終わっていて
礼拝に来ているようでした。
礼拝は統和社ではなく、統和社の近くにあった
矯風会館の一室を借りて行っていました。
そこには年配の素晴らしい夫婦も参加していました。
大体、七、八人が礼拝に参加していたのです。
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矯風会館でも統和社から次に引っ越した所でも、
西川先生は大きな声で説教されました。
三階とか五階を借りて礼拝をすれば、一階にいても
西川先生の声が聞こえてくるほどでした。
西川先生の情熱たるや大変なものでした。
ですから当時、西川先生は結核を少し患っていたようですが、
それは情熱で吹き飛んでいったのでしょう。
西川先生はどんなに生活が貧しくても、
サタンから絶対に讒訴されない歩みをすることを、常に心掛けていました。
ですから、人がだれも見ていなくても、絶対に不正なことはしなかったのです。
文先生の伝統をちゃんと引き継いでいました。
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西川先生はいつも、
「このようなみすぼらしい部屋で講義を聴いて、つまずくような人はだめだ。
本当の義人は、こういう部屋で講義を聴いてもつまずかない」
ということを、口癖のように言っていました。
やはりそのような環境でみ言を聴き続けた人が、今も統一教会に残っています。
増田勝兄、桜井節子姉、澤浦秀夫兄(二〇〇五年昇華)、
岩井裕子(現、神山裕子)姉、春日千鶴子(現、ロニオン・千鶴子)姉、
それから別府美代子(一九七二年昇天)姉たちです。
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西川先生の気迫あふれる講義で燃えた私が、伝道をするために
一週間断食をしながら、中央大学で
「神様と世界に貢献できるかたと出会わせてください」と祈っているとき、
学内の床屋で出会ったのが澤浦秀夫兄でした。
そのとき澤浦兄は、中央大学法学部四年生で
弁護士になるため司法試験の勉強を一生懸命にしていました。
法律においても話術においても、私よりも数段優れていたので、
必死に祈りながら聞き役となり、質問話法で澤浦兄を伝道したのです。
声をかけても、連絡先は教えてくれず、
司法試験の勉強で図書館通いをしてることが分かったので、
毎日3時間、2ヶ月間にわたり図書館で待ち続けて、何度か声をかけ
「法律の目的は何か?善悪の判断基準は何か?」などと質問、
答えを迫られたのをかわして、伝道しました。
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一九六〇年十二月六日に、西川先生に澤浦兄を紹介すると、
彼は真剣に講義を聞き始めました。
西川先生は「日本人が日本人を初めて伝道してくれたね」と言われ、
本当に心から喜んでくださいました。
今でもその時の西川先生のうれしそうな顔を忘れることができません。
澤浦兄は銀行に勤めながら、伝道活動をしようと考えていました。
しかし彼は、「原理」を深く学ぶにつれ自ら今何をすべきかを悟り
大学を卒業して間もなく、管理職として就職した銀行と弁護士への道を
すべて神様にささげて、男性の中で最も早くみ旨を献身的に歩むようになったのです。
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澤浦兄は、父親を早くに亡くしていたため、
実のお兄さんが澤浦兄の父親のような存在でした。
お兄さんは、澤浦兄が大学を卒業した後には、銀行に勤め
司法試験にも合格してほしいと望んでいました。
澤浦兄が家(群馬県伊勢崎市)を出て、教会活動に専念しようとする時には、
並々ならぬ状況下にあったのです。
澤浦兄が、故郷を出て東京に向かおうとする日、
お兄さんが「西川という男に会いに行く」と言いながら追いかけてきたのでした。
澤浦兄は、そのお兄さんに対し
「自分を殺してから、西川先生の所に行ってくれ」と命懸けで訴え、家を離れたのです。
その日が、一九六一年四月二日でした。
そのとき初めてもらった給料袋の封を切らず、給料袋を持って上京しました。
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澤浦兄は、立正佼成会のかたを伝道し、
そのかたが久保木修己先生を伝道することによって、
日本統一教会の発展の基礎を築きました。
真のお父様も西川先生も、澤浦兄を「ザワ」と呼んで深く愛してくださいました。
澤浦兄は、岸信介元総理大臣と福田赳夫元総理大臣に原理講義をしましたが、
自分でしたことを口に出すこともなく謙虚なかたでした。
真のお父様が「統一教会を引っ張っていく男だ」とおっしゃったごとく、
パウロのように活躍されました。
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小室先生の伝道された澤浦先生の霊の子が小宮山先生、
その霊の子が久保木会長です。
また、小室先生の霊の親が松本ママ、
そのまた霊の親が西川先生になるわけですね。。。
久保木会長が復帰されたことにより、
多くの人たちが立正佼成会から導かれて、
日本統一教会の礎が築かれたのです。
小室先生が澤浦先生を伝道する時、
毎日3時間、2か月間、投入したということです。
そのような熱烈なる伝道精神が
大きな基盤を築くきっかけになったのではないかと感じます。
私達も相続していかないといけないな、と思わされます。
これからも不定期に続きます。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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