2016年08月04日

大物を伝道するには?! ──2年半、800日の精誠伝道!! 《小室先生の草創期の証し》6


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天が感動する条件を立てれば、
天が働いてくださる!



小室先生の証し、続編です。



800日間の路傍伝道

私自身はなかなか伝道ができなかったので、
路傍伝道の条件を立てて伝道することにしました。

最初は、400日間、毎日、路傍伝道する条件を立て伝道に出発したのです。

路傍伝道をした場所は、渋谷、新宿、池袋、御茶ノ水、
時には、神奈川県の厚木でやったこともあります。
厚木で路傍伝道したときは、周りは田んぼでした。
蛙がガーガーと鳴く中で、その蛙に向かって訴えたこともあります。

400日間の路傍伝道を全うすると、700日間に延長し、
それが勝利すると、800日間、路傍伝道を続けました。
天が感動する条件を立てれば、天が働いてくださると確信したからです。


その八百日間の期間の中で、天が条件を取ってくださったのか、
松下正寿先生(当時、立教大学総長)と出会い、み言を伝えることができました。

西川先生は、「大物を伝道しなさい」と言われていたので、
クリスチャンの松下先生にみ言を伝えようと、
一週間断食をしながら、松下先生に何度も手紙を書いたのです。

その後、西大久保(東京都新宿区)に教会があったころ、
西川先生が夜遅くまで原稿を書かれ、
兄弟たちで校正しながら作った『原理解説』を持って、
西川先生と一緒に松下先生の自宅を訪問しました。

それ以前も、一人で松下先生の家を訪問したことがあったのですが、
留守でお会いできなかったのです。

松下先生にお会いしたとき、松下先生は
私たちが差し出した『原理解説』を見られて、
「『原理解説』を読ませていただきます」と言われ、本を受け取られました。
そうして、松下先生はみ言を学ばれたのです。

大物を伝道するには、
本当に天が働かなければできないということを実感しました。


その後、ある大手会社の会長を伝道したことがあります。
そのときは、四十日間、毎朝、自転車で自宅まで行き、
手紙をポストに投函しました。
それと同時に、一週間断食をして訪問したのです。

玄関を開けるとすぐ会長が出てこられました。

「私が中大後輩の小室です」と自己紹介すると、
会長は急に笑顔になって「君か、毎日手紙をくれたのは。
ありがとうよ。なぜもっと早く来ないんだ。
どんな人か会いたかった」と言われました。
そして、すぐに部屋に案内してくれたのです。

このとき私は、キリスト教と「勝共」について語り、
愛と真の日本を築いていかなければならないことを訴えました。
会長も中大の先輩だったこともあり、
とても私をかわいがってくださいました。


それからしばらくして、会社の社宅が空いたので
私たちに社宅を貸してくださったことがあります。
そこは三十畳ほどの部屋もあり、十畳ほどの部屋が四部屋ありました。
廊下は長く広く、見事な庭園もあって御殿のような館でした。

1967年7月、真のお父様が福岡を巡回されたとき、
この館に宿泊していただくことができました。

神様は真のお父様が来られることをご存じで、
そのためにこの建物を準備されたように思えるのです。



800日の路傍伝道、本当に並大抵の
決意ではできないことだと思います。

しかし、「天が感動する条件を立てれば、天が働いてくださる」
このことを確信しておられたので、
大物が伝道されたのだと思います。

今は、家庭連合になり、
家庭を中心とした中で、
天運がやってくる時を迎えています。

それでも、私たちは、路傍伝道も
継続して行っています。
そこに神様が待っていて下さると感じています。

小室先生の精誠には、ほど遠いかもしれませんが、
もう、2年半を越えました。
2年半、800という数字にも意味があることを感じます。

今も、私たちの活動を御存知なのか、
全国の教会から連絡が来ます。
「ノボリとかタスキはどのように注文するのですか」

777双のお姉さんたちも毎週、月曜日になると
必ず、渋谷・新宿・池袋と路傍伝道を行っています。

私達も小室先生に負けず、
必ず、勝利の証を立てていきたいと思うのです。



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