小室先生の証し。
今回は、お父様が初来日されたとき、
そこでのお父様との出会いの証しです。
☆
真のお父様が日本留学以後、
初めて来日されたのは一九六五年一月二十八日です。
そのころ本部教会は、南平台町(東京都渋谷区)にありました。
真のお父様をお迎えするために、
学生部のメンバーが中心となって、羽田空港に行きました。
真のお父様が本部教会に到着されたとき、
学生たちが行列をつくってお迎えしたのですが、
私は玄関の前にいたので直接、真のお父様に
「お父様、お帰りなさい」と申し上げることができました。
「先生、お帰りなさい」とは言わなかったのです。
そのころは、真のお父様のことを「大先生」とお呼びしていたのですが、
なぜか、そのとき「お父様」と言わなければいけない思いに駆られて、
「お父様」と申し上げたのでした。
☆
真のお父様に対する私の第一印象は、
若々しくてハンサムであるということです。
真のお父様は、聖歌二十四番の「新エデンの歌」を、
体を揺さぶり手を振りながら何度も歌われました。
それ以来、私は、この聖歌がいちばん好きになったのです。
☆
真のお父様は、私たちを前にして、み言を何時間も語り続けられました。
私は絶対に真のお父様の前では居眠りしてはいけないと思い、
お父様の目を見詰めながらみ言を聴き続けました。
そのためか真のお父様が、私にお話ししてくださっているように
思えたことが何度かあったのです。
真のお父様と一対一でみ言を聴いているように思えたので、
とても緊張しました。
☆
み言を聴く前は、眠らないためとトイレに行かないようにするために、
飲食物を控えました。
兄弟たちが狭い所にぎっしりと座っているので、
いったんトイレに行けば、前のほうには座れなくなるからです。
真のお父様を間近に拝見していて驚いたことは、
お父様はコーラや水をとても多く飲まれるのですが、
トイレには行かれないことです。
十時間以上、み言を語られながら水分を多量に補給しても、
トイレに行かれないのです。
真のお父様の体は、どうなっているのかと不思議に思いました。
☆
み言を語られた後、真のお父様が休まれたのは、
南平台の本部教会の二階でした。
そのころ真のお父様を警備しなければならないという意識は、
ほとんどなかったように感じました。
そのようなとき、私は真のお父様を
サタンからお守りしなければならないという思いで、
お父様が休まれる部屋の前に座って、徹夜祈祷をさせていただきました。
☆
真のお父様が出掛けられるときは、
いつも先に玄関に飛び出していって靴べらをお渡しして、
「行ってらっしゃい」と申し上げてお見送りしたのです。
このようなことをしたのも、
すべて真のお父様と親子の関係を実感したかったからでした。
☆
真のお父様は、南平台に集まった教会員と一人一人、
握手をしてくださいました。
握手していただいたときは、本当にうれしく、
私は思わず両手で真のお父様と握手をしました。
握手だけではありません。
真のお父様は、全員に記念のハンカチを下さったのです。
☆
真のお父様が、日本から米国に出発されたのは、
一九六五年二月十二日でした。
私も見送りに羽田空港に行きましたが、
真のお父様と空港でお別れするとき、
お父様は仕切られたガラスに手を当てられました。
見送りに行った私たちは、真のお父様の手にガラス越しではありましたが、
一人一人、手を合わせたのです。
このようにして、真のお父様は、教会員一人一人を心から愛してくださいました。
ガラス越しに真のお父様と手を合わせたことは、
今でも忘れることができません。
☆
小室先生は、お父様と親子の因縁を結ぶべく、
精誠を立てていかれる姿が素晴らしいと思います。
また、おそらくそれ以上に
お父様は、日本の食口たちに
どれほど会いたかったか、
そして愛の因縁を結びたかったか、
そのことも感じます。
その表れが一人一人にくださったハンカチであり、
ガラス越しの握手だったのだと思います。
お父様とは地上で握手することも
み言を聞くことも出来ないのだな・・・
そんなことを思わされます。
しかし、そのことを羨むよりも、
かつて、金元弼先生がこのように
語られたことを思い出しました。。。
『神様から見たとき、一緒に生活して歩んでいる者と
直接会わないで、み旨を歩んでいる者と
どちらが信頼できるでしょうか。
それは、皆さんのように、一緒にいないにも関わらず、
歩んでいる人を信頼できるというのです』
そのような思いをもって、
お父様に侍っていきたいと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)