2016年08月19日

今日、聖和4周年!! 「オンマ、ありがとう!よろしく頼む!」  《聖和前のご様子とみ言》 


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今日は真のお父様聖和4周年です。
以前も投稿したことがありますが(⤴)、
真のお父様聖和に関して、
その直前のご心境、状況を紹介します。

(可知講師がまとめてくださっているものを
編集しています)


真の御父様が南北統一をなしてから墓参りをして、
聖和したいという夢を捨ててまでも基元節の前に
聖和しなければならなかった理由とは何であったのでしょうか。


「神様が保護する事のできる理想の国で
死ぬべきではないのか?

私がそのように生きていく事ができなければ、
私の生涯は悲惨な生涯ではないだろうか?

だから死ぬ前にその国を取り戻して、
一日でもいいからそこで暮らしてから逝かなければならない」

というのが私の一生の願いです

(2003.2.5)


しかし、「基元節」までに勝利の結果をもたらすことを神様との間に約束しながら、
祝福中心家庭が子女の使命を果たすことができず、
真の父母様の苦脳の日々が続きました。


2011年11月28日に真の御父様は済州島を一周されて、
その夜に寝ることができず、29日の午前3時ごろ、
済州島の責任者たちを呼ばれて、結果が出ていないことに対し叱られました。

訓読会では泣かれながら、話すこともできない状態となり、
食堂に向かうときには号泣しておられました。

そして巨文島に向かうヘリ機の中で
「統一教会をもう一度やり直したい」と言われ、泣き続けられたのです。


2012年に入り、真の御父様は、訓読会で泣かれることが多くなりました。

劉正玉先生が次のように語られています。

「その場に行ってみたら、ご自身に従ってきた者の中で
資格を持った者が誰もいなかった。

父母様は一生を血を流してサタンからの攻撃を防いできたのに、
連れて行くことができる人がいないので、
どれほど胸がつまることでしょうか。

ですから最近の御父様を見てください。
今まで個人的に涙を流すのを見たことがありません。

祈祷するときには、本当にあふるる涙を流すことはありました。
御言を語りながら涙を流すことはほとんどありませんでした。

しかし最近は御言を語りながら、喉がつまって御言を語れない時が多く、
その姿を見せまいとしている姿、そうやって生きておられる父母様です。」

(「原理本体論30日特別教育」2012.7.27)


弟子たちがいかに愚かなものたちだからと言って、
統一教会を滅ぼして、もう一度初めからやり直す事はできません。

そこで弟子たちに心底から自覚させ、決意させ、勝利させるために、
親にとって最後に残された選択の道は一つしかありませんでした。


“親の心、子知らず”という言葉があります。
また「親を養わんと欲すれば、親いまさず」
(親に尽くし得なかったことを、今してあげたいと思っても、
親はもうこの世にいない)(『小学』外篇)という言葉があります。


御言にも重要なみ言があります。


自分たちを育てておいて霊界に行った父母を考えるとき、
一生の間信じることができずに親不孝した、
その親不孝に対する悔い改めの心を
忘れることができないのです。

(2006.1.1)

親が子のために生きてあらゆることを教えても子が悟らなければ、
親が自らを祭物にし、その死によって悔い改めさせ、
子に悟らせて勝利させるしかない、と。


真の御父様は2012年4月27日の天正宮の訓読会で、
以下のように指示されました。

このままでは誰一人、『基元節』に
天の前へ連れて入ることのできる人がいない。

全員が40日断食をしてでも、これまでの歩みを反省し、
悔い改めて、30日原理本体論特別教育に参加し、
氏族的メシヤを勝利して『基元節』を迎えなければならない。

過去のすべての事は問わない。



その後、自らの肉身を祭物とするかのように、
真の御父様は、御自身を極限に追いやるような日々を続けていかれました。

訓読会が延々と続き、食事もとらず、
時には9時間、13時間半と続きました。


真のお母様も、後日、次のように語っておられます。


お父様は元来とても健康なお体でお生まれになられたため、
管理だけでもしっかりされれば
もっと長く生きることが出来たのですが、
最近数年間は一日を千年の如く感じられると語られながら
大変お忙しく動かれました。

…ある時は私の身体の調子が悪くて、
ついて行くことが出来ませんとお伝えしたこともあります。
そうしたらご自身お一人で行かれると言われました。

…そのように無理をする生活を継続して来られました。 

(2012.9.23)


真の御父様は風邪をこじらせて肺炎となり、
かなり咳きこんでおられたため、真のお母様の説得によって、
2012年8月3日に江南のカトリック大学聖母病院に入院されました。

しかし真の御父様は、「何も出来ないここは牢獄だ!」と言われるので、
静かに静養して動かない事を条件に、12日ごろ、
真のお母様が真の御父様を天正宮に戻されました。
しかしその車の中で「今から巨文島に行かなければならない」
「飛行機はどこだ!」等、叫んでおられました。


お母様のみ言です。


8月13日は太陽の日差しが非常に強かったのです。

にも拘らずその痛いほどの日差しを受けられながらも、
一抱えではきかないほどの大きな酸素ボンベを持って
回らなければならない立場であることを御存知でありながら、
しきりに見て回るとおっしゃったのです。

・・そして私の手を掴み
「オンマ、ありがとう!オンマ、よろしく頼む!」
とも語られました。

このようにされたのは何を意味するのでしょうか?

時々御言の中で
「私は行く時になった。私が行く時を知っている」など、
このようなみ言を数多く語られたのですが、
最後にそのような準備をされた期間であったことは
間違いありませんでした。

…少し休んで下さいとお勧めすると
「オンマの膝で横になりたい」と言われながら、
うたた寝をされたりもしました。
健康であられた時は一度もされなかったそのような行動を、
近頃はたくさんされました。

一生涯を通じて誰よりも強く生きてこられたお父様でしたが、
お体が大変になられてからは
供がお母さんを必要として頼ってくるように、
いつも私の側に近くにいたいと言われました



天正宮に戻られても、真の御父様は無理をされ、
再び悪化したため清心病院を経て聖母病院に再び移られました。
病院では治療に苦痛が伴うため、睡眠治療を続けておられましたが、
進展が見られず、環境が整っている清心病院に移動されました。

そして、9月3日、お母様、子女様たちに看取られながら
静かに聖和されていかれました。



もうすぐ、インターネット中継が始まります。
式典が行われる清心平和ワールドセンターに
ともにいるような思いをもって、参加したいと思います。


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posted by ten1ko2 at 08:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする