今日は真のお父様聖和4周年です。
以前も投稿したことがありますが(⤴)、
真のお父様聖和に関して、
その直前のご心境、状況を紹介します。
(可知講師がまとめてくださっているものを
編集しています)
☆
真の御父様が南北統一をなしてから墓参りをして、
聖和したいという夢を捨ててまでも基元節の前に
聖和しなければならなかった理由とは何であったのでしょうか。
☆
「神様が保護する事のできる理想の国で
死ぬべきではないのか?
私がそのように生きていく事ができなければ、
私の生涯は悲惨な生涯ではないだろうか?
だから死ぬ前にその国を取り戻して、
一日でもいいからそこで暮らしてから逝かなければならない」
というのが私の一生の願いです
(2003.2.5)
☆
しかし、「基元節」までに勝利の結果をもたらすことを神様との間に約束しながら、
祝福中心家庭が子女の使命を果たすことができず、
真の父母様の苦脳の日々が続きました。
☆
2011年11月28日に真の御父様は済州島を一周されて、
その夜に寝ることができず、29日の午前3時ごろ、
済州島の責任者たちを呼ばれて、結果が出ていないことに対し叱られました。
訓読会では泣かれながら、話すこともできない状態となり、
食堂に向かうときには号泣しておられました。
そして巨文島に向かうヘリ機の中で
「統一教会をもう一度やり直したい」と言われ、泣き続けられたのです。
☆
2012年に入り、真の御父様は、訓読会で泣かれることが多くなりました。
劉正玉先生が次のように語られています。
「その場に行ってみたら、ご自身に従ってきた者の中で
資格を持った者が誰もいなかった。
父母様は一生を血を流してサタンからの攻撃を防いできたのに、
連れて行くことができる人がいないので、
どれほど胸がつまることでしょうか。
ですから最近の御父様を見てください。
今まで個人的に涙を流すのを見たことがありません。
祈祷するときには、本当にあふるる涙を流すことはありました。
御言を語りながら涙を流すことはほとんどありませんでした。
しかし最近は御言を語りながら、喉がつまって御言を語れない時が多く、
その姿を見せまいとしている姿、そうやって生きておられる父母様です。」
(「原理本体論30日特別教育」2012.7.27)
☆
弟子たちがいかに愚かなものたちだからと言って、
統一教会を滅ぼして、もう一度初めからやり直す事はできません。
そこで弟子たちに心底から自覚させ、決意させ、勝利させるために、
親にとって最後に残された選択の道は一つしかありませんでした。
☆
“親の心、子知らず”という言葉があります。
また「親を養わんと欲すれば、親いまさず」
(親に尽くし得なかったことを、今してあげたいと思っても、
親はもうこの世にいない)(『小学』外篇)という言葉があります。
☆
御言にも重要なみ言があります。
自分たちを育てておいて霊界に行った父母を考えるとき、
一生の間信じることができずに親不孝した、
その親不孝に対する悔い改めの心を
忘れることができないのです。
(2006.1.1)
親が子のために生きてあらゆることを教えても子が悟らなければ、
親が自らを祭物にし、その死によって悔い改めさせ、
子に悟らせて勝利させるしかない、と。
☆
真の御父様は2012年4月27日の天正宮の訓読会で、
以下のように指示されました。
このままでは誰一人、『基元節』に
天の前へ連れて入ることのできる人がいない。
全員が40日断食をしてでも、これまでの歩みを反省し、
悔い改めて、30日原理本体論特別教育に参加し、
氏族的メシヤを勝利して『基元節』を迎えなければならない。
過去のすべての事は問わない。
☆
その後、自らの肉身を祭物とするかのように、
真の御父様は、御自身を極限に追いやるような日々を続けていかれました。
訓読会が延々と続き、食事もとらず、
時には9時間、13時間半と続きました。
☆
真のお母様も、後日、次のように語っておられます。
お父様は元来とても健康なお体でお生まれになられたため、
管理だけでもしっかりされれば
もっと長く生きることが出来たのですが、
最近数年間は一日を千年の如く感じられると語られながら
大変お忙しく動かれました。
…ある時は私の身体の調子が悪くて、
ついて行くことが出来ませんとお伝えしたこともあります。
そうしたらご自身お一人で行かれると言われました。
…そのように無理をする生活を継続して来られました。
(2012.9.23)
☆
真の御父様は風邪をこじらせて肺炎となり、
かなり咳きこんでおられたため、真のお母様の説得によって、
2012年8月3日に江南のカトリック大学聖母病院に入院されました。
しかし真の御父様は、「何も出来ないここは牢獄だ!」と言われるので、
静かに静養して動かない事を条件に、12日ごろ、
真のお母様が真の御父様を天正宮に戻されました。
しかしその車の中で「今から巨文島に行かなければならない」
「飛行機はどこだ!」等、叫んでおられました。
☆
お母様のみ言です。
8月13日は太陽の日差しが非常に強かったのです。
にも拘らずその痛いほどの日差しを受けられながらも、
一抱えではきかないほどの大きな酸素ボンベを持って
回らなければならない立場であることを御存知でありながら、
しきりに見て回るとおっしゃったのです。
・・そして私の手を掴み
「オンマ、ありがとう!オンマ、よろしく頼む!」
とも語られました。
このようにされたのは何を意味するのでしょうか?
時々御言の中で
「私は行く時になった。私が行く時を知っている」など、
このようなみ言を数多く語られたのですが、
最後にそのような準備をされた期間であったことは
間違いありませんでした。
…少し休んで下さいとお勧めすると
「オンマの膝で横になりたい」と言われながら、
うたた寝をされたりもしました。
健康であられた時は一度もされなかったそのような行動を、
近頃はたくさんされました。
一生涯を通じて誰よりも強く生きてこられたお父様でしたが、
お体が大変になられてからは
供がお母さんを必要として頼ってくるように、
いつも私の側に近くにいたいと言われました
☆
天正宮に戻られても、真の御父様は無理をされ、
再び悪化したため清心病院を経て聖母病院に再び移られました。
病院では治療に苦痛が伴うため、睡眠治療を続けておられましたが、
進展が見られず、環境が整っている清心病院に移動されました。
そして、9月3日、お母様、子女様たちに看取られながら
静かに聖和されていかれました。
☆
もうすぐ、インターネット中継が始まります。
式典が行われる清心平和ワールドセンターに
ともにいるような思いをもって、参加したいと思います。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)