2016年08月22日

思い出の神川と、今でも父母様に申し訳ないと思うこと?! 《小室先生の草創期の証し》9


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(12双と既成家庭10双)☆ 


小室先生の証し。
今回は、神川工場にお父様が訪問された
エピソードを紹介します。


1969年、真の父母様が来日されたとき、
私は埼玉県にあった神川工場で仕事をしていました。
そのとき真のお父様が、神川工場を訪問されたのです。

真のお父様は神川工場で働く教会員を
社員が寝泊まりしている部屋に集められて、
み言を語ってくださいました。

そのとき私は司会をしました。
このことも、私の忘れられない思い出の一つです。


神川工場で働いているとき、私はいつか
真のお父様がここにいらっしゃると思って、
支給された作業服を一着、袖を通さず、
新しいままロッカーにしまっておいたのです。

私が司会をしたときは、
その真新しい服を着て臨むことができました。


神川ではいろいろ夢で教えられましたが、
ある夢の中で真のお父様が小さな木を十二本
私の胸の中に入れてくださいました。

振り返ってみると、それは
十二双に選んでくださっていたという内容だったと思います。


真のお父様は神川工場から東京に戻られて、
十二双のマッチングを行われました。
しかし私には連絡がなかったのです。

東京に来るように連絡を受けた時には、
すでに祝福の修練会は終わっていたようです。

私は急いで何のために行くかも分からず東京に向かいました。
しかし夜が遅かったため乗り物がなく、
長い時間をかけて暗い道を歩いて
神川の駅まで行かなければなりませんでした。


東京に着いて本部教会の礼拝に参加したとき、
真のお父様はみ言を語られていたのですが、
私の顔をごらんになりながら、

「人間は、赤ちゃんをつくることは大変なんだよ。
子供をもうけて神様を喜ばせるんだよ」

などと語ってくださいました。


その後、私は何で呼ばれたのか知らなかったので、
夜中、渋谷の代々木の聖地にお祈りをしに行きました。

私が戻ると真のお父様は、
「おまえがいないから、ほかの人を祝福した」と非常に悲しまれ、
二時間以上、澤浦兄と一緒に叱られました。

今も申し訳ない気持ちでいっぱいです。



実は、つい先日、壮年部の皆さまたちと、
この神川工場に訪問させていただきました。

お父様が1610双のマッチングをされたとき、
神川に3泊されたそうですが、
その寝泊りされた場所がまだ残っていて、
「神川記念館」として保存されています。

そこで、担当者の方に当時のご様子や
神川工場が建設されたエピソードなどを
聴くことができました。

私は、この工場は、ドリンクの工場として
出発したと思っていましたが、
実際には、古紙再生工場として出発し、
そのあとは、スピーカーを製造していたのだそうです。

お父様は、1969年にご来日された時、
「日本で一番苦労しているところはどこかね?」
と日本の責任者に尋ねられ、
開口一番、「神川です」と答えられたので、
すぐさま、神川に訪問されたとのことでした。

そして、お父様は
「聖業の地、神川」と揮毫されたのです。

1610双の祝福も
そんな精誠を御存知で、
お父様は神川の地を選ばれたのではないかと思います。

小室先生がこの神川でお仕事をされておられたとは、
この証しを通して、初めて知りましたが、
タイミング良く、訪問することができたのも、
意味があったと思います。

また、祝福のエピソードも初めて知りましたが、
苦労している食口に、祝福を与えたい、
親の心情を感じさせられます。

小室先生の証し、今度が最終回です。。。



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