小室先生の証し。
今回は、神川工場にお父様が訪問された
エピソードを紹介します。
☆
1969年、真の父母様が来日されたとき、
私は埼玉県にあった神川工場で仕事をしていました。
そのとき真のお父様が、神川工場を訪問されたのです。
真のお父様は神川工場で働く教会員を
社員が寝泊まりしている部屋に集められて、
み言を語ってくださいました。
そのとき私は司会をしました。
このことも、私の忘れられない思い出の一つです。
☆
神川工場で働いているとき、私はいつか
真のお父様がここにいらっしゃると思って、
支給された作業服を一着、袖を通さず、
新しいままロッカーにしまっておいたのです。
私が司会をしたときは、
その真新しい服を着て臨むことができました。
☆
神川ではいろいろ夢で教えられましたが、
ある夢の中で真のお父様が小さな木を十二本
私の胸の中に入れてくださいました。
振り返ってみると、それは
十二双に選んでくださっていたという内容だったと思います。
☆
真のお父様は神川工場から東京に戻られて、
十二双のマッチングを行われました。
しかし私には連絡がなかったのです。
東京に来るように連絡を受けた時には、
すでに祝福の修練会は終わっていたようです。
私は急いで何のために行くかも分からず東京に向かいました。
しかし夜が遅かったため乗り物がなく、
長い時間をかけて暗い道を歩いて
神川の駅まで行かなければなりませんでした。
☆
東京に着いて本部教会の礼拝に参加したとき、
真のお父様はみ言を語られていたのですが、
私の顔をごらんになりながら、
「人間は、赤ちゃんをつくることは大変なんだよ。
子供をもうけて神様を喜ばせるんだよ」
などと語ってくださいました。
☆
その後、私は何で呼ばれたのか知らなかったので、
夜中、渋谷の代々木の聖地にお祈りをしに行きました。
私が戻ると真のお父様は、
「おまえがいないから、ほかの人を祝福した」と非常に悲しまれ、
二時間以上、澤浦兄と一緒に叱られました。
今も申し訳ない気持ちでいっぱいです。
☆
実は、つい先日、壮年部の皆さまたちと、
この神川工場に訪問させていただきました。
お父様が1610双のマッチングをされたとき、
神川に3泊されたそうですが、
その寝泊りされた場所がまだ残っていて、
「神川記念館」として保存されています。
そこで、担当者の方に当時のご様子や
神川工場が建設されたエピソードなどを
聴くことができました。
私は、この工場は、ドリンクの工場として
出発したと思っていましたが、
実際には、古紙再生工場として出発し、
そのあとは、スピーカーを製造していたのだそうです。
お父様は、1969年にご来日された時、
「日本で一番苦労しているところはどこかね?」
と日本の責任者に尋ねられ、
開口一番、「神川です」と答えられたので、
すぐさま、神川に訪問されたとのことでした。
そして、お父様は
「聖業の地、神川」と揮毫されたのです。
1610双の祝福も
そんな精誠を御存知で、
お父様は神川の地を選ばれたのではないかと思います。
小室先生がこの神川でお仕事をされておられたとは、
この証しを通して、初めて知りましたが、
タイミング良く、訪問することができたのも、
意味があったと思います。
また、祝福のエピソードも初めて知りましたが、
苦労している食口に、祝福を与えたい、
親の心情を感じさせられます。
小室先生の証し、今度が最終回です。。。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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