2016年09月27日

恋人以上に伝道する人を慕う! アベルは祭物?!  《お父様のみ言 1967》



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可知講師が先日の研修会で、
「アベルのあり方」についての御言を
紹介してくださいました。



1966年5月1日、韓国において『原理講論』が出版され、
翌1967年10月2日に日本語版が出版されました。
その間の1967年6月12日に、真の父母様御一行が来日され、
8月10日まで約2か月間滞在されました。

そしてまず成されたことが、『原理講論』を中心とした
御言の伝統相続のための『原理大修練会』(6月17〜30日)でした。

真の御父様の命により『講論』をまとめられた劉孝元先生が、
韓国語の『講論』を日本語に翻訳されながら講義されました。
その中でアダム家庭の『実体基台』については、
『講論』に記されてあるカインの果たす役割を中心に講義されました。

それに対し、お父様は、アベルが『実体基台』造成の中で果たすべき役割、
責任分担の重要さについて強調されました。

以下、アベルについての
お父様のみ言(一部)です。



「何ごとかがあったら、
自分を中心として批判し始めがちなのが兄弟である。
…兄さんはお父さんの身代わりであり、
姉さんはお母さんの身代わりである。
…日本の教会において…父母…のような
心情基準を持つような人にいかになってくれるか、
先生が一番心配していることです」

(1967.8.9)



「もしも君たちが本当の親の心をもって僕の体をもって、
こういう我々の目標の通りにやると考えてみな。

…(ある人が)絶壁の断崖の上に立って、
今飛び込むかという間際に立っている。
それを見る親の心はどうだろう。

全身が針で刺し通されるような
その切迫した心境にならざるを得ないんだね。

…人を慕う。
それは、世の中の自分の恋人以上に、
伝道する人たちを慕う。

そしてやっと来たという時にはね、
飛ぶようなその身軽さで。
そして顔つきが暗かったら、
胸が締め付けられるような気持ちになる。
着る物もちょっと悪かったら、それがたまり切れない。
それが真の親心だ。

…徹夜しながら彼のために祈ってやらざるを得ない。
心情的に涙ながらそういうふうに思ってやる。
これは天の心情だよ、親の心情だよ。…

だからまず第一に祭物は存在意識を持たない。

これをはっきりわかれよ。
これだけわかれば、
地方においての責任者としての使命を
完全に全うする事ができる。

第二に階級意識を持たない。

こういう観点から
今まで君たちが責任者となってきた立場を考えて見ると、
君たちは謙遜であったか、傲慢であったか。
何点もらえるか。
これを君たちに言っておく。
わかる?

この通りやればね、君たちの前には涙ながらについて来る。
…先生はそう成してみたんだ。
実行してみたんだ。
そういうふうにして君たちの使命を全うしてくれる事を願うよ。

今日は閉会式をするはずだったんだけど、
祭物という、存在意識を持たない、
階級意識を持たないという
二つの内容を君たちに言い伝える事によって
閉会式の代りにしようね」

(1967.6.30、閉講式にて)


「自分はアベルだから、
カインは侍るべきだと思うのは大間違いです。
そのために発展する多くの人々を殺してきたのです。
…親としての立場を忘れてしまっている者が多いのです。
その欠陥を早く一掃しなければなりません。
改めなければなりません」

(1970.10)





原理講論には、カインの責任分担が書かれてますが、
アベルの責任分担は書かれていません。
しかし、真のお父様はそのことをよくよくご存じで、
アベルとしての使命をハッキリ語られています。

可知講師は、「恋人以上に伝道対象者を慕えますか?」
そのことを面白おかしく表現しておられました。
「恋人に会いたくて会いたくて仕方がない。。。
そのドキドキの思いと同じくらいの思いで、
伝道対象者を思っていますか?」

お父様は、み言を成して語られます。
ですから、そのような思いをもっておられるから、
語られたのだと思います。

お父様は、日本に長い間、来られることができませんでした。
それが日本食口の心霊の成長においては、
決してプラスには働かなかったと思います。

しかし、私たちは、「メシヤ」という称号を与えられました。
ですから、真の父母様と同じ立場で
歩むことを願われているのです。
お父様のみ言を成す者になる、今この時であると思うのです。



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2016年09月26日

尊敬するお父様、近くで侍れば、もっと素晴らしかった!!  ≪金元弼先生≫



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金元弼先生のみ言『生活伝道』より
「先生が示された真のアベルの道」を紹介します。



近くに侍るほど素晴らしい先生


「あなたは世の中でだれを一番尊敬していますか?」と聞くと、
人はいろいろな人物の名前を挙げるでしょう。

ところがもし、私たちがそういう尊敬している人と一緒に、
同じ屋根の下で寝食すべてを共にして生活するとしたならば、
そういう心をいつももてるでしょうか?

そのことについて一度考えてみたいと思います。


二千年前のイエス様を考えると、
私がその時に生まれていたら
メシヤによく侍ることができたのにと考えるでしょう。

しかし、二千年前に
イエス様と共に生活しながら侍っていた弟子たちのことを考えてみると、
二千年という時間的距離をおいてイエス様を考えるのと、
実際に直接イエス様に侍るのとでは
相当に違いがあるということに気づくと思います。

聖人と呼ばれる人の近くにいた人々が、
聖人を理解できなくてなかなかついて行かず、
かえって迫害するということがあったのです。


尊敬できる人がいても、もしすべてを共に生活するとすれば、
距離をおいて尊敬した心と、直接生活してみた時の心とでは、
相当の差が出てくるだろうと思います。

夫婦の間においても、親子の関係においても、
リーダーとメンバーとの関係においても、
一緒に生活してみるのと距離をおいて考えてみるのとは違いがあり、
距離をおいて見たほうが良く見えるということがあります。

距離があると非常にきれいに見えるけれども、
近づいてみるとそうは見えないのです。


しかし先生は全く逆なのです。
距離をおいて見てもきれいだし、
近くに行って見るともっときれいだと感じるのです。
これが違う点です。

そのことを皆さんに話したいと思います。


私が最初に先生にお会いし、避難路程を経て釜山に到着するまで、
先生とは常に距離をおいた生活でした。
先生が教会に休まれたとするならば、私は自分の家にいたのです。
そして通いながら先生に直接お会いしました。
先生がろう屋におられた時も、私は面会に行ってお会いしました。
そのような関係でした。

避難の時には少し事情が違い、行動も一緒、寝るのも一緒になりました。
そして釜山時代は、朝からその次の朝まで常に共にいる生活でした。

普通皆さんが一緒に暮らすということは、一つの屋根の下に部屋が区切られていて、
ここはお父さんの部屋、ここはお母さんの部屋、ここはお兄さんの部屋というふうに、
別々の部屋に生活すると考えることでしょう。

しかしその時は一つの部屋に共に生活し、
それも皆さんの家のようにベッドが別々に置かれているわけではないのです。
敷き布団も掛け布団も一枚きりなのです。
一緒に肌をつけながら寝なければいけないという生活です。
そして、先生もご自分で食事を作らなければならなかったのです。

このように先生と距離がない生活をしたのが、私の釜山生活でした。
このような生活は皆さんの夫婦生活と似ています。
距離のない所での先生との関係です。

私が皆さんにこのような話をするのは、私たちも先生のごとく、
自分のもとにいるメンバーたちから、
距離のない所で本当に尊敬される者でなければならないと思うからです。



お父様と同じ布団で休まれた金元弼先生。
羨ましすぎます。。。(笑)

ちなみに、イエス様は本当は、ユダヤの人ですから、
今のイメージでは、西洋人の姿の絵ですので、
実在のイエス様は違うかもしれませんね。

そういう意味では、再臨のメシヤが韓国人であり、
イエス様とは似ても似つかない人物なので、
受け入れることのできなかったクリスチャンが
多かったのではないでしょうか。

私たちは、真の父母様を正しく
父母として侍ることができるということが
どれだけ感謝なことであるかしれません。

だからこそ、クリスチャンがイエス様を慕う以上に
真の父母様を慕い、侍っていかないといけないと思います。
霊界において、クリスチャンたちが、
どれほど、真の父母様にお会いしたかったか。。。
祈っているとそのことを強く感じるのです。




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2016年09月25日

(証し)もう迷いません! 私を統一教会に受け入れてください! 《mrs.千鶴子ロニヨン》3


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ロニヨン千鶴子さんの証し
続編です。


それからは、「統一原理」の講義を聴くためにそのアパートに通うようになり、
その講義を聴くたびに私の心霊は高まり、喜びに満ちあふれていくのでした。

この喜びをだれかに伝えたくなり、
寮生の姉妹たちや教会の親しい友達などに語りました。

ある日、祈りのグループの中で、熱心な一人の下級生を見つけて、
西川先生のいる所に連れて行きました。
この男子学生は「統一原理」を聞くと、とても感銘を受けたのでした。

それからは、彼も西川先生の所に通いながら
カレッジの中でも友達に証ししたり伝道したりしていました。


ある日のチャペルでのことでした。
全校生が一堂に集まるチャペルでは、
普段は外部から牧師や宣教師たちが招かれて説教があるのですが、
この日は祈祷会が行われることになりました。

祈祷会では、だれでも導かれるままに祈ることができるので、
その日は数人が祈ったのですが、
その後、彼が突如、大声で祈り始めたのです。

「御父上! 御父上!……。
アダム、エバの堕落により罪悪六千年の歴史……」
という祈りから始まって、「堕落論」、「救世論」というように、
「統一原理」の講義のようなお祈りが延々と続くのです。
私は身の縮むような思いでいっぱいでした。

この出来事によって、統一教会のことが
学校じゅうにいっぺんに知れわたりました。
異端が入って来たということで、
クリスチャン・カレッジではそのことが大問題になったのです。

そこで、西川先生が学校に行って、学校側と話し合ってくれたのですが、
結局、受け入れてもらえませんでした。

クリスチャンにとって再臨のメシヤの到来は、
天地が引っ繰り返るほどの出来事でした。


この時から、私の葛藤が始まりました。
学校の教師、宣教師たちから、
また教会の牧師や友人たちからの説得が始まったのです。
「間違った方向に行ってはならない」とか、
「偽預言者に警戒せよ」と懇々と言われたのでした。

すると、あの西川先生は偽預言者であるというのだろうかとの思いが、
一瞬、胸をよぎりましたがすぐに打ち消しました。

聖書には「木はその実を見れば分かる」という聖句があります。
統一教会の西川先生を囲む素晴らしい兄弟姉妹たち、
増田勝さん、松本道子さん、小河原節子さん(現、桜井夫人)、
岩井裕子さん(現、神山夫人)、小室宏之さん、別府美代子さん、
それらの人たちは、私の目には美しい天使の群れのように輝いて見えました。


私はとにかく天に祈って解決しようと決意しました。

私にはもう捨てるものが何もありませんでしたので怖くもありません。
ただ、この統一教会が本物であるのか異端であるのか、
それだけが知りたかったのです。

ちょうど春休みに入り、同室の寮生たちが皆、故郷に帰ったので、
私は独り真剣に神様に向かうことができました。

「天のお父様! イエス様! どうか答えてください!」
今まで、これほど苦悶し真剣に祈ったことがあったでしょうか? 

それから一週間というもの、真っ暗闇の中にいるような心境でした。
祈って祈って疲れては眠り、また起きて祈り続けたのです。
朝になったのか夜になったのか、
まるで分からないような状態でした。


一週間くらいたった時でしょうか。
祈っていると、イエス様の静かな声が私の心に入ってきました。
「この道を行きなさい」と。

その声に応えるように私が自分の意志で、
この道を行くことを決意して天に祈った瞬間、
私の心に変化が訪れました。
今まで闇に覆われるようであったのが、
さっと引いて平安な思いになってきたのです。

霊的な闘いとは実に恐ろしいものであると、
そのときの体験を通して知りました。

私はもう迷いませんでした。
霊的な闘いを終えて立ち上がった私は、
早速、西川先生の所に行き
「私を統一教会に入れてください」とお願いしました。
先生はにっこりと笑ってうなずかれました。


春休みが明けて新学期が始まり、私は最終学年になりました。
そのころも「統一原理」を聞いた私たち三人の学生は、
依然として統一教会に通っていて、
迫害されても負けないで頑張っていこうとお互いに励まし合っていました。

このことを知った学校側は、
私たちを退学処分にしようということに決めたのです。

米国人の学長を中心として教役者たちが会議を開き、
そこに私たちは一人ずつ呼ばれて、信仰告白を迫られました。
つまり統一教会の「統一原理」を信ずるか、
統一教会の信仰を棄てるかという二者択一の問題です。

私たちは、三人とも「『統一原理』を信ずる」と明言したので、
即刻に退学処分になりました。

ところが、私たち三人の中で大声で祈った彼は、
学校側と協力した彼の母親によって精神病院に連れて行かれてしまいました。
また私を統一教会につないでくれたそのクラスメートは、
皆からいろいろと説得されて考え直し、
学校にとどまることになったのです。

結局、私一人が大学を退学することになりました。
その後すぐに、私の母教会としていた高田馬場教会からも、
私のもとに破門状が送られてきたのでした。



この道に来られた大先輩たちは、
本当に激しい苦難の中を
乗り越えてこられたということを
改めて感じさせられました。

特にキリスト教会から
統一教会に来られた方は、
ロニヨン千鶴子さんのように、
破門されるようなことがありました。

イエス様から直接答えを与えられた千鶴子さん。
本当に切実に求められたのだと思うし、
その思いに神様が働かれたのだと思います。

迫害を乗り越えた千鶴子さんは
献身されて開拓伝道していかれます。

続きはまた。。。




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