2016年09月21日

(証し) 神様の前に献身、そして統一教会との出会い! 《mrs.ロニヨン千鶴子》2


nishikawa.jpg


ロニヨン千鶴子さんの証し
続編です。


就職のため、生まれ故郷である東京に十年ぶりに戻ると、
そこでは全く新しい東京が私を待っていました。

戦後で社会の状況が変わったということと、
自分が大人になったということもありましたが、
何よりも私がクリスチャンになったということが、
別世界で生きるように感じたいちばんの理由でした。

やがて私の落ち着き先は、高田馬場教会に決まりました。
教会といっても教会堂の建物はなく、日曜日ごとに
YMCA(キリスト教青年会)の建物の一部屋を借りて礼拝を行っている教会でした。

その教会の牧師は伝道に熱心で、
信徒たちは若い人々が多く、活気に満ちていました。
山手線の高田馬場駅から早稲田大学へ通ずる早稲田通りを、
ひたすらに歩いて行き来した日々が思い出されます。


しかしいつも私の心の中では、自分はクリスチャンであって、
天が私に何か別の道を行くように願っているのではないか
という思いがして心に引っかかるのです。
うわべは楽しくしていても、心の底では喜びがなく不安な日々を過ごしていました。

片方の足をこの世に浸しながら、
もう一方で信仰生活に邁進しようとすればするほど、
そのギャップに悩み葛藤していくものです。
そんな二またをかけた生活が続いていくうちに、
その苦しみも限界に来て私はついに天に献身することを決意しました。

今までいつも心に引っかかり、私を悩ませてきた
「人もし我に従ひ来らんと思はば、己れをすて、己が十字架を負ひて、我に従へ」
(「マタイ伝」第一六章24節)

と記されている聖書を開いて、今までの不信仰を悔いて神様の前に祈りました。

「天の父なる神様、イエス様! 
今ここに私の生涯を天に献げます。
私の家族、私の青春、そして私の人生は皆、神様、あなたのものです。
イエス様が私の主であり、私のすべてです」と、
このように天に誓い新しい人生を出発したのです。

それから、聖書をさらに学ぶために
クリスチャン・カレッジに入学することにしました。
このカレッジは、戦後、米国から多くの宣教師たちが来日し、
伝道活動を広めていった中で超教派的な学校として設立されたものです。



統一教会に導かれる

クリスチャン・カレッジでの生活も、三年の終わりに近づいたころでした。

相変わらず勉学とアルバイトに追われる日々を送っていたある日、
同じクラスの男子学生が、自分の働いている所で
女子学生を募集しているという話を聞いたので、私はそこに行くことにしました。

放課後、私は彼とともに出かけ、電車の座席に並んで腰掛けました。
すぐに彼は、黙って一冊の本をかばんから取り出してそれを読み始めたのです。
私は横から、ちらりちらりと盗み見していたのですが、
何か引かれるものを感じるのです。
不思議な本だなという印象を受けました。

なおも続けて盗み読みしていた私は、口に出して尋ねました。
「この本はどういう本なの? 私にも読ませてくれないかしら……」。
すると彼は、「この本は自分が読み終わるまでは、
他の人に見せてはならないんだ」と言うのです。

そう言われると一層読みたくなって、
「じゃあ、他の人には見せないから、
あなたの次に一週間だけでいいから貸してくれませんか?」
と頼み込んで、ついに借りることができました。
これが『原理解説』(『原理講論』の前に出版されたもの)でした。

この『原理解説』は、クラスメートの彼が聖日に母教会に行ったとき、
松本道子さん(通称、松本ママ)が
彼に会って手渡したものであるということが、後になって分かりました。


「一週間だけ」と約束して借りた『原理解説』でしたので、
アルバイトに行く途中、電車に乗っているときはもちろん、
歩きながらも読み続け、寮に帰ってからも
消灯時刻の後もトイレの明かりで、むさぼるように読みました。

ひととおり読み終えたとき、
一体この本は何が書いてあったのだろうかと、静かに自問して考えてみました。

「創造原理」、「堕落論」、「救世論」など、
さっと読んだので深く理解することはできませんでした。
しかし、一つだけ私の心に残ったのは、
再臨の主がすでにこの地上に降臨されたということでした。
その驚きは、天地が引っ繰り返るほどのものでしたが、
心の奥底では受け入れることができたのです。
そして何か喜びがふつふつとわいてくるのでした。


『原理解説』を返すとき、私は彼に
「この教会に連れて行ってほしい」と頼みました。
連れて行かれた所が、飯田橋(新宿区)の貧しいアパートの一部屋だったのです。

そこで迎えてくださったのが、西川勝(韓国名、崔奉春)先生でした。
西川先生のお祈りといい、「統一原理」の講義といい、
心情にあふれ迫力があり深い感銘を受けました。
初めは、このかたが再臨主ではないかと思うほど、
清く尊い存在に感じました。

それからは、「統一原理」の講義を聴くために
そのアパートに通うようになり、
その講義を聴くたびに私の心霊は高まり、
喜びに満ちあふれていくのでした。



ロニヨンさんと統一教会との出会いは、
霊の親から1週間借りた『原理解説』だったのですね。。。

今、クリスチャンの方たちの中でも
聖書に限界を感じ、
真理を求めている人もいるのではないかと思います。

以前、路傍伝道で迫害をしたクリスチャンの方が、
転換されて、ともに演説・実践をしているという証を
したことがあります。

その方は、時々、私達が歩んでいる火曜日に
ともに歩んでくださっていますが、
霊の親の婦人が、その方に『イエスの涙』という書籍を
渡したことがありました。

「イエス様は十字架につくために来られたのではない」
クリスチャンから見れば、衝撃的な内容を含んだ小説です。

約1か月後、その方は、
「全部読んだよ。その通りだと思う」
そのように言ってくださったそうです。

ロニヨン千鶴子さんの証を通しながら、
今も同じように真理を求めている人が
必ずおられるということを信じて、
これからも歩んでいきたいと
勇気づけていただきました。

少し長くなるので、不定期に続きます。



にほんブログ村

良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!
(なお、記事の冒頭のマークもブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)


※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)



2016年09月20日

(証し) 私がまだ神様を知らなかった頃?! 〜クリスチャン時代〜 《mrs.ロニヨン千鶴子》



hirosima19650204.jpg


ひとり神様の前にひざまずき
声を出して祈りました。
「天にいます父なる神様! 
私は今、あなたのもとに帰ってきました……」


今回は草創期の頃から
献身的にみ旨を歩まれた
ロニヨン(旧姓:春日)千鶴子さんの
証しを紹介したいと思います。

今日は、統一教会入教前、クリスチャンとなった頃の
証しを中心にご紹介します。


私が十五歳になった中学三年生の秋のことでした。
父の故郷である信州の田舎の村に、
一人の米国宣教師(キャリコ先生)がやって来ました。

戦後、日本には米国から多くの宣教師たちが派遣されて来るようになり、
一般にも西洋文明が急速に取り入れられるようになっていました。

ある日、私が学校から帰って来ると、
自分の家の入り口に投げ込まれていたキリスト教集会の
案内のちらしが目に留まりました。
それを見つけたとき、自分はここに行かなければならないと、
何かに打たれたかのように感じたのです。

それで私はその日時に、さっそく集会に行ってみることにしました。
すると多くの子供たちが集まっていました。
その集会は、私にとってすべてが初めての経験でした。


キャリコ先生は、

「それ神はその独り子(ひとりご)を賜うほどに
世を愛したまえり、
すべて彼を信ずる者の亡びずして
永遠の生命を得んためなり」
神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛してくださった。
それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである

という「ヨハネ伝」第三章16節の聖句を用いて、
日本語でたどたどしく話すのでした。

私が初めて聞いたその聖書の言葉は、私に深い感銘を与えました。
そして、イエス・キリストというかたは、
神の子であると信じることができたのです。


その日、家路に就きながら私は、非常に喜びに満ちあふれていました。

心の中で思ったことは、次の集会のときには
「クリスチャンになりたい人は……」という招きに応じて、
自分も手を挙げているだろうということでした。

次の集会に行ったとき、
私はイエス・キリストを受け入れクリスチャンになりました。
それからというもの、熱心に集会に出席し聖書を学びました。


けれどもその後も、まだ私の心の中には、
すっきりしないものが残っていました。
それは神の存在に関することでした。

ある日、集会の時「神様は大勢いるのですか?」と、質問してみました。
するとキャリコ先生は、「神様は唯一なるかたであり、
創造主で、われわれ人間の天の父でもあります」
と丁寧に説明してくれました。

私はそのとき、神様は唯一で創造主であられると知って、
何か霧が晴れていくように感じたのです。


その夜、家に帰って来て、ひとり神様の前にひざまずき
声を出して祈りました。

「天にいます父なる神様! 
私は今、あなたのもとに帰ってきました……」

これが、私が初めて生ける真の神様と親子の出会いをした瞬間でした。

そのときから私は、神様の存在を疑ったことはなく、
また神様なくして生きることができなくなりました。
心に革命が起こったのです。


人生観がすっかり変わったその後の私は、
ただひたすら信仰の道に邁進してきました。

そんなある日の夜、教会からの帰り道のことでした。
神様が私の心に「汝を献げよ」と語られたのです。
天からの召命です。
私の生涯を「天に献げよ」と言われるのです。

私は、その召命の声にとっさに応えることができませんでした。
十代の私には、未来に多くの夢があったからでした。
しかし神様は「その夢を捨て、自分を捨てなさい」と言われたのです。


信仰生活を続けていくうちに、
信仰生活というものは深くなればなるほど
霊と肉との間で悩みが生ずるということを知りました。

今から約二千年前の初代教会のころ、
ダマスコへの途上で回心してイエス様の弟子となった、
あの偉大なる使徒パウロでさえも
「噫(ああ)われ悩める人なるかな……」
わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。
(「ロマ書」第七章24節)

と嘆息して、霊肉の葛藤をしていたのでした。

私は人生に悩み、キリスト教に出会って救われたのですが、
今度は信仰生活で悩むことになったのです。
もし単なるサンデー・クリスチャンで満足していたならば、
それほど悩まなかったことでしょう。

しかし、イエス・キリストが人類を救うために
十字架にかかったと信ずるクリスチャンであるならば、
死を懸けて愛してくださったおかたに対して、
誠実に報いなければならないと私の心はささやくのです。


聖書を開くと、以下のように記されています。

「人もし我に従ひ来らんと思はば、己れをすて、
己が十字架を負ひて、我に従へ」
だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、
自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい
(「マタイ伝」第一六章24節)


このみ言は、私の心にぐっと迫ってきました。
それから後もこの聖句は、
私が聖書を読むときいつも心に引っかかり、
避けようとすればするほど私の良心を苦しめるものとなりました。


やがて私の高校生活も終わり、
家庭の事情を考えて就職するため亡き父の知人を頼りに
上京することになったのです。

今までお世話になったキャリコ先生や、
教会の兄弟姉妹にも別れを告げました。

これは後日談になるのですが、キャリコ先生の家族とは、
その後二十年以上もたってから、
思ってもみない再会を果たすことになったのです。


そのころ私は、祝福を受けてニューヨークに住んでいました。
ある日、米国の食口であるメアリーという女性と雑談をしていました。

話が進んでいくうちに、彼女のお父さんは、
かつて宣教師として日本に行き、家族ともども日本に長く住んだことがあり、
父親の名前がウィリス・キャリコだというのです。

私は、それを聞いて驚きました。
メアリーさんのお父さんは、
かつて私を信仰に導いてくれたキャリコ先生だったのです。

その当時のことを回想してみると、
クリスチャンになりたての私たちが、
招かれてキャリコ先生のお宅に伺うと、
家の中を元気に走り回っている少女がいたことを思い出しました。

その時の少女、可愛い小さなメアリーちゃんが、
今、目の前で私と話しているメアリーさんだったのです。

天を愛し誠実で謙虚であったキャリコ先生のことを思い出しながら、
このような素晴らしい出会いができたことに感激し、
心から天に感謝したのでした。

(「先駆者たちの証言」より抜粋)



ご自身の良心に忠実に従い、
クリスチャンになられたロニヨン千鶴子さん。
私たちも良心の声に耳を傾けないといけないし、
良心を強める努力をしないといけないと感じます。

キリスト教会に入信するきっかけになった
宣教師の娘さんが食口になり、
アメリカで再会するなんて、本当に奇跡的ですね。。。

クリスチャンになられたロニヨンさんが、
どのようにして統一教会に導かれるのか、
また、明日に続きます。




にほんブログ村

良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!
(なお、記事の冒頭のマークもブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)


※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)


2016年09月19日

アベルの前に行くと、大きな悩みが小さく感じられる、その理由は?! 《金元弼先生》


21518_1021434177917730_807683117346088758_n.jpg


私たちの心配と
真の父母の心配は、
次元が違う?! 


金元弼(ウォンピル)先生のみ言を紹介します。



真の父母と私たちの違い


皆さんも経験したことがあると思いますが、
私たちは自分一人で考えて、
なかなか人に話せない悩みをもつと、
どうしたらいいのか分からなくなり、
それを解決するために自分のアベルを訪ねることがあります。

皆さんは自分のアベルに対して
どのように感じているか分かりませんが、
アベルの前に行って話を聞いてみたら、
自分が今まで悩み苦しんでいたことがかなり小さく感じられて、
何も言えなくなるという体験があるでしょう。

そして自分の所に帰ると、
またその悩みが大きく自分にのしかかってきて
「いやー、あの時に話しておけばよかった」と考えるのです。


私たちは特に、
文先生ご夫妻の前にあってそういう体験をよくします。

ナショナル・リーダーたちも、自分の国において
大きな悩みや難しい問題があってどうしたらいいのか悩んでいても、
先生の前に行き、み言を聞き、成されていることを見ると、
自分が今まで心配してきたことが
どんなに小さいものであったかということに気がついて、
すべてが解決されたような気持ちになります。

しかし自分の国に帰ると、
この問題がまた大きくなって、
「あの時、先生に尋ねておけばよかった」と
後悔することがよくあるのです。

そういうことを考えてみると、
私たちの考えていることや心配している内容の次元と、
真の父母が考え、思いやられている世界や次元とが
どんなに違うかということが分かります。



アベルにつながるということの重要性を
再認識させていただきました。

特に天が立てた牧会者は
神様の代身、真の父母様の代身です。


ある伝道部長さんからこんな証しを聞きました。

とても信仰深い婦人なのですが、
熱心に礼拝に参加して、教会には来られるものの、
教会長とはほとんど会話をしたことがありませんでした。

その婦人は、ご自分のお子さん(信仰二世)に
祝福を受けさせたいと切に願っていました。
教区主催のブライダル交流会があるということで、
何としてもそこに参加させたいと思ったのだそうです。

ある時、礼拝のあと、その婦人は教会長室を訪ね、
息子さんの写真を見せて、報告したということです。

そうしたら、交流会に決定したのです。
交流会でも良き女性との出会いがあり、
交流をふかめているのだそうです。


この証しを通しても、やはり天につながることの重要性を感じます。

アベルもカインも、もちろん人間ですし、
教会でのアベル・カイン関係も、もちろん人間関係です。

しかし、アベルの背後には神様がおられるということ、
そのことをよく理解していかないといけないと思うのです。




にほんブログ村

良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!
(なお、記事の冒頭のマークもブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)


※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)