2016年09月02日

(証し)家族として接してくれた父母様! 父の姿、母の姿、その心情の世界!!



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お父様は、一匹釣るのに
一万人を救うという心情を込めて、
釣っておられるということです



6000双祝福家庭の山口文比古先生が、
かつてアラスカで、お父様と釣りをされた時の証が、
「めざそう、天国家庭!」に掲載されています。


一九九〇年九月にアラスカに行ったとき、
お母様にお供してフィッシングに行きました。
その時に魚が釣れて、とてもうれしかったのですが、
そこでお母様と一緒に記念写真を撮らせていただくことになりました。

お母様は「こっちに来なさい」とおっしゃってくださったので、
魚が逃げやしないかと思いながらも、
必死になって近くに立とうとしました。

右側のお父様の立たれる位置に立とうとした私に、
「こっちに来なさいよ」と言われ、
お母様の左に立って写真を撮らせていただきました。

その後、お母様のそばに座って食事をすることになりました。
お母様のお弁当から少しいただいて、食べたりもしました。

お母様に接して感じたことは、本当に私たちに対して
子女として接してくださったということです。
まさに家族そのものです。
敷物の上にお弁当を広げて、そこに何人か座ってのなごやかな食事でした。

お母様からはよく、「山口、頑張れ」「山口、頑張れ」
と日本語で励ましていただきました。


このほかにも、印象に残ったことがあります。
それは、『お父様はお座りにならない』ということです。

川釣りのときの話です。
アラスカで歩まれる井上善久さんが、
「お父様はずっと立ち続けておられます」と言って泣かれるのです。

お父様は、フィッシングの間ずっと立ち続けておられ、
休まれないということです。
その話を聞いて、お父様はやはり蕩減条件を積まれながら、
サーモンフィッシングをしておられるということを実感しました。

井上さんの話では、「一匹釣るのに一万人を救うという心情を込めて、
釣っておられる」ということです。
ですから、釣られるスピードもものすごく早いのです。
そばにいると、そのようなことを感じるということです。

お父様の心情の世界というのは、ただ単なる『釣り』という次元ではなくて、
神の願い、あるいは人類を救うという一点に向かっておられるのです。
つまり蕩減条件を積まれながら歩んでおられるというお姿なのです。


ご父母様と一緒に釣りをする期間は、非常にハードなスケジュールです。
ただの遊びでしたら、疲れたならちょっと休んだりするのが普通ですが、
そのような次元とは全く異なります。
とにかく睡眠時間がとても短いのです。
しかも立ちっぱなしです。

早朝五時ぐらいから一日中釣りに出掛けて、帰ってきてから夕食を取ります。
時々風呂に入ることもありますが、シャワーを浴びてから、
お父様はみ言葉を語られます。
お父様のみ言葉は夜の十二時を越えます。

深夜に及ぶと、「君たちは眠たいんだね」と言われるのです。
そのとき「ゲッセマネの祈り」の場面を思い出して、
「大丈夫です」と言うのですが、
体はどうしても「眠い」という思いが出てくるのです。
それで、お父様は寂しそうに二階に上がって行かれました。

翌朝、み言葉を語られたときに、お父様は
「君たちが寝ている間に、先生は中国語を勉強しているんだよ」
とおっしゃったのです。
お父様は本当に睡眠時間を削りながら歩んでおられることを実感しました。


また、以前にお母様が広島に来られた時のことです。
敬礼式の場に一緒に参加させていただいたことがあります。
お母様はハングルでお祈りされるのですが、
「コディアックにおられるお父様」
とおっしゃって嗚咽される場面がありました。

そのとき、お母様がお父様を慕われる情の世界は、
私たちと違うということを実感し、
メシヤ家庭は、本当に投入しておられるということを感じました。

コディアックで敬礼式があった時にも、お父様がお祈りされ、
お祈りが終わったのちのご父母様のお顔を拝見しました。
お父様のお祈りに、お母様も一緒に涙しておられ、
この時もご父母様の素晴らしい心情の世界に触れることができました。

私も、人が祈っている姿にもらい泣きをするということはありましたが、
このような、ご父母様の、お互いが常に心情的に近い
という素晴らしい世界には、深く感動しました。

(『世界家庭』一九九六年十一月五日号掲載)



真の父母様は、何よりも
神様の『真の愛』を動機として歩まれ、
お二人は、本当に一つになっておられるな・・・・
証しを通して、改めて感じさせられています。

神様のご心情を体恤しておられるからこそ、
肉体の限界を超えて歩み続けておられるのです。

自分の姿を見ると、足りないばかりですが、
このような父母様の歩みを見つめることを感謝し、
相続する者になるためにも、
良心の声に耳を傾ける者になっていきたいと思うのです。



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