2016年09月19日

アベルの前に行くと、大きな悩みが小さく感じられる、その理由は?! 《金元弼先生》


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私たちの心配と
真の父母の心配は、
次元が違う?! 


金元弼(ウォンピル)先生のみ言を紹介します。



真の父母と私たちの違い


皆さんも経験したことがあると思いますが、
私たちは自分一人で考えて、
なかなか人に話せない悩みをもつと、
どうしたらいいのか分からなくなり、
それを解決するために自分のアベルを訪ねることがあります。

皆さんは自分のアベルに対して
どのように感じているか分かりませんが、
アベルの前に行って話を聞いてみたら、
自分が今まで悩み苦しんでいたことがかなり小さく感じられて、
何も言えなくなるという体験があるでしょう。

そして自分の所に帰ると、
またその悩みが大きく自分にのしかかってきて
「いやー、あの時に話しておけばよかった」と考えるのです。


私たちは特に、
文先生ご夫妻の前にあってそういう体験をよくします。

ナショナル・リーダーたちも、自分の国において
大きな悩みや難しい問題があってどうしたらいいのか悩んでいても、
先生の前に行き、み言を聞き、成されていることを見ると、
自分が今まで心配してきたことが
どんなに小さいものであったかということに気がついて、
すべてが解決されたような気持ちになります。

しかし自分の国に帰ると、
この問題がまた大きくなって、
「あの時、先生に尋ねておけばよかった」と
後悔することがよくあるのです。

そういうことを考えてみると、
私たちの考えていることや心配している内容の次元と、
真の父母が考え、思いやられている世界や次元とが
どんなに違うかということが分かります。



アベルにつながるということの重要性を
再認識させていただきました。

特に天が立てた牧会者は
神様の代身、真の父母様の代身です。


ある伝道部長さんからこんな証しを聞きました。

とても信仰深い婦人なのですが、
熱心に礼拝に参加して、教会には来られるものの、
教会長とはほとんど会話をしたことがありませんでした。

その婦人は、ご自分のお子さん(信仰二世)に
祝福を受けさせたいと切に願っていました。
教区主催のブライダル交流会があるということで、
何としてもそこに参加させたいと思ったのだそうです。

ある時、礼拝のあと、その婦人は教会長室を訪ね、
息子さんの写真を見せて、報告したということです。

そうしたら、交流会に決定したのです。
交流会でも良き女性との出会いがあり、
交流をふかめているのだそうです。


この証しを通しても、やはり天につながることの重要性を感じます。

アベルもカインも、もちろん人間ですし、
教会でのアベル・カイン関係も、もちろん人間関係です。

しかし、アベルの背後には神様がおられるということ、
そのことをよく理解していかないといけないと思うのです。




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