2016年11月24日

〜日本の最草創期に導かれて〜 名もなく貧しく美しく!! 《櫻井節子夫人の証し》



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(櫻井夫人が伝道された当時の教会)


日本教会の母と言われる松本ママが
初めての40日の開拓伝道を勝利され
最初に伝道されたのが、櫻井夫人(旧姓小河原)です。

以前、松本ママの証は書きましたが、
今日は、櫻井婦人ご自身からの証を紹介します。

日本家庭連合の草創期、
み言と情熱以外何もありませんでした。


私は1960年9月、大学2年生のとき
松本道子先生(通称、松本ママ)に導かれ、統一教会に入教しました。

私は群馬県の安中というクリスチャンの多い町に生まれ、
私の家も曾祖父母、祖父母の代からキリスト教の信徒でした。

私は幼いころから日曜学校に通い教会に親しんで育ちましたが、
それでも当時の私は神様についてまったく分かっていませんでした。
大学時代になって真剣に求道生活を始めたころ、統一教会に導かれたのでした。


当時は、まだ日韓の国交が回復していなかったので、
韓国から日本にみ言を宣べ伝えようとしても、
正規のルートでは入国することはできません。

日本に最初にみ言を伝えてくださった西川勝先生は、
一時は囚われの身となり、そこから逃れて
追われる立場にありながらみ言を宣べ伝えてくださり、
1959年10月2日に日本統一教会を創立されました。

私が導かれたのは、その一年後ぐらいのときでした。
当時はまだ一般の人々にはみ言を宣べ伝えず、
おのずから伝道対象はクリスチャンたちに向けられていました。

今のような修練会というものはなく、
西川先生が来教者に一通り「聖書原理」として
原理講義をしておられたのです。

今私たちが聞いている「主の路程」という
真の父母様に関する特別講義もなく、
「再臨論」で終わりでした。


しかしクリスチャンたちにとっては、
このみ言は革命的な力を持っており、
聞き進むにつれ夢を見たり啓示を受けたりするようになります。

そのような受講者の状況に応じて、
西川先生は真の父母様の証しをしておられたようです。

しかし私には、幸か不幸か、夢も啓示もまったくありませんでしたので、
一通り「原理」を聴き終えても、なお一か月くらい、
真のお父様のことも再臨それ自体についても、
何も証かされないままに過ぎていました。


そんなある日のこと、松本ママの家に初めて宿泊したことがありました。
私は「再臨論」を聴いたとき、
「主が来られたのは韓国ではなかろうか」と思ったのですが、
口には出しませんでした。

それでその晩何気なく、「ねえ松本さん、
主は韓国にいらっしゃるのでしょう?」と尋ねると、
松本ママは跳び上がらんばかりに驚き、
「お嬢さん、よく分かりました。
そのことが分かれば、もうあなたに何も秘密はありません」
と言われて語り始めました。


それからの時間は、韓民族がどのような民族性を持ち、
どのような歴史をたどってきたか、さらに韓民族は唯一神を拝し、
クリスチャンの多い白衣の民族であるとか、
昔から『鄭鑑録』などメシヤ的人物が
韓国に現れるという予言書がある等々、
また福音書やヨハネの黙示録に韓国動乱の預言があることなど、
一気に話してくださいました。

それまで私の周囲には韓国の人はいなかったので、
韓国に対してはまったくの白紙であり、
それらのお話はすんなりと私の心に入ってきたのです。


翌日、西川先生の所に行くと、先生はにこにこされながら
韓国語版の聖歌を取り出して来られました。

先生はそれまでよく、
「黙示録にあるように私たちは新しい歌を歌うのです。
みんないい歌ですよ」とおっしゃって、
「東の勇士」や「復帰の心情」などの聖歌を歌ってくださるのですが、
妙な歌詞付けと、ところどころ不思議なこぶしをつけて歌ったりするので、
私は内心いつも「変な歌……」と思っていました。

私は大学では合唱団に入っていたので、
この教会はみ言はこれほど素晴らしいのに、
音楽性や芸術的センスはどうなっているのだろうかといぶかり、
何度か西川先生に「楽譜はありませんか?」と尋ねたのですが、
いつも先生ははっきりとした返事をなさらなかったのです。

ところが楽譜はあったのです。
主は韓国に来られたという秘密を私が知るまで、
西川先生はこんなにも慎重に導いてくださっていたことに初めて気がつきました。

そして私に、「あなたは楽譜が分かるでしょう? 
日本語に翻訳してあるのでこれを楽譜に当てはめて
日本語で歌えるようにしてください」と言われました。

ですから古い聖歌の大半は、
私が聖歌に日本語で歌詞付けをしたのです。


こうして私は、教会に入教する決意を固め、
松本ママの家から通学、通教するようになりました。

当時はまだ、一人が伝道され、食口として復帰されていくことが、
とても難しい時代でした。
そのうえ教会はとても貧しかったのです。

西川先生は印刷のアルバイトをされながら、
み言を宣べ伝えておられました。
そのアルバイトも、既成教会の週報を
印刷するくらいの仕事しかなかったので、
やがて機械も壊れたのかほとんど入金も途絶えるようになりました。


西川先生から言われて、夕食を作ろうと引き出しを開けてみても、
10円か15円しか入っておらず食事のない日が増え、
松本ママが伝道に行ってもらったお茶菓子を
夕食代わりにみんなで分けて食べたりしました。

松本ママも病気上がりの未亡人で、
間もなく献身的に歩むことを決意したもう一人の婦人もクリスチャンの未亡人、
あとは私のような学生たちばかりで経済基盤を持った人はいませんでした。

それでも西川先生は、伝道を最優先され
「まず神の国と神の義とを求めなさい。
そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう」
(マタイによる福音書第六章33節)の聖句を実践する生活でした。


(その翌年の写真)
196106 setsuko sakurai.jpg  196106 shinookubo.jpg



櫻井夫人は、4代のクリスチャンの家系に生まれ、
信仰の土台があり、また本当に純粋な心情を持たれていました。
そのようなことで、まさしく天が導かれたのだと思います。

初期に導かれた人は、お父様との霊的な出会いが
豊富にあったといいます。

外的にうらやむようなものは、何もないけれど、
その点に関しては、本当にうらやましいと思います。
しかし、今もお父様は霊界におられるのですから、
私たちの決意次第で、そんな出会いがあるのではないでしょうか。

お母様が立ち返りましょうといわれている
神霊と真理に満ちた草創期の教会の姿、
それは私たち自らが作っていくのだ、そのように思うのです。

これからも不定期で紹介します


何を食べようか
何を飲もうかと
自分の命のことで思いわずらい、
何を着ようかと
自分の体のことで思いわずらうな。

まず神の国と神の義とを求めなさい。
そうすれば、これらのものは、
すべて添えて与えられるであろう


(マタイによる福音書第六章25、33節)





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2016年11月23日

一晩にして名古屋教会が建った?! 松本ママ、開拓伝道勝利の証し


図1.png


日本全国においては、第8次40日路程を歩んでいます。
40日路程というと、先輩たちの開拓伝道を思います。

草創期に日本の初穂として導かれた松本ママ。
名古屋の地において、見事に開拓伝道を勝利された証しです。


40日が近づいていました。
松本ママは金さんというおばあさんの家に寝泊まりはしていましたが、
教会もなく、誰も伝道されていませんでした。

クリスチャンの家で講義をしているとき、
竹内みつゑさんが、赤ちゃんを連れてやって来ましたが、
「原罪は淫行だ」という言葉につまづいて
松本ママと口論になりました。

「初めから聴かなければ分からないというなら、
初めから聴こうではありませんか」
ということで……。


着いた所は、大野幸子さんという人の家で、
そこで翌日の講義の約束をしました。

あすは最初の創造原理からやろう。
私は講義の約束がとれたのがうれしくて、
興奮して金ばあさんの家に帰って行きました。

翌日、大野さんの家に行くと、八人くらいの人が集まっていました。
竹内さんはきのうの話に憤慨し
「とんでもないことを言う人が来ました。
皆さん話を聴いてみましょう」と、
仲間のクリスチャンに呼びかけ集めていたのです。


私はドキドキしながら、ただひたすら天のお父様にお願いして
「どうか最後まで聴いてくれますように」と祈って講義を始めました。

神様を実証的に証し、本来の神様と人間との関係を解く創造原理から始めて、
クリスチャンが最も関心をもっている復活論まで、
私は機関銃のように一気に語りました。

舌が腫れてよく回らなくなっても、跳んだり歩いたり、体中で表現しながら、
涙を流し、汗を流しながら語り続けました。

聴く人たちも、御飯を食べずに聴いていました。
彼女たちにしても、講義の内容にびっくり仰天して、
食べることも忘れるほどだったのです。
そして、夜には人が十三人に増え、気がついたら夜中の一時でした。


そこで、いったん講義をやめて寝ることにしました。
その時には、もう貧血で倒れそうでした。
意識ははっきりしているのですが、ふらふらするのです。
それでも、興奮しているため全く眠くないという状態でした。

その日はちょうど、開拓を始めて四十日目でした。
あと一日か二日したら、もう東京に帰らなければなりません。

そこで、最後に終末論だけは話しておきたいと思いました。
終末には、天変地異が起こり、日と月が光を失って
星が天から落ちると聖書には書いてあります。

クリスチャンたちは、イエス様が、雲に乗って再臨される時だと信じてきました。
その終末について、聖書に書かれている内容が何を意味するものなのか、
この婦人たちに伝えたいと思ったのでした。


「もし再臨の主が雲に乗ってアメリカに来られたとしたら、日本では見えません。
また、東京に現れたとしても、名古屋では見えないでしょう。
せっかく待ってきたのに会えなかったら、これほど残念なことはないでしょう。
主が雲に乗ってどこへ来られるのか。
星が落ちるとはどういうことなのか。
聖書の中の神様の言葉が何を意味しているのか知りたくありませんか。
私はもう東京へ帰らねばなりません。
どうか最後にこの終末論だけ聴いてください」

と必死で頼むと、彼女たちも終末論には関心がありますから、
ぜひ聴かせてほしいということでした。

翌日、今度はそこにいた十三人の中の一人、
松本静枝さんの家で講義をすることになったのです。


「終末には太陽と月が光を失い、天変地異が起こるといわれていますが、
これは宇宙が滅びるという意味ではありません。
神様がつくったもので人間以外は何一つ堕落していません。

それなのにどうして全知全能の神様が、
創造本然の神様の願いのままの姿をしている森羅万象を滅ぼすことがあるでしょうか。
そんなことをしたら失敗の神様になってしまいます。

『世は去り、世は来たる。しかし地は永遠に変らない』
と聖書にはあるではありませんか。

終末は歴史的に見ると善悪の交差点に当たります。
現代はまさにその終末の時で、科学文明も進み、民主主義が発達し、
主の再臨の準備はととのっています。

あとは再臨主を迎え、善の実体であるその方を中心として、
悪を滅ぼし、天国の建設が始まるのです」


今までとは全く違う観点から、希望に満ちた終末の話を聴き、
彼女たちは泣いて喜んで、「ハレルヤ、ホザナ」と口々に叫びながら、
私の周りに集まってきました。

そして、「松本先生、どうぞ行かないで私たちを指導してください」
と言って私を引き止め、その中の小牧さんというおばあさんは、
まだ開業していない幼稚園を教会として献納してくださいました。

そのうえ金ばあさんが来て、
娘さんからもらったといって五万円という大金を献金してくれたのです。


四十日間、さんざん殴られ、けられて、食べるものも食べず、
汗と涙で訴え続け、七転び八起きという言葉のごとく、
十回転んでも十一回転んでも、最後には立ち上がって、
忍耐してきたその実りとして、四十二日目にして、

十三人の女性が神様の前に目覚め、立派な教会が与えられ、
献金まで与えられて、名古屋に初めての統一教会ができたのでした。

信仰と努力と忍耐が一番問題だと言われた西川先生の言葉を守り、
三十億人類があなたを裏切っても、私は絶対に裏切りませんと、
殉教の精神をもって神様に固く約束した言葉を胸にきざんで、
バカにされても水をかけられても、血を流すことがあっても、
一分一秒も休みなく、涙で祈り、汗を流して
名古屋中の人々に語りかけてきた日々でした。

そのド根性を見て、神様は最後に、予定した人、
十三人に一遍に会わせてくださったのです。


この日、私はさっそく西川先生に電報を打ちました。

「ナコヤ(名古屋)ノサタンノクビオチタリ」

すると電報局の人が驚いて、
「首が落ちたって、この電文間違っているのではありませんか」と言うのです。
私は「間違いありません、そのままで打ってください」と言って打ってもらいました。


西川先生は、大阪にいたのですぐ来てくださいました。
もう畳二枚のトタン小屋ではありません。
守山の森の中の大きな幼稚園に、「名古屋統一教会」と看板を掲げ、
中には十三人の神の娘たちがいるのです。

ちょうど九月で、西川先生が着いた時すごい嵐になりました。
ピカッ、ゴロゴロッという雷とザァーッという雨の音を聞きながら、
その夜はぐっすり眠りました。

嵐の中の三日間、私は思いきり寝ました。
小牧さんが冷や麦を愛を込めて作ってくれたので、
愛を込めて食べました。
その冷や麦のおいしかったこと。

嵐がやんでから、皆で草を抜き、ガラスをふいて大掃除を済ませてから、
西川先生の説教を聴きました。

その説教で、十三人の婦人たちは涙で顔がくしゃくしゃになるほど泣きながら、
神様のために働こうと固い決意をしたのでした。



長くなるので、ここでは省いていますが、
40日間、どれだけ精誠を尽くして歩まれたか・・・
その土台の上に、神様は13人も準備してくださっていました。

家庭教育局の多田部長がよく語られますが、
「どんなことがあっても、『私があきらめない』
その精神が重要です。
あきらめなければ、神様が役事しますが、
あきらめたら、神様は働こうにも働くことができません」

み旨は必ず成就します。
それは、大きい意味でも小さい意味でも。
神様は私たちを通して、
み旨を成そうとされます。

松本ママのように、
「どんなことがあっても、
私はあなたを裏切りません」
そのような精神を相続していきたいと思うのです。




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2016年11月22日

雨が止んだ!! 日韓トンネルに捧げた、真のお母様の祈祷!



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先日、日韓トンネルを視察された真のお母様。
お母様の祈祷と、その場に参加しておられた
総会長の報告内容を紹介します。


尊貴なる天の父母様(神様)。

きょうここ、唐津において、
これまでみ言に従って30年以上、
その責任を果たすために苦労してきた
韓国と日本の息子、娘たちを、
あなたは覚えてくださっています。

どれほど待ちわびた、この瞬間でしょうか。

神様はあらゆる精誠を尽くして天地万物を創造され、
最後に人間の先祖となり得る
アダムとエバを創造してお喜びになりました。

しかし、創造主である神様と絶対的に一つになって
成長すべきだったアダムとエバは、
自らの失敗により、
自分のことだけを考えるようになって、
天の父母様の夢を実現できない方向へと
歴史をつくりあげてきました。

天の父母様は、
全知全能で絶対的な主人であられるので、
この堕落した人類を放っておくことができず、
長い歳月をかけて、
選民の名のもと、イスラエル民族を育てられ、
世界的にローマ帝国の基盤が築かれたとき、
メシヤを送ってくださいました。

けれども、マリヤとザカリヤ家庭、
ユダヤ教とイスラエル民族が責任を果たせず、
イエス様が十字架にかからざるをえない、
恨の歴史を再び人間がもたらしたとき、
天はどれほど胸を痛められたでしょうか。

それでも、変わることのない愛で、
人類の救いのために再びキリスト教文化圏をつくりながら、
2000年という長い歳月を通して、
再臨のメシヤ、救世主、真の父母の道を準備してこられた、
天の深い事情があったことを知っています。

摂理歴史において、韓国と日本が父母の国として、
天の父母様と人類の前に必ずや責任を果たしうる
今回の機会であることを切実に感じながら、
改めて今、この唐津の現場で
天の父母様に懇切にお願いしますので、
み意のとおりにかなえてください。

今日、全世界において、未来のない
暗澹(あんたん)たる現実ばかりが横たわっています。
ただ真の父母様を知って侍る者たちだけが、
未来の人類にとって希望であり、
天の願いをかなえてさしあげることのできる、
唯一のあなたの息子、娘です。

改めて深く、天の父母様に
感謝と頌栄(しょうえい)を捧げるとともに、
今後、あなたが直接主管する中で、
このプロジェクトを成し遂げるために準備された
全ての人々を集め、
必ずやそのみ旨を成し遂げてくださるよう、
切にお願い申し上げます。

きょうはまた、天候においても
あなたが共にいてくださったことに感謝しながら、
真の父母様のみ名によって祝願いたします。
アージュ!




その日の天気予報は、『一日中・雨』であり、
実際に朝来てみると、雨がザーザー降っていました。

この式は、野外で行う予定だったので、
実際行うことができるか心配でした。

しかし、お母様が唐津に向かう車中、
善進様と私に、
「ユアー・マイ・サンシャインを一緒に歌おう」
そのように語られたのです。

その時、私は1976年に行われたヤンキー大会を思い出しました。
大雨の中、ある食口が歌い始めた「ユアー・マイ・サンシャイン」。
歌声の渦となって、そのあと、奇跡的に雨が止みました。

私はそのことを思い出しながら、
お母様、そして善進様と唐津に着くまで、
大声で歌い続けたのでした。

真のお母様の「孝情」の心情で、
歌を唄った、その心情を天の父母様は感じられたのでしょうか。
何と、驚くべきことに、
私たちがその現場に到着すると同時に、
ザーッと降り続いていた雨が止んだのです。

ヤンキースタジアムで起こった奇跡のように
本当に驚くべき奇跡が起こったのでした。

参加したメンバーたちは、
このようなことを通しながら、
「真のお父様が、お母様とともにおられるのを感じた」
そのように証しする人たちが多かったのです。

皆様、このようなことを通して悟らなければならないと思います。
真のお母様が歩まれているのは、たった一人ではないのです。
お父様がともにおられるということを忘れてはいけません。

誰よりも天の父母様、真のお父様に対して、
孝情の心情をもって歩まれる真のお母様がおられるのです。

真のお母様は、混迷した世界を
人類一家族として、天に父母様の前に
正しく導こうとされておられるということを
心の中に刻み込みながら、
私たちも氏族や周辺の人たちに対して、
真の父母様を誇り、証しする
祝福家庭となってまいりましょう。
(一部、編集しています)



雨の降っている唐津現場で
お母様ご一行を待っていたのは、
徳野会長はじめ、責任者たちでした。

ザーザー降りの雨の中、
どれだけ気をもんでおられたでしょう。
雨が止むようにお祈りをしたとも聞いています。

そして、お母様が来られた時、
見事に雨が止みました。

全体撮影の写真を載せたのですが、
徳野会長の何とも言えない表情に
その思いが表れているような気がしますね。。。


総会長が語られるごとく、
お母様とお父様はいつも一つです。

お母様をお支えすることが、
お父様を喜ばせることなのです。

そのことを肝に銘じて、
今の時、み旨を邁進していきたいと思うのです。



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posted by ten1ko2 at 08:48 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする