真の子女の日クイズ〜♪
──真の父母様が、一番最初に
祝った名節はなんでしょうか?
1番、父母の日
2番、子女の日
3番、いい夫婦の日
──真の父母様が、一番最初に
祝った名節はなんでしょうか?
1番、父母の日
2番、子女の日
3番、いい夫婦の日
☆
一昨日、10月1日は第57回「真の子女の日」でした。
本部教会の記念式典で宋龍天総会長が興味深いお話をされていたので、
抜粋してお伝えしたいと思います。
その前に、説教の要旨が
web中和新聞に掲載されていますので、紹介します。
☆
第57回「真の子女の日」、第29回「天宙統一国開天日」、おめでとうございます。
家庭連合時代を迎えた今、実質的で実体的な信仰が求められています。
個人救援を中心とする統一教会時代において真の父母様は
「私の誓い」を定めて勝利的に歩まれながら家庭連合時代を切り開き、
「家庭盟誓」を定めてくださいました。
家庭連合としての新しい時代を宣布してくださったのです。
家庭連合時代は、実体的に勝利された真の父母様の完成期の路程を、
夫婦が一つとなって実体的な家庭を完成することで、
天一国の主人となる時です。
私たちは勝利された真の父母様と一体になることが重要です。
そして家庭の中で夫婦が一つとなり、
父母と子女が一つとなって幸福な家庭を築くという家庭的天一国を実現していく時代が、
すなわち家庭連合時代なのです。
これまでに真の父母様は、私たちに対して心情共同体に関するみ言を下さり、
真のお父様の聖和4周年行事において、
「天に対する孝情、世の光として」として、
私たちが天の伝統を相続する孝子となり、
世の中の光となって生きていくようにと示してくださいました。
このように真の父母様は、
孝情の伝統と心情文化共同体を基盤とする家庭連合時代の実現を願っておられます。
私たちは、そのような意識をもち、
天の心情と真の父母様の心情と完全に一体となって生きていくことが大切です。
家庭連合時代は、観念的な信仰ではなく、実体的な家庭的信仰の時代です。
真の父母様によって重生された私たち祝福家庭は、
天の前に真の子女として生まれ変わった立場です。
真の父母様と心情がつながり、天と一つとなった真の子女になるのです。
そのことを自覚し、確信をもって感謝しながら生きるときに、
天の父母様も真の父母様も喜んでくださいます。
きょう真の子女の日の記念日を迎えました。
家庭において天に侍って一つになり、天一国主人の生活をすることを自覚し、
天一国の定着、安着を目指して家庭連合時代を歩んでまいりましょう。
☆
そして、総会長は、『真の子女の日』制定の背景について
次のように語られていたということです。
☆
私たちは今まで、観念的に真の父母の日が制定されて、
真の子女の日、そして真の万物の日が制定されたと理解してきました。
しかし、実際には記念日が宣言された順序を見ると、
最初に宣言された日はまさに真の子女の日なのです。
真の子女の日は、1960年10月1日、青坡洞前本部教会で
十二種類の穀物を精誠を込めて陳列した中で、
感謝祭の礼拝という名前で行われた行事で、
真のお父様が「私たちが捧げるこの感謝祭こそ人類の歴史創設以来、
6000年の間神様が待ち焦がれた天の節句になるだろう」と言われ、
「子女の節句であり結実の季節」として、
「子女の日」と名節を制定されました。
そして、その翌年の1961年3月1日、
真の父母様の約婚式1周年記念日に「父母の日」が宣布されました。
その日、真のお父様は「1960年3月を中心に、
私たちは歴史上になかった新しい一日を定めたが、その日がまさに父母の日です」
とおっしゃられ、真の父母の日の制定の動機が
ご夫妻の約婚式を根拠にしていることを明らかにされました。
そのため、結果的には真の父母の日が先に制定されて、
真の子女の日が後になったのです。
☆
お父様が制定された一番最初が『子女の日』だったのです。
総会長が語られていたように、
観念的に「父母の日」が最初だと思っていました。
しかし、そうではなかったのです。
私たちが、真の子女になることを
神様、そして真の父母様が
心から願われていることを感じます。
そして、実体の時代、家庭的信仰の時代を迎えて、
私自身が生まれ変わり、本物になっていかないといけないと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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