大韓民国、この名がつけられたのは、
とても偶然とは思えません。
韓の姓を持つお母様が、証した真実──
とても偶然とは思えません。
韓の姓を持つお母様が、証した真実──
去る10月22日、清平で行われた秋季大役事。
以前お母様のみ言の一部を紹介しましたが、
あらためて全文を紹介したいと思います。
今日は、その中間部分、
お母様が「歴史の真実」を語ってくださっている部分を
一挙紹介します。
☆
私が歴史の真実を明らかにすると話しました。
神様の創造は結果的に天の父母様となられ、
人類を子女として抱こうとされる摂理歴史でした。
しかし全知全能であられる神様も人間が責任を果たし、
完成しなければならない原理を定められたため、
アダムとエバの堕落以降、6000年という
長い蕩減復帰歴史を耐えて来られながら、
今か今かと神様のみ旨を
受け継ぐことの出来る人間を待って来られたのです。
☆
そうして2000年前、4000年という長い歳月を通して
選民というイスラエル民族を選び、
国家的な基盤となることの出来る環境を育てて来られながら、
独り子、イエス・キリストを送ってくださいました。
しかし中心人物の役割をすべきマリヤ、周りのザカリヤ家庭、
ヨセフ、ユダヤ教、イスラエル民族は、
結果的に責任を果たせませんでした。
その4000年という長い歳月を通して
天が対することの出来る独り子、
イエス・キリストを送ってくださったのに、
その道を開くべき中心人物が責任を果たせなかったことにより、
結果的にイエス様は十字架でなくなられるしかなかったのです。
☆
そのような状況の中で、「再び、来る!」
再び来て何をすると言いましたか?
「小羊の宴」をすると言いました。
「小羊の婚宴」という言葉は独り子、
一人ではいけないという話です。
神様の創造がアダムとエバであったように、
独り子として来られたイエス様は
独り娘に出会わなければなりません。
このキリスト教2000年の歴史は
天が独り娘を探し求める準備期間です。
ですから天は責任を果たせなかった
イスラエル民族から去らなければなりません。
☆
再び当時見つけることが出来なかった独り娘の基盤、
独り娘を探すことのできる
安全な装置を天は準備して来られました。
天が摂理歴史に登場させる人物はサタン世界の基準で見て、
最高でなければなりません。
このようにこの民族を天は分別し、
本来見つけるべき独り娘の基盤を
磨いて出てくることが出来るように、
選民として立てられました。
☆
ですから韓国の歴史を見れば、
燦爛たる文化を持っていた高句麗、高句麗が滅び、
次に登場した国が高麗、
高句麗の「高」の字をつけて高麗と定めました。
高麗が滅びてから、李氏王朝が登場する時代には、
朝鮮という名をつけました。
しかしこの朝鮮が国を支配していた時に
韓国ではどのような現象が起こりましたか?
第二次世界大戦前後に、韓国は日本の圧政下にありました。
解放は1945年でした。
私が生まれたのは1943年です。
解放とともにこの国に名がついたのですが、大韓民国です。
韓国です。
誰がこのような名をつけたでしょうか?
誰かわからないですが、天の摂理の中で
「韓国」という名が定められました。
☆
その100年前にインドの詩聖タゴールが 、
美しい詩を作りました。
当時は日本が占領していた時です。
当時KOREA、韓国です。
「その灯が再びともる日には、
あなたは東方の明るい光となるだろう」
光は何を象徴しますか?
暗闇を照らす「真理」です。
真のみ言です。
☆
お父様はイエス様から独り子の立場を継承され、
その責任を果たす過程で
このみ言を探し出さなければなりませんでした。
私はサタンとは関係のない2000年前の
イエス・キリストの時と同じように
神様の独り娘として生まれました。
そのため真の父母の位相は、前にも後にもない、
今現在の「真の父母」のみです。
秋季大役事 真の父母様特別集会
真のお母様のみ言 より
天一国4年天暦9月22日(陽暦 2016年10月22日)
天宙清平修錬苑 大聖殿
真のお母様のみ言 より
天一国4年天暦9月22日(陽暦 2016年10月22日)
天宙清平修錬苑 大聖殿
☆
何度も書いていることではありますが、
今この地上において、真の父母様に侍ることができること。
そのことがどれほど感謝であるかしれません。
また、足りないながらにも
こういったブログを通して、
多くの人たちにそのことをお伝えできること。
そのことも本当に感謝しています。
そして、真の父母様によって
「私は生まれ変わりました!」
そのことを誇り、真の父母様を証しする、
そのような者になっていきたいと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)