今日も金元弼(ウォンピル)先生のみ言です。
伝道に関してアドバイスしてくださっています。
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伝道
伝道
質問:み言に感動しても、その後なかなか献身できない人に対して、
どのように導けばいいのですか?
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以前は伝道してきた人に、原理を三日間で全部語っていました。
その原理に感動した人が、
「私はあす約束があるので、あすの夕方にまた来ます」とか、
「仕事が残っているので仕事をやり終えて必ず来ます」と言います。
しかし、固い約束をした人でも二度と来なかったという体験が多くあります。
そこで、「夕食を食べなさい」とか、
「和動会や証し会があるので参加してください」ととどめているうちに、
その人は他の人との約束を破ってしまったために
自分の家や職場に帰る必要がなくなってしまうのです。
ところが約束だけして家に帰ると、
自分でも予期しないことが起こるのです。
予想しないことが起こると教会のことを他の人に話し、
その人から教会のいろいろな悪いうわさを聞き、
もう帰ってこなくなるのです。
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見えないサタンは、堕落人間が自分の主管圏から神の主管圏に行こうとすると、
あらゆることを通してそれを阻止してくるのです。
モーセの時代に、イスラエル民族が三大奇跡と十災禍をもってしても、
エジプトからなかなか出ることができなかったのと同じです。
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他者との協力が大切
他者との協力が大切
次に、み言を教えた人が同時に献身的に活動することを
強調することはできないのです。
また、み言を聞いて感動してもそれは長く続かないのです。
それは自分でつくった感動ではなく、他の人から受けたものですから、
感動を与えた人がいれば感動は続くのですが、
いなくなってある期間過ぎるとなくなってしまうのです。
そして決意すると、悪霊界は昔のことや
自分の周囲のことを思い出すように働きかけ、
み言を聞く前の段階に戻りやすいのです。
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ですから皆さんが一人でその人を育てて、
献身的に活動させようとしてはいけないのです。
自分ですべてやろうとしないでください。
子供の教育も自分一人でなく、他の親と助け合うことが必要です。
惰性や習慣性があるので親の言うことを聞かない子供でも、
他の人が言うと、同じことを言っても
新しいことを言っているように考えるし、刺激が強いのです。
世の中の人から文先生は偉大で、
この方の話を聞かなければならないと言われれば、
先生から直接言われるより強く感じるというのです。
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皆さんもそうでしょう?
先生がやりなさいと言ってもやらなかったのに、
他の人が先生の言われることをやりなさいと言うと、
さっとやるでしょう。
そのように、み言を教えた人が、
その人に「すべてを切って教会のために尽くしなさい」
とはなかなか言えないのです。
全くその人を知らない隣の人なら、
「献身的に一緒にやりましょう」と言えるのです。
名医でも自分の奥さんの手術は痛みが分かるので、
腕は自分より落ちたとしても他の医者に頼むのです。
他の医者は自分の奥さんでないので、ぱっと切れるのです。
☆
み言を聞いて感動した人が、
「それは素晴らしいですが、自分には
他にやらないといけないことがあります」と言うと、
皆さんは壁にぶつかり、失望してしまいます。
それは皆さんが一人でやろうとするからです。
そして、その人には必ず証が必要です。
このように、献身的になることを勧めるには他の人の協力が必要です。
ご主人の世話もそうです。
周りの人や、他の人のご主人の助けが必要です。
関係をどんどんつくっていくと、
いろいろな人を通してどうすべきかを学ばされるのです。
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伝道をするとき、
目に見えないもの、善霊と悪霊が働いているということ、
そのことを忘れてはいけないと思います。
ですから今まで、祈ったり条件を立てたりして、
伝道する人を守って来ました。
さらに中心への報連相や、基台を立て
連携を取る中で、人が生きてくると思います。
特に、子供の教育には
『第三者の親の協力が必要』
本当にそう思います。
さらには、お兄さん、お姉さんの存在も
特に重要だと思います。
ご主人に対してもそうでしょう。
そして、何よりも、私たち以上に、生かしたい、守りたい
神様がいることを忘れてはいけないでしょう。
自分だけでやってしまわないこと、
これは大切だと思います。
家庭連合時代となって、今は、私一人でなく、
私の家族で、私の教会で、
家族意識をもって取り組んでいくことを
天が願われているときです。
家庭をオープンにする時だと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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