2016年11月23日

一晩にして名古屋教会が建った?! 松本ママ、開拓伝道勝利の証し


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日本全国においては、第8次40日路程を歩んでいます。
40日路程というと、先輩たちの開拓伝道を思います。

草創期に日本の初穂として導かれた松本ママ。
名古屋の地において、見事に開拓伝道を勝利された証しです。


40日が近づいていました。
松本ママは金さんというおばあさんの家に寝泊まりはしていましたが、
教会もなく、誰も伝道されていませんでした。

クリスチャンの家で講義をしているとき、
竹内みつゑさんが、赤ちゃんを連れてやって来ましたが、
「原罪は淫行だ」という言葉につまづいて
松本ママと口論になりました。

「初めから聴かなければ分からないというなら、
初めから聴こうではありませんか」
ということで……。


着いた所は、大野幸子さんという人の家で、
そこで翌日の講義の約束をしました。

あすは最初の創造原理からやろう。
私は講義の約束がとれたのがうれしくて、
興奮して金ばあさんの家に帰って行きました。

翌日、大野さんの家に行くと、八人くらいの人が集まっていました。
竹内さんはきのうの話に憤慨し
「とんでもないことを言う人が来ました。
皆さん話を聴いてみましょう」と、
仲間のクリスチャンに呼びかけ集めていたのです。


私はドキドキしながら、ただひたすら天のお父様にお願いして
「どうか最後まで聴いてくれますように」と祈って講義を始めました。

神様を実証的に証し、本来の神様と人間との関係を解く創造原理から始めて、
クリスチャンが最も関心をもっている復活論まで、
私は機関銃のように一気に語りました。

舌が腫れてよく回らなくなっても、跳んだり歩いたり、体中で表現しながら、
涙を流し、汗を流しながら語り続けました。

聴く人たちも、御飯を食べずに聴いていました。
彼女たちにしても、講義の内容にびっくり仰天して、
食べることも忘れるほどだったのです。
そして、夜には人が十三人に増え、気がついたら夜中の一時でした。


そこで、いったん講義をやめて寝ることにしました。
その時には、もう貧血で倒れそうでした。
意識ははっきりしているのですが、ふらふらするのです。
それでも、興奮しているため全く眠くないという状態でした。

その日はちょうど、開拓を始めて四十日目でした。
あと一日か二日したら、もう東京に帰らなければなりません。

そこで、最後に終末論だけは話しておきたいと思いました。
終末には、天変地異が起こり、日と月が光を失って
星が天から落ちると聖書には書いてあります。

クリスチャンたちは、イエス様が、雲に乗って再臨される時だと信じてきました。
その終末について、聖書に書かれている内容が何を意味するものなのか、
この婦人たちに伝えたいと思ったのでした。


「もし再臨の主が雲に乗ってアメリカに来られたとしたら、日本では見えません。
また、東京に現れたとしても、名古屋では見えないでしょう。
せっかく待ってきたのに会えなかったら、これほど残念なことはないでしょう。
主が雲に乗ってどこへ来られるのか。
星が落ちるとはどういうことなのか。
聖書の中の神様の言葉が何を意味しているのか知りたくありませんか。
私はもう東京へ帰らねばなりません。
どうか最後にこの終末論だけ聴いてください」

と必死で頼むと、彼女たちも終末論には関心がありますから、
ぜひ聴かせてほしいということでした。

翌日、今度はそこにいた十三人の中の一人、
松本静枝さんの家で講義をすることになったのです。


「終末には太陽と月が光を失い、天変地異が起こるといわれていますが、
これは宇宙が滅びるという意味ではありません。
神様がつくったもので人間以外は何一つ堕落していません。

それなのにどうして全知全能の神様が、
創造本然の神様の願いのままの姿をしている森羅万象を滅ぼすことがあるでしょうか。
そんなことをしたら失敗の神様になってしまいます。

『世は去り、世は来たる。しかし地は永遠に変らない』
と聖書にはあるではありませんか。

終末は歴史的に見ると善悪の交差点に当たります。
現代はまさにその終末の時で、科学文明も進み、民主主義が発達し、
主の再臨の準備はととのっています。

あとは再臨主を迎え、善の実体であるその方を中心として、
悪を滅ぼし、天国の建設が始まるのです」


今までとは全く違う観点から、希望に満ちた終末の話を聴き、
彼女たちは泣いて喜んで、「ハレルヤ、ホザナ」と口々に叫びながら、
私の周りに集まってきました。

そして、「松本先生、どうぞ行かないで私たちを指導してください」
と言って私を引き止め、その中の小牧さんというおばあさんは、
まだ開業していない幼稚園を教会として献納してくださいました。

そのうえ金ばあさんが来て、
娘さんからもらったといって五万円という大金を献金してくれたのです。


四十日間、さんざん殴られ、けられて、食べるものも食べず、
汗と涙で訴え続け、七転び八起きという言葉のごとく、
十回転んでも十一回転んでも、最後には立ち上がって、
忍耐してきたその実りとして、四十二日目にして、

十三人の女性が神様の前に目覚め、立派な教会が与えられ、
献金まで与えられて、名古屋に初めての統一教会ができたのでした。

信仰と努力と忍耐が一番問題だと言われた西川先生の言葉を守り、
三十億人類があなたを裏切っても、私は絶対に裏切りませんと、
殉教の精神をもって神様に固く約束した言葉を胸にきざんで、
バカにされても水をかけられても、血を流すことがあっても、
一分一秒も休みなく、涙で祈り、汗を流して
名古屋中の人々に語りかけてきた日々でした。

そのド根性を見て、神様は最後に、予定した人、
十三人に一遍に会わせてくださったのです。


この日、私はさっそく西川先生に電報を打ちました。

「ナコヤ(名古屋)ノサタンノクビオチタリ」

すると電報局の人が驚いて、
「首が落ちたって、この電文間違っているのではありませんか」と言うのです。
私は「間違いありません、そのままで打ってください」と言って打ってもらいました。


西川先生は、大阪にいたのですぐ来てくださいました。
もう畳二枚のトタン小屋ではありません。
守山の森の中の大きな幼稚園に、「名古屋統一教会」と看板を掲げ、
中には十三人の神の娘たちがいるのです。

ちょうど九月で、西川先生が着いた時すごい嵐になりました。
ピカッ、ゴロゴロッという雷とザァーッという雨の音を聞きながら、
その夜はぐっすり眠りました。

嵐の中の三日間、私は思いきり寝ました。
小牧さんが冷や麦を愛を込めて作ってくれたので、
愛を込めて食べました。
その冷や麦のおいしかったこと。

嵐がやんでから、皆で草を抜き、ガラスをふいて大掃除を済ませてから、
西川先生の説教を聴きました。

その説教で、十三人の婦人たちは涙で顔がくしゃくしゃになるほど泣きながら、
神様のために働こうと固い決意をしたのでした。



長くなるので、ここでは省いていますが、
40日間、どれだけ精誠を尽くして歩まれたか・・・
その土台の上に、神様は13人も準備してくださっていました。

家庭教育局の多田部長がよく語られますが、
「どんなことがあっても、『私があきらめない』
その精神が重要です。
あきらめなければ、神様が役事しますが、
あきらめたら、神様は働こうにも働くことができません」

み旨は必ず成就します。
それは、大きい意味でも小さい意味でも。
神様は私たちを通して、
み旨を成そうとされます。

松本ママのように、
「どんなことがあっても、
私はあなたを裏切りません」
そのような精神を相続していきたいと思うのです。




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