先日、ある777双の大先輩と
少しお話をする機会がありました。
長い間、教会から遠ざかっておられる、
ある古い先輩と、共通に縁を持っていたのですが、
こんなことを語られていました。
☆
「○○さんが何とか戻ってこないかな・・・」
そんなことを思っているうちに
『罪の女』の話が浮かんできたんです。
あなたも知っていると思うけど、
イエス様の時代に罪を犯した女がいて、
律法学者やパリサイ人たちが、
「この女に石を投げよ」と言った。
そうしたら、イエス様は、
「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」
こんな風に話しましたね。
実は、私たちも五十歩百歩でね。
律法学者やパリサイ人と同じなんじゃないか、
そんなことを思わされるんですよ。
自分の目線で見つめていると思うんですね。
たまたま導かれて、
何とか今もこの道に残っているだけであってね。
お父様の願いに応えてきたかというとそうじゃない。
不信仰にもほどがあるというかね。
でも、お父様は私たちのことを愛し、赦してくださっている。
先だっても、お母様は四大聖物を通して、
私たちを赦し、再出発してくださっている。
そういう目線で、私たちも見つめていかないといけないと思うんです。
(文責:ten1ko2)
☆
本当におっしゃる通りだと思います。
以前にも書いたことがありますが、
昔、6000双の頃歩んでいたものの、長い期間、教会をお休みしていて、
もう一度戻ってこられた方がおられます。
その方がこんなことを言っていました。
「教会から離れたあと、しばらくして、
昔歩んでいた食口と出会ったことがありました。
そのとき、裁きの目で見つめられました。
それで『もう戻ってくることはできない』と思いました。
時が過ぎ、ある時、体が大変になって、
『人生もう終わりなら、最後に教会に行ってみよう』
それで松濤本部に行ったのです。
そうしたら、すべてが許されて、
再出発できます、と。
それで、戻ってくることができました」
今、休眠食口の復帰が願われています。
そして、何よりも私たちが躓(つまず)きの石になってはいけないと思います。
私たちは十分に許されているのですから。。。
また、許されてるからこそ、
環境作りになお一層頑張らなきゃいけないと思います。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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