(平壌)
金元弼先生のみ言
「み言を伝える責任」です。
興南から出られたお父様は、
故郷に帰らず、なぜ、平壌に行き、
弟子を訪ねていかれたのでしょうか。
☆
先生の証をしたいと思います。
先生が北韓でろう屋に入られた時に、
多くの霊能者が先生を証し、
従っていたということを私は何度かお話ししました。
しかし先生はろう屋に入られ、
多くの迫害がやってきてもだれも導いてくれる者はなく、
しかも韓国動乱のただ中にあって、
その霊能者たちは一人また一人と離れていきました。
先生はろう屋の中におられても、
そうした事情をよく分かっていらっしゃいました。
皆さんも楽な時はいいですけれども、
難しい時に人々が理解してくれない心の痛みは、
よく経験したことでしょう。
先生がろう屋で非常に難しい時に、
信者が離れていくということを知った先生の心は、
どのようだったでしょうか?
☆
しかし先生は一日に三回、残してきたメンバーのために
ろう屋でお祈りされました。
それだけではなくろう屋を出られた後に、
そこから先生の故郷まではそんなに遠くありませんでしたけれども、
そこを訪ねられませんでした。
その代わりに一人一人の信者たちを訪ねました。
先生が直接行くことができない時には、
私を通して訪ねられました。
そこで先生は、一人一人に何を語られたかというならば、
「私は無事にろう屋から帰りました」という一言だけでした。
なぜでしょうか?
食口たちが離れたのは、
先生はろう屋に入られたのでもう帰ってこない、
死んでいる、と思ったからです。
それで先生は、生きて無事に帰ってきたということを知らせたのです。
最後の食口は八十歳近くでもう亡くなる直前のような状態でしたので、
その子供たちはその人を別の家に送っていましたけれども、
たとえそうした人にでも私を送って、
「帰ってきましたよ」と知らせました。
☆
なぜ先生がそのようにされたかというならば、
それが先生の責任分担だからです。
もし先生が帰ってきたということを知らせないで、
そのままその人たちが霊界に行ったとするならば、
「あなたが帰ってこられた時、私は平壌にいました。
それなのになぜ私に何も言ってくださいませんでしたか?」
と、きっと言うでしょう。
ですから、先生の責任分担はそれを伝えることです。
そして使徒たちがついて来るか来ないかは、
彼らの責任分担です。
先生はその摂理を全うするために、
実の親兄弟に会いに行くことはできませんでした。
☆
ですから私たちも、神のみ言を
すべてのメンバーに知らせる責任があります。
リーダーのミーティングで話す内容は、
「あなただけが聞いておきなさい」
ということで話しているのではありません。
み言は公的なみ言です。
リーダーが、公的な神のみ言を受けたとするならば、
それを他のメンバーに伝えるという責任分担を
必ず全うしなければならないのです。
ですから、先生がリーダーにみ言をあげるために
長い時間をかけて、心を尽くされたように、
リーダーもメンバーにそうしなさいというのです。
先生のみ言はこのようにリーダーを通してきますけれども、
メンバーに届かないことがあります。
それが問題です。
リーダーはよくみ言が分かっているので動くけれども、
メンバーはよく分からないので
動かないというのは当然ではないですか?
ですからリーダーは、メンバーの一人一人に
十分にみ言を伝えていかなければなりません。
そして、メンバーがそれを実践するかしないかは、
彼ら一人一人の責任分担です。
☆
私がメンバーである皆さんに言いたいのは、
もし皆さんがみ言を受けたならば、
その次は皆さんの責任になるということです。
絶対に自分のリーダーを讒訴することはできません。
リーダーが先生の元から帰ってきたなら、
皆さんは自ら進んで、
「どういうことがありましたか?
話してください」という心が重要だということです。
なぜならば早くみ言を聞いて、
早く実践しなければならないからです。
十二時に出発しなさいと言うのに、
なぜ翌日まで待って出発しますか?
だれが良きメンバーであり、
良き子女であるかというならば、喜んでみ言を求めようとし、
即座に行動しようとする者たちです。
☆
真のお父様は、神様を本当に貴く思う方です。
だからこそ、神様を中心に出会った食口たちに
「牢獄から戻ってきました」
そのことを伝えていかれたのだと思います。
また、このみ言を読みながら、
リーダーを私たち祝福家庭、
メンバーをみ言を知らない人たち、
このように当てはめてみました。
お母様は、「73億人類に真の父母を伝えなさい」
そのように常に語られます。
神氏族メシヤとして、
多くの方たちに伝えるべき立場にあるのが私たちです。
お父様が興南から戻られたことを
昔の食口たちにあまねく伝えられたように、
そんなお父様の心情をもって、
真の父母様を堂々と証する
私たちになっていかなければと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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