2016年12月25日

韓国の伝道集会で殺されかけた体験談! その時のお父様のひとこと?! 《中村信一牧師》2



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中村牧師の証し、続編です。



文鮮明先生との初めての出会い

修練会に参加した後のことです。
松本道子婦人は、わたしに
「そろそろ、文鮮明先生に会われますか?」と言われるのです。

さらに、「文先生にお会いするためには、
韓国に行かなければなりませんが、
行っても必ず文先生にお会いできるという保証はありません」
と、言われました。

「できれば、文先生にお会いしたい」と、松本婦人に話しました。
来臨時代における中心人物であられる文鮮明先生にお会いして、
この目ではっきりと文先生が本物の宗教的指導者であるかどうかを、
確かめてみたいと思ったのです。

わたしはそれまでは、賀川豊彦先生を昵懇とし、
また、亡くなられた新島襄先生の夫人とも、
大変親しくお付き合いさせていただいていました。
また、ニクソン大統領ともホワイトハウスでお会いしたこともあります。

しかし、このようなかたがたとは違って、
メシヤをほうふつさせる文先生にお会いするということは、
特別なものがあったのです。


文先生にお会いするため、一人で韓国に向かいました。
そのときの気持ちは、不安でした。
文先生が会ってくださるかどうか、分からなかったからです。

ソウルの青坡洞にある統一教会に行く地図を準備して行ったのですが、
間違いがあってはいけないと思い、本部教会に電話をしました。
すると、本部教会の総務課長さんが、
わたしのいるホテルまで迎えに来てくださったのです。

そのとき、そのかたを通して、文先生がわたしの訪問を
心待ちにしておられるということを伺ったときは、
どれほどうれしかったことでしょうか。

その場で、思わずひざまずいて感謝の祈りをささげたしだいです。
涙が出るほど、うれしかったのです。

青坡洞の教会に着いたときは、
文先生はわたしを心から歓迎してくださいました。
このときから、文先生とは何度もお会いすることとなったのです。



殺されそうになった伝道集会

わたしはかつて、ミッションスクールの応援で、
ソウルの汝矣島広場でキリスト教の伝道集会を開いたことがありました。

初日は、雨のため三百人ほどしか集まりませんでしたが、
最終日の七日目は、数千人が集まったのです。

その最後の日のことです。
ある反日の韓国青年が、わたしを刺し殺そうと
短刀を持って現れたのでした。

わたしは鈍感なところがあり、その青年が
わたしにしようとしていることが、よく理解できなかったのです。

日本で短刀と言えば、光っているのが普通ですが、
その青年が持っていた短刀は錆びているようで、恐ろしさも感じなかったのです。

「これでこの青年は、わたしを突こうとしているのかな?」と、
じーっとその青年を見詰めていました。
わたしは韓国を愛し、特にキリスト教を愛しているのですから、
その韓国の青年がわたしにしようとしている行為が分からなかったのです。

ですから、ボヤーッとしていました。
そのわたしの姿は、観衆から見ると異様に映ったようです。

その青年は、わたしを突き刺す直前、警察の人に取り押さえられました。
事の恐ろしさを感じたのは、その後になってからです。
この事件は、日本の新聞でも取り上げられ、
それでわたしも日本で有名な牧師になりました。


この出来事を文先生に報告しました。
普通であれば、「けががなくて良かった」と言われるのが通例です。

ところが文先生は、
「そこまでやったのであれば、なぜ君はけがをしなかったのか」
と言われるのです。

「君が片手でも血を流し、背広の片方の端でもナイフで裂かれたとすれば、
韓国の牧師たちを復帰するのに本当に良かったのに、残念だ」

わたしはその文先生のお話を伺って、
文先生の摂理に対するすさまじい執念をかいま見た思いでした。



この大会が行われたのは、1971年8月のことだったといいます。

事件について語られたお父様のみ言、
とても衝撃的ですね。。。
無事だったからこその言葉であるとは思いますが。

また、キリスト教の牧師に語られたというよりは、
食口に語られているような感じです。

おそらくお父様と何度か会われたあとのことであり、
中村牧師を、お父様が信頼されていなければ、
出てこない言葉だと思います。
ある面、試しているようにも受け取られます。

中村牧師の文先生の言動に対するとらえ方を見る時に
どこまでもお父様を尊敬し、信頼し、屈服していることを感じます。
他のどんな重要人物と比較しても
特別な存在、それがご父母様であると。

その後も何度か出会いがありますが、
不定期にアップしたいと思います。



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2016年12月24日

☆クリスマスイヴに、イエス様とご父母様を愛した牧師の証し 《中村信一牧師》1



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今日は、クリスマスイヴ。
私が学生部にいたころ、
支部のクリスマス会をしたときに、
中村信一先生をお迎えしたことを思い出しました。

キリスト教の牧師で、
当時の統一教会に導かれた
数少ないうちのお一人です。

中村先生は、
「建者は破者を凌駕する」という題目で、
かつて証しをしてくださったことがありました。

3回シリーズで紹介したいと思います。



統一教会の青年たちとの出会い

超教派運動の実践として、わたしは朝食祈祷会(朝祷会)を始めました。
早朝、六時半から七時半まで、東京の青山会館で開いたのです。
その朝祷会は成功し、多いときは百人、
少ないときでも六十人は参加するまでに発展していきました。

ある日、その朝祷会に、不思議な団体の青年たちが参加するようになりました。
それが、統一教会の青年たちでした。

その青年たちは、一般のクリスチャンとはちょっと違った雰囲気を持っていましたが、
朝祷会の会長であったわたしは、参加したその青年たちを歓迎したのです。
それ以降、その青年たちの仲間が大勢、この会に参加するようになりました。

その後、小山田秀生先生や、松本道子婦人が参加し始めたとき、
参加者の中から「彼らは、物議を醸した統一教会のメンバーだ。
彼らには近づかないほうがいい」と言い出す人が現れました。

わたしはそのとき、参加者に次のように話したのです。
「何を言うか。キリスト教徒はそのような偏見を持って見てはいけない。
まじめな青年であれば、百人が参加しても歓迎しようではないか。
皆さん、彼らに拍手を送りましょう」

朝祷会に集まっていた人々は、統一教会の青年たちに拍手を送りました。
それから、さらに多くの統一教会の青年たちが、
朝祷会に出席するようになったのです。


統一教会の人たちの祈祷は、一種独特なものがありました。
熱心な祈り、時には壮絶とも言える祈りをささげるのです。
そこで、参加者の中からも、しだいに統一教会のメンバーが、
朝祷会に出てくることを敬遠する人が多くなっていきました。

「中村牧師、これはちょっと無理ではないか」。
「あまり統一教会の若者を歓迎しないでほしい」

このような声が、あるキリスト教の人たちを中心に上がるようになったのです。
そのときもわたしは、「超教派の精神に反する」と言って、
統一教会の青年たちの参加を認めました。

しかし、反対の声がさらに高まってきたため、
統一教会の青年たちとともに別の朝祷会を開くようにしたのです。



「統一原理」に触れて


以後、統一教会員との交わりが深くなり、
わたしも教理に触れてみたいという思いになってきました。
統一教会でも、良き友を得たいという思いもあったことでしょう。

その両者の思いが重なり合ったとき、
渋谷の統一教会本部の二階で「統一原理」を聞くこととなったのです。
最初に講義してくださったかたが、
小河原さん(現、桜井節子夫人)という女性でした。
わたしは、二週間ほど本部に通って、勉強しました。

しかし講義を聞いても、キリスト教神学に慣れてきた者にとって
「統一原理」は、なかなか理解しにくいものでした。

ところで、これは後で聞いた話ですが、講義をしてくださった小河原さんは、
スタッフとの雑談のなかで、わたしのことを以下のように話しておられたそうです。

「この牧師は、無感動であって、『キリスト教と違う』と言って怒るわけでもなく、
感心しているのか、反対しているのか分からない」


講師が、このような心情を抱いているなどとはつゆ知らず、
わたしは講義を聞いていました。

ところが、講義のなかの「終末論」のところで、なぜか非常に感動したのです。

キリスト教の終末は、一般的に天変地異が起こることを意味しています。
ところが、「統一原理」での終末は、
“すべてのものが破壊されるのではなく、
新しい秩序がそのときから始まる”という内容でした。
それを聞いて、わたしは非常に感動したのです。

その後、家内もわたしもそれぞれ、場所と月日は異なりましたが、
統一教会の修練会に参加して「統一原理」を学びました。
わたしが参加した十四日間の修練会の講師は、
滝川さん(故、奈田壽美子夫人)でした。

この修練会を通して、統一教会に対してある程度、
理解することができるようになったのです。



実はクリスマス会の時、
中村先生を送迎させていただきました。
緊張していたし、昔のことなので、
どんな話をしたか覚えていないのですが(笑)、
ご自宅に送った時に、
おうちにあげてくださったのをよく覚えています。

お茶菓子を御馳走していただいた後、
色紙をプレゼントしていただきました。
今も大事に保管してありますが、
とても内外の器の大きい先生だと実感しました。

み言を聞いて、受け入れてくださり、
そのあと、お父様との出会いがありました。
続きは明日に。。。。


 中村牧師略歴

1910年1月27日、新潟県北蒲原郡水原町に誕生。
1935年、同志社大学文学部神学科卒業。
その後、日本基督教団沼津教会、京都鴨東教会、弓町本郷教会で牧会。
終戦後、独立して超教派世田谷聖書教会を設立
(その後、日本基督和協教会に改称)
同教会主管牧師、日本超教派基督教協会会長、
彩墨創画会会長、文学博士、神学博士。
1997年11月4日、87歳で昇華(聖和)。

 


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2016年12月23日

2016年最後に、拉致監禁事件が勃発!! 祈りの協助を!!



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拉致監禁事件が勃発してしまいました。。。

実は、今年一度も起きていなかったので、
そのことを書こうと思っていたのですが、
最近、カープ所属の男子学生が拉致監禁された可能性があるそうです。



新潟大学CARPに所属する男子学生Aさん(22歳)が
拉致監禁された可能性が濃厚です。

Aさんは、新潟大学経済学部(夜間コース)の3年生で、
12月13日の夕刻に大学の授業に出席して後、
忽然と姿を消し行方不明になりました。
それ以来、携帯電話も全くつながず、自宅アパートも不在のままです。

Aさんは3年前にCARPで学んでいることをご両親に証し、
その後家族から反対されながらも誠実に話し合ってきていました。

突然の失踪に心配した新潟CARPの友人が、
12月21日に兵庫県のAさんの実家を訪問しました。
ちょうど帰宅したAさんの母親に失踪したAさんの事情を説明し、
Aさんの消息を尋ねたところ、
母親は「息子はたぶん友人のところにでもいると思う。
心配はいらない。」などと言って、
子供の失踪を心配する様子は全く見えませんでした。

Aさんが自分の意志で連絡を絶って
1週間以上も大学の授業を休んで失踪することは考えられないこと、
またAさんの母親の言動等から、Aさんは携帯を取り上げられ、
自宅以外の場所で監禁されている可能性が極めて高いと思われます。

過去の拉致監禁事件の事例としては、
統一教会信者が正月などに実家に帰宅した際に拉致し、
自宅ではないマンション等に監禁して
強制脱会を行うパターンがほとんどですが、
今回の場合、Aさんは新潟大学の授業に出席したきり
失踪していることからAさんの状況が一層懸念されます。

Aさんが1日も早く解放されることを願います。



1週間も連絡が取れないのに
「友達のところに行っていると思う」
そんなことを言う親は普通いません。
向こうから連絡が来ないことをみても、
おそらく、「軟禁」ではないでしょう。

また、胸の痛む事件が起きてしまいました。。。
Aさんの状況を思うと、本当に苦しい立場であると感じざるを得ません。
そして、フラッシュバックのように、
自分が体験した状況を思わされます。

本部の拉致監禁問題の担当者、澤田部長に連絡をすると、
「50年ぶりにゼロになると思っていたんですけど。。。」
何とも無念な様子でした。

日本家庭連合(統一教会)の歴史は57年ですから、
そのほとんどが拉致監禁の歴史だといっても過言ではありません。

このような時代になっても、
いまだに、拉致監禁を辞めようとしない反対派たち。。。

今は、彼の解放を祈るばかりです。




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