2016年12月22日

自己中をやめ、神を正しく知れば、真の父母しかない?! 《米聖職者へのお母様のみ言》



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真のお母様が、12月8日、
「アメリカ聖職者連合 真の家庭価値賞表彰式」
において語られたみ言がPeaceTVに掲載されています。


愛するACLC会員の皆さん、嬉しいです。

神様は私たちの父母です。
しかしご自身が直接創造された目的があるために、
その目的にあう責任を果たす人間先祖となる
真の父母を待ちました。
それが堕落した人類歴史の中におけるメシヤ思想です。

皆さんが聖書を通じてよくご存じだと思いますが、
神様には人類に対する夢がありました。

人間もまた、神様の前に進み出ることができる
希望を持ちましたけれども、
人間先祖であるアダムエバの間違いによって、
蕩減というものを越えない限り、
一歩も進むことのできない人類歴史です。

それで神様は救援摂理歴史をなさざるを得ないのです。


私は最近たくさんの話を話しましたけれども、
ふとノアの洪水について考えてみました。

ある地域で起きた事でしたが、ノアという中心人物を通じて、
天はサタン世界にご自身が捜さなければならない
息子娘たちを捜すために、中心人物として立てました。

ところでノアの洪水が終わり、
ノアが本当に気持ち良く昼寝をしたと聖書に記録されています。

その時ノアに三人の息子がいましたが、皆さんが
知っているように、長男のセム、二番目の息子のハム、
三番目の息子のヤペテ。その中のハムが、お父さんのその行動に
対して恥ずかしがりました。これが中心人物に対して、
一つになることのできなかった結果になったのです。



今、私が何の話をしているのか分かりますか。
堕落した人類は天の前に絶対信仰、絶対愛、絶対服従の立場で、
よそ見をしてはいけないということです。

しかしノアの息子は、その条件に引っ掛かりました。
それでこの三人の息子がバラバラに分かれるようになったのです。
セムは何千年の間にアジアの方面に伸びて行き、
ハムはアフリカの方に行ったのです。

そしてヤペテは中東とヨーロッパを中心として、ノルウェー、
スカンジナビア半島。その地域で暮してみると、
冬に白い雪が何ヶ月以上もずっと降る所なので、
自然と肌は白くならざるを得ないのです。そうでしょう?

ところでハムは暑い熱帯地方に住むようになったので、
特別な色素が年を重ねながらそれが蓄積して真黒くなりました。
面白いですか?



それで私が話そうとすることは、
天が立てた中心人物に対しては
一致しなければならないということです。
自分の考えや欲心があってはいけません。それが、
私たちが天の前に進むことのできる条件になるのです。

ところで今日、このアメリカに多くの問題点があります。
全世界的に多くの戦争や、到底言葉では言えない紛争が
たくさん起きています。

これをどのようにして一つに作ることができるか。
多くの志のある人たちが努力して来ました。
そして宗教としても多くの努力をしました。

しかしこのキリスト教文化圏で、
神様が死んだという共産主義が出て来ました。



本来、神様は堕落した人類を救援摂理なさるために、
イスラエルという選民を選ばれて
人間を一つに作ることのできる、そのような条件を
立てることができるメシヤ思想を育てて出ました。

ところで4000年というとても長い歳月を通じて
蕩減条件を立てられ、一歩一歩進む路程がどれだけ大変なら、
4000年という歳月が掛かるのでしょう。

そして最終的に、天が約束された通りに
メシヤを送って下さいました。
しかし待ちに待ったメシヤに会ったイスラエル民族は
どうでしたか。イエス様と一つになることが出来ませんでした。

この、イエス様と一つになることができなかった
イスラエル民族は、歴史を通じてどのような蕩減を払ったのか
ということです。皆さんはよく知っています。




今日、特に聖職者の皆さんは
神様を正しく教えて上げなければなりません。
神様を正しく教えて上げようとすれば、
この蕩減復帰摂理歴史で中心人物は
救世主、メシヤ、真の父母なのです。

皆さんが皆さんの信者たちを教育するにあたり、
皆さん自らが真の父母と一直線上で、
絶対的に一つになった立場で教育しなければなりません。
そして皆さんのような祝福を受けることができる立場に
進むことの出来るようにして上げなければなりません。

人類が願うことは、平和世界で神様をお父様として
侍って暮らすことができる、自由、平和、統一の幸福な世界。

そのような世界に暮らすためには、変わらなければなりません。
変わるということは、
蕩減を脱しなければならないということです。

真の父母によって祝福を受けて生まれ変わらなければ、
変わることができないですね。そのために皆さんは各々、
担当している仕事に最善を尽くしていると思います。



しかし時は、重要な時というのは、
いつもあるものではありません。
救世主、メシヤ、真の父母が地上にいる時にこそ、
皆さんの実績が天の前に、人類の前に
責任を果たした立場で尊敬されることができるのです。

新しい時代を開いて下さった真の父母の前に、
天一国時代において、天一国は二人が一つになった、
夫婦が一つになったことを言います。
そのような天一国時代に生きる民になろうとすれば、
蕩減条件を脱しなければなりません。

それは真の父母によって祝福される立場であることを
知らなければならないでしょう。
祝福された者であるという責任がついて来るようになります。



幸福は分ければ分けるほど大きくなります。
私一人の幸福ではない、私たち皆が幸福である、
73億人類が幸福であるその日のために、
皆さんが熱心に責任を果たして下さらなければなりません。

神様の目には五色人種がすべて美しく見えます。
偏見を持たないと言うことです。もとはと言えば一兄弟なのに、
私は高くてお前は低い、それは思い違いです。

神様を私たちの父母として侍る立場では、人類皆が平等です。
しかし堕落のために、堕落した結果、真の父母様が
絶対的に必要だということを分からなければなりません。



それで今日、全世界で起きているすべての問題は、
個人としては解決できません。
真の父母を中心に侍った立場で、
一つ一つ解いて行かなければなりません。

特別にこのアメリカ、この国が
選択を受けた国であることは間違いありません。
再臨メシヤの基盤を築くために天が祝福されました。

私たちは歴史を通じて、
天が選択して責任を果たせなかった国が
どのような結果になったのかを知っています。
この国も例外ではありません。

そのために真の父母の使命を果たされるレバレント・ムーンは
この国で40年余り、到底言葉で言えない苦労をしました。

ところで恩恵を恩恵として返し、感謝する心で天の摂理に
責任を果たすこの民族、このアメリカ、この国になるまでは、
皆さんを通じた教育が必要だと考えています。

その道だけが、この国が責任を果たす道であることを
肝に銘じて、もっと真実を明らかにする立場で、
強く雄々しく行って下さればありがたいです。



先回も書いたと思いますが、
食口に向けて語られているようなみ言です。

聖職者の方たちに
責任を果たすことを願われるお母様。

何より、真の父母様の子女として
恩恵を受けている私たちこそが
まず責任を果たす立場であると思います。

今年も残すところ10日となりました。
120日路程の第二次40日最後の10日間、
まさに長成期完成級を越える分岐点です。

いかに「私」が変わっていくか、
それは天と一つになっていくこと、
勝利された真の父母様と一つになること、
そのことを肝に銘じていきたいと思うのです。




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posted by ten1ko2 at 10:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月21日

伝道して嬉しい! 伝道されて嬉しい! 天一国時代にふさわしい伝道の証し!!



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今日は
「家庭連合時代に相応しく
喜びいっぱいの方を伝道」
した証しです。


昨年、前線を通して出会ったIさんは、
親族の誘いを受け某宗教に通い、
熱心な信者のご主人と共に信仰してこられた方です。

彼女は、悩みや問題の原因として
霊障や先祖の因縁話ばかりその宗教で説かれていた事に、
とても重苦しさを感じておられました。

それ故に家庭連合に導かれた時も、
原理を学ぶなかで出てくる家系に纏(まつ)わる
先祖の話や因果応報の話には、当初相対できませんでした。

しかし次第に原理の素晴らしさに触れて感動が深まっていくと、
喜んで頻繁に教会に通われるようになりました。


「(家庭連合の)何を気に入られたのですか?」
と尋ねると、Iさんは「ここは私に合っている!」
「とにかく、ここは明るい!」
「皆さんとの歓談がとても嬉しい!」
と喜びいっぱいに語ってくださいました。

私は喜んで教会に通われるIさんの姿を通して、
実体と心情で伝道できる時代が来ていることを痛感。
スタッフも「この方は、家庭連合時代圏ゆえに
来られている方としか言いようがない」と希望に感じております。


Iさんは原理の学びを通して
感謝献金も喜んで捧げられるようになり、功労を尽くす中で、
昨年、天の前に大きな精誠を立てられましたが、
某宗教の熱心な信仰者だったご主人が、
その数時間後に亡くなられました。

今年9月、天宙清平修錬苑の先生をお迎えする日の朝方のこと、
Iさんは夢を見ました。
亡くなったご主人が交通事故に遭い、
口の中から血を流している夢でした。

夢から覚めたIさんは
「多くの人に惜しまれつつ見送られた告別式だったのに、
主人はまだ成仏していないのか」と思われたそうです。

後日、Iさんに清平ツアーの参加をお誘いすると、
この夢がきっかけとなり快く了承されました。
そしてIさんが、清平ツアー参加を決めた次の日の朝、
ご主人が皆に喜んで食事を振る舞う夢を見られたそうです。

こうして、Iさんは、清平ツアーに、
ご主人と息子さんの写真を携えて初めて参加されました。

家庭連合時代、天一国時代の到来を感じさせるような方を
与えて頂いたことを深く感謝致します。
ありがとうございました。



どのような動機でこの方と出会われたのか、
この証しでは詳しくわかりませんが、
とても素晴らしい出会いだと思います。

今は、天の心情と直結していく中に、
家庭連合時代にふさわしい方が導かれる時を
迎えていることを感じます。

そして、宗教の垣根もだんだんと解かれていることも感じます。
何度かお伝えしていますが、
私たちの路傍伝道を迫害してこられたクリスチャンの男性、
ほとんど毎週のように、私たちが伝道している時に来られて、
ともにチラシを配り、演説をしています。

もっともっといろんな信仰をもっている方たちとも
よりよい交流ができるように、
私自身の心情を天と直結していけるように、
日々の精誠が重要であると感じます。




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2016年12月20日

「まず、私を愛しなさい!」 忠告は、ただしても通じない?! 《金元弼先生の信仰サプリ》



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金元弼先生の≪信仰サプリ≫
今日は、「天情と人情、自己否定」です。

※興南の地で、お父様のお母さんが
お父様に会いに行かれた時、
お父様がその情を切っていかれた内容は、
皆様もご存じだと思いますので、
その部分は省かせていただきました。


先生は、食口が教会を訪ねて帰る時には、食口の後ろ姿が見えなくなるまで、
門の所でじっと立って見送りました。
食口がまだ帰って来ない時には、外に立って待っている先生でした。

そういう先生であるがゆえに、
(興南でお父様の)お母様が帰ったとしても、
親孝行の思いは、いつまでもいつまでも心から離れるはずがないのです。


皆さんも、神のために決心してやっているのに、
愛する兄弟、愛する友達、愛する親がこの道を理解できないで、
家に帰るように、あるいは一緒にいるように
と言って涙を見せるならば心が非常に弱くなります。
そして親の所に、友達の所に戻っていくということもあるわけです。

もし、教会員が皆様を訪ねて、
「私はどうしたらいいのでしょうか。
家に帰ってきたらいいでしょうか」
と尋ねますと、皆様自身も、どのように指導してあげたらいいのか、
心が弱くなる時があると思います。


我々は人情と天情に対して、こんがらがるときがあります。

元々、堕落しなかったとすれば、人情は天情に通じ、
天情はそのまま人情に通ずるものでした。
ところが堕落した結果、人情と天情は一致しないものとなりました。

それゆえに、私たちはまず天情を結び、
その次に人情を立てなければならない、
そういう復帰の道を行くようになったのです。


そこで二〇〇〇年前に来られたイエス様も、
私たちに教えてくださったのは、
まず「だれでも、父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分の命までも捨てて、
わたしのもとに来るのでなければ、わたしの弟子となることはできない」
(ルカ一四・二六)ということです。

その事情がよく分かっていたイエス様は
「地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。
平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである」
(マタイ一〇・三四)と表現しました。

誰よりもイエス様を愛さなければならないことを教えました。
イエス様との情は天情を意味します。
自分の兄弟や親子との情は人情を表します。
ですから、「私をより愛せよ」とは、
人情よりも天情を立てなさい、ということです。


そういう点をはっきりさせていない時には、今の私たちであっても、
神の道をまっすぐに行けないことがあります。

この世の中の人情を切ることが目的ではありません。
堕落して汚れた因縁をもっている人情を一度分別して、
天情につながることによって、再び人情を立てるためです。

ですから、過去の自分、堕落した時の自分を否定することによって、
初めて本然の自分を立てることができるのと同じです。
宗教が自己否定を主張したのもその点からなのです。


しかし、自己否定は本然の自分の否定ではありません。
私たちも、最初み旨の道に入ったころ、
すべてを分別する生活をしました。

親との関係、社会との関係も全部分別していました。
その当初は、兄弟でも親でもサタンの血統圏にいるように考えて、
分別する生活をしたこともありました。

先生はそのように教えたのではないのですけれども、
私たちにはそういう心がありました。
親子の関係も社会の関係も全部永遠に切るものだと思いました。


1960年以降になりまして、たびたび氏族復帰のことを教えられました。
今まで完全に切ってしまっていた関係を
これから復帰しなければいけないということは、
ほかの人にはどうか分かりませんが、私としては非常に大きな仕事でした。

分別する元々の目的が復帰することであったと、はっきり分かってきました。
分別する時代は分別そのものに目的があるのではなく、
統一というところに目的があるということがはっきり分かったのです。

私たちが神の人となるために、
こういう厳しい分別の時代があるということを忘れてはなりません。


私たちが、兄弟の中にあって、間違ったことを見たとしましょう。
私たちはその兄弟が分別できるように、
厳しく教えてあげるのは当然だと思います。

また厳しく分別するように教えなければいけません。
分別する時は厳しいものです。

分別というのは、誰と誰を分別することでしょうか。
何を分別することですか。
間違っている人を分別してあげるとは、どのようにすることですか。
何を分別することですか。

(悪いことをする思い、邪心)。
ですから、サタン的な要素を厳しく分別してあげなければいけないでしょう。

分別する目的は何でしょうか。
(サタンを分別するため)。

誰と一つになることですか。
(神)。


ところが、「こうしてはいけません」とか、
「こういうふうにしましょう」という人は、
言う前の気持ちが必ず悪いのです。
それは、真の授受作用がないからです。

気持ちが悪いというのは、早く授受作用しなさいということなのです。
だから授受作用するためには、
分別してあげなければならない部分を取り除かなければなりません。

そうしたら一体化するのです。
その人が好きになるのです。

ところが、現実はそうではありません。
理論的にはそういう結果が出なければいけないのに、
結果としてもっと嫌になるのです。


統一教会を理解していない人たちに会いますと、皆さんは一体化できません。
ところが、その人の心を変えて、
統一教会に対して正しく理解してもらうと、その次にはどうなりますか。
一つになります。
その人が好きになります。

それ以前に、私たちを理解できないで反対していた時には、
皆さんは一つになれませんでした。
その人に対して気持ちが良くなかったからです。

私たちがその人に原理を教え、教会を教え、神の道を教えるということは、
結局は理解できない部分を取り除いて一体化するためです。
人に話してあげるのは、一体化することに目的があります。


皆様が忠告してあげても一体化できないということは、
目的を達成していないということです。

ですから、一体化までが目的地だ
ということをはっきりと分かってほしいのです。
話をしてあげただけで、
その人に対する忠告が終わったと考えてはいけません。

神のみ言を中心として、私と相手が一体化して
非常に気持ちが良いという立場まで到達しなければいけません。



私も拉致監禁の現場から、
偽装脱会して抜け出すためには、
次元は全く違うとは思いますが、
お父様が興南の地において、
愛するお母さんの情をきっていった
そのことを思いながら乗り越えていきました。

また、イエス様が語られた聖句も
よくよく胸に刻みつけながら、越えていきました。

その時は、親にとっては屈辱的、
そして、衝撃的なことだったかもしれません。
しかし、今になって思えば、
それでよかったのだと思うし、
両親もきっと、霊界で納得していると確信します。






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