今は、ある教区で成和部長をしている祝福二世が、
一度、信仰の道を捨てようと思ったとき、
親の言葉で踏みとどまり、
祝福を受けられた証しです。
『神様はあきらめない〜父母の二世祝福への祈りは必ずつうじる〜』
親子のインタビューなのですが、
成和部長が話しているものとして、編集して紹介します。
☆
私は、祝福二世として、
二世の子供たちと一緒にいるのが当たり前の生活でした。
穏やかで楽しい子供時代を過ごし、
順調に信仰の道を歩んでいたのです。
ところが、思春期を迎え、悩みを抱えることになりました。
一般の友達と付き合うようになっていくにつれ、
「うちの家は違った家庭なんだ」と思うようになりました。
「なんで自分だけこうなんだろう。
結婚も祝福しかないのだろうか、
信仰の道から外れたら。。。」
そんな私の思いを両親は感じ始めていたのでした。
父は、「自分の子供は立派に育ってほしいと思っていたのに、
教会に通わなくなってきて、
信仰の道から離れることを考え始めたのかもしれない」
そう思っていたそうです。
「このままでいいのだろうか、
このままだと、自分の人生決められたままになってしまう」
深刻に悩み、そして苦しみました。
☆
そして、高校3年生のある日
私は、自分の思いを両親に打ち明けたのです。
「お父さん、お母さんは、
信仰の道を行くことを願っていると思うけど、
僕は、自分の道を歩いていきます」
すると父は、
「どういう意味なのか、わかって言っているんだな」
そう言いました。
私は、
「はい、わかっています。
地獄に行くとしても、自分は行きたいんです」
☆
そのとき、父はこう言ったのです。
お前がそこまで覚悟するなら、
お父さんお母さんも地獄についていくよ。
このまま、お父さんお母さんが信仰の道を全うしても、
子供が苦しい立場にあるなら、そこが天国だと思わない。
お前がそういう道に行こうと思っているなら、
お父さんお母さんも喜んで地獄に行く」
☆
その瞬間 答えはすぐに出なかったけれど、
「もう一度考え直そう」
そのように思わされました。
そして、親と向き合うきっかけになりました。
さらには、もう一度、自分と自分の中にいる、
神様と向き合うことを決めたのです。
☆
そして祝福を受け、
妻と子供を与えられました。
自分の子供のことを祈るほどに
自分も両親にこれ以上祈ってもらったんだ。。。
そう思うと、感謝以外にはありません。
実は、祝福を受けるとき、
妻の実家に挨拶に行ったのですが、
居間に写真が飾ってありました。
写真を見ると、子供たちの修練会の写真で、
よく見ると、僕が写っているんです。
そのことを御両親にお話しすると、
「うちの娘ですよ」
と女の子を指さしました。
なんと、私のとなりに写っている女の子が
今の妻だったのです。
神様の計らいに感動しました。
☆
本当に感動的な証しです。
親に告白してから、
祝福に至る過程については
詳しくは語られていませんでしたが、
「地獄まで一緒に行く」
ご両親が言われた時、
彼の心奥深くに突き刺さったのではないかと思います。
もちろん、子供は立派に育ってほしい。
さらに、信仰もしっかりと育ってほしい。
私自身もそうですが、二世の子供を持つ、
祝福家庭すべての胸の内だと思います。
しかし、子供は親の思い通りにはなかなかいきませんね。。。
だからこそ、根底には、
このご両親と同じような思いを持つこと、
それを土台として、子供たちと接していく、
そのことが必要であると感じます。
そして、それが神様、御父母様の思いに通じていると感じます。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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