先日、歴代の会長たちの追慕礼拝があったそうです。
今日は、初代会長、久保木修己会長がみちびかれた時の証しと
当時、立正佼成会から多くの青年たちが、
統一教会の修練会に参加したのですが、
そのきっかけになったいきさつを紹介します。
☆
1962年8月に、立正佼成会の会長秘書である久保木修己氏が
初めて 馬橋(現:杉並区高円寺北)の教会の聖日礼拝に参加しました。
一人の先生が入ってこられ、説教が始まりました。
六人しかいないのに何万人にも向かって語るように、
ありったけの声を出して話すのです。
そして、重要なところになると、ドンドンと机をたたくのです。
これほどまでに真剣に訴えるとは、一体何があるんだ、
どこから その力強さが出てくるんだ?
こう考えたときに、そのときの説教の内容はあまり分かりませんでしたが、
その人の信念に強く心打たれたのです。
そして、私の心を占めていったのは、
いつかこの青年たちの所に来なければならないという思いでした。
(1973. 4. 7)
☆
その後、私は何度か統一原理を聞くことになりました。
その内容を私は逐一庭野会長にご報告すると、
そのすばらしさを認めて頷いて下さいました。
私が統一教会の青年たちに接してみて、驚いたのは、
彼らは目先のことに関心がありませんでした。
食べること、着ること、住むことに無関心です。
かといって、従来の宗教のように現世利益を否定して、
ひたすら来世での幸福を求めて、
修道の生活に甘んじているわけでもありません。
彼らは数こそ少ないのですが、
若くて、健康で、かつ情熱的でした。
彼らの目は輝き、口から出る言葉は、
日本とか世界のことばかりです。
目先の利益と日本や世界あるいは
将来の利益を求める違いをまざまざと感じました。
佼成会に集っていた病気で苦しむ青年の多くと比べて、
私は佼成会の御利益宗教的な現実を認めないわけにはいかなくなりました。
☆
会長への報告を通して、私は庭野会長の偉大さを改めて知らされました。
…こだわりがありませんでした。
いいものはいい。
純真で思いが一途なのです。
佼成会のほかにいいものがあれば、
それから学ぼうという姿勢が自然に取れるような方だったのです。
私はそんな会長をかねがね大変尊敬していました。
☆
統一教会に通い始めて少したったころ、
西川先生を庭野会長に紹介した後、西川先生は、
「薮から棒で恐縮ですが、将来性のある若者を40日間、
私に預けてください。
私のところで修行を積ませ、
40日後に立派な青年にして、
会長先生の所にお返しいたします」
西川先生の申し出にも仰天しましたが、
庭野会長の答えはそれ以上に私を驚かせました。
会長は、しばらく考えていました。
「それは面白い話だ。では、早速人選をして、
あなたの希望通り、あなたに預けますから、よろしく」
この一瞬は歴史的な瞬間でした。
日本における統一教会の基礎が、
この時点で形成されることになったと言っても
決して言い過ぎではありません。
(久保木修己著『愛天 愛国 愛人』より)
☆
庭野日敬会長の懐の大きさを感じるエピソードです。
最初に紹介した写真も歴史的一枚ですね。。。
第一回の40日修練会には、そうそうたる方々が参加されました。
石井会長、横井先生、梶栗会長夫人・・・
その後も、40日修練会は継続し、
統一教会(家庭連合)の礎が築かれていきました。
本当は、そのまま佼成会に残っていれば、
別の道もあったそうですが、
みんな復興して献身してしまったこともあり、
その後、佼成会と別れるようになってしまったらしいです。
復興しているのに、『教会には来るな』
これはなかなか難しい注文のような気がします。
しかし、今この時代において、
同じように神様は大きな摂理を準備しているのではないか、
そのようにも思います。
庭野会長のような器の大きい洗礼ヨハネを神様が準備していると思うし、
私たちも霊的な備え、内外の基準を備えていきたいと思います。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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