2017年01月25日

ごく普通の家庭がなぜ?! 一つとなった家庭に神が働いた! 《5人家族で100名 続編》



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2016.12.24


このまま動員路程が
終わってほしくない!


先日、『1家庭で100名をクリスマスフェスティバルに動員した』
そのような証しを書きましたが、
どのような取り組みをされたのか、福島家庭教会から
詳細な証しが届きましたので、紹介します。


昨年12月18日に行われた
「クリスマス・ファミリー・フェスティバル2000名大会」へ
100名を動員した家庭は、ごく普通の既成祝福家庭であり、
何か特別な家庭というわけではありません。

家族構成は、夫・妻・中学生の息子・小学生の娘で、
おばあちゃんも一緒になって取り組みました。

婦人は、教会における1チームの伝道隊長で、夫は副壮年部長を務めています。
婦人が苦悩する切ない心情を家族に打ち明けたことが、
家族総出で動き出すきっかけとなりました。


婦人は伝道隊長として、200名の対象者に責任を持ち、
各チームが一丸となって動員を進める中で、
婦人のチームは心情的になかなか一つになる事が難しい状況でした。

普段から婦人は芯が強く、人に弱みを見せるような方ではありませんが、
「目標である200名を勝利するには、どうしたらいいのだろうか?
チームが一つになれない今の状態をどうしたらいいだろうか?」
と真剣に悩んだそうです。

そして婦人は、日々の歩みの中で苦悩する切ない思いを家族に吐露したのです。


そんな苦悶する婦人の姿を見た、夫と息子が
「何とかしてあげたい」と思うようになりました。

そして教会で壮年部210名、成和部80名の動員目標が掲げられたのを知り、
夫と息子は決意して「よし、やってみよう!」と自然と動き出したのです。

夜に家族みんなが集まる時は、「妻(母)を元気づけたい」という
夫や息子、娘たちの思いから、自然と大会動員が話題となりました。

励まそうとする家族の姿に婦人も元気づけられ、
動きの鈍いチームのメンバーを責めるのではなく、
信じて待ってみようと思えるようになったそうです。


こうして継続的に取り組むなかで、家庭で80名を越え、
もうすぐ100名に届く一歩手前まで来たある日のこと。

婦人の思いの中にチーム内の区域長やチーム長を責める心情が
沸々と湧いてくるようになった途端、ピタッと結果が出なくなりました。

婦人は自分の心情姿勢を悔い改め、再出発していきました。

最終的には、婦人の家庭で100名を達成するころには、
チームの区域長も動きだし、
チームとしても200名を越えて勝利することができたのです。


「うちの家庭は、普段はあまり会話が弾む家庭でもないんです」と話す婦人。

しかし動員の期間は、毎日夜になると自然と
「〇〇さんは、どうだろう」
「〇〇さんに当たってみようと思うんだけど、どう思う?」
「後、何名なの?」という話になり、
本当に家族が一つになる事を感じたそうです。

動員が終わる頃には、「このまま動員が終わってほしくない」
という思いに駆られるように。

婦人の家庭にとって今回の歩みは、本当に生きて働く神様に出会うことが出来た
感謝の歩みでした。
有り難うございました。



『ごく普通の家庭』というところに希望を感じますが、
やはり、夫婦、親子、そしておばあちゃん、
家族の仲がいいんだろうな、という印象を受けます。

本当に家族に天運がありますね。


先日、教区長をお迎えして礼拝説教を受けましたが、
その時に、『家庭教会・家庭礼拝』の証しをしてくださいました。

パワーポイントで、紹介してくださった写真には、
みんないい笑顔で、本当に喜んでいる姿ばかりで、
こちらも復興させていただきましたが、
教区長は、「私の顔が映っていない、これがいいんです」
そのように語っておられました。

今は、祝福中心家庭、一家庭、一家庭に
天の祝福と役事が起きる時であることを思うと、
家庭が一つになって、それぞれが主役となり、
主人意識と責任心情をもって
何より感謝と喜びで歩むことが
何よりも重要であることを思うのです。。。




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2017年01月24日

すべてが神との約束、お互いに幸せになるために約束がある!  《金元弼先生の信仰サプリ》 約束5



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(南下する人たち)


金元弼先生の《信仰サプリ》
『神は約束を守る』今回が最終回です。


ところが(お父様と違い)私たちはどうでしょうか。
より上の立場の人は遅れるのが普通だと思うし、
それが権威あるものと考えています。

先に来るのは下の者だと考えるのです。
皆さん、そういうことはありませんか。
約束を守らなくても、何の呵責も感じないでしょう。

私たちがそうだから、メンバーもそうなるのです。
にもかかわらず、メンバーが遅れたら、「なぜ遅れたのか」としかります。

先生は、こういう外的な時間の約束もそのようにされるとするならば、
私たちは永遠なる生命を懸けての約束に対しては
どうすべきか、考えてみてください。


足の折れた朴正華さんのことを聞いたでしょう。
先生が牢屋から出られて、平壌に帰られた時には、
その人は足を打たれて骨が折れて歩けない状態でした。

彼は自分のお姉さんの家に一緒にいて治療していたのです。
そしてお姉さんの家庭が避難する時に、
足が折れている彼を連れていくことができないので、
置いたまま行ってしまったのです。

一人で残されたら殺されてしまいます。
それで先生は心配して、彼の故郷まで問い合わせて、
居所を調べ出しました。
そして私が彼を連れてきて、先生に会わせました。

その後、その太った人を自転車の上に乗せて連れてきたのです。

(*冒頭の写真はイメージです
南下中の避難民の写真であり
真のお父様と朴正華氏ではありません)


ところが、先生の愛する母親、父親、兄弟姉妹は
全部、北におられました。すぐ近くの所でした。

しかしその人たちを連れてこないで、朴さんを連れてきたのです。
そういうことは、できることではありません。

先生は神との約束を守ったのです。
朴さんとの約束を生命を懸けて守ったのです。


約束というものが、どんなに難しいか分かると思います。
世の中のすべての問題は、約束を守らないことから起こるのです。

そして、いつも考えなければならないのは、
約束はお互いが幸せになるためのものだということです。
それゆえに、約束をする時には、一方的にしてはいけません。


ややもすればリーダーになった人は、
一方的に約束を強要することがあります。

そうではなくて、相手を「そうしましょう」という立場に
必ず立たせて約束をするのです。
ですから必ず相手の話を十分に聞くようにしてください。

皆様はいいアイデアをもっていて、
教会員が全然頭も上がらないような人であっても、
教会員の意見を先に聞いて、それから自分の意見に納得させ、
「それじゃ、私の考えよりも、あなたの考えはもっといいです」
という立場に立たせて話していくのです。

自分がしたくてしたような立場に立たせなければなりません。
そうでないとプッシュされたという印象を与えます。
プッシュというのは、自分の意志がないということです。



約束を守ってもらうこと、守ること。
二つとも重要です。

守ってもらえない時には、要求の思いになったりするし、
自分が対象の立場に立った時、
その約束の重要性を軽んじてしまい、
また、主体の思いに立てない時があり、
約束を守れなかったりすることがあります。

どちらも反省しなければなりませんが、
やはり、神様を中心にしないといけないのだと思います。


真のお父様の証しをたくさん掲載しましたが、
実は真のお母様も全く同じだと思います。

先日、崔妍娥ニムの集会がありました。
み言などは、追って紹介したいと思いますが、
証しの中で、お母様は、約束の時間よりも
何時間も早く備え、待っておられる話がありました。

先日、アメリカに行かれた時、帰りの便に乗るために
宿所に出発する時間を決めたのに、
その1時間半前に準備され、
近くを散歩された・・・
そのような話がありました。

約束を守ることは重要であることを
骨身に刻んでいきたいと思います。




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2017年01月23日

お父様は、約束を… 守らない、守ります、守る、守る時、守れば、守れ?!  《金元弼先生の信仰サプリ》 約束4



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真のお父様は、約束を守るためにどのようにされ、
また万が一守れなかった時は、どのようにされるのか…
「約束」に対し、どこまでも真摯な真のお父様だといいます。

金元弼先生の『信仰サプリ』
「約束」についての続編です。


先生と私たちの約束には、
必ず神とサタンがいるということをお話ししました。
その例え話として一つ挙げましょう。

1967年、先生は韓国の幹部の一行を連れて、日本に行かれた時に、
当時、日本の兄弟に祝福を予定していました。

ところが先生は日本を離れる時に、一つの儀式を行いました。
それは神の前で、「日本の祝福を延長しなければならない」という儀式でした。

先生も神様に、「これをこうします」と必ず報告して、
それがそのとおりにならない時には、
必ずその理由を説明して、変えていかれるのです。


教会員がリーダーと約束して、
「私はきょう、いつまで、どこどこへ行ってまいります」と言いながら、
事情によってそれができない場合はどうしますか。

世の中でも、それができなかった理由を必ず話さなければいけません。
それもできなければ、リーダーは教会員を信頼できなくなります。


韓国で、先生は聖日の五時に敬礼式をされて、
必ず私たちに説教してくださいました。

本部教会から相当離れた所に清平があります。
そこにおいでになりました。

その次の日は聖日でしたので、そこから出発して
本部教会の礼拝に参加されることになりました。
その日は、たくさんの人たちが集まるようになっていたのです。


先生は早めに出発しましたが、雨が降って船やもろもろの状況によって、
何分か遅れるようになりました。

そこで先生は、約束の時間に遅れる時には、
約束を守れないことに対するお祈りをするとおっしゃいました。


その日、先生は、
「公的な約束の時間を守れない時には、その時刻から
悔い改めの祈りをしなければいけない」と話してくださいました。

このように約束とは大変なことなのです。
先生御自身がそのようにして守っておられるのです。


二番目に、
「あなた方は時間を約束したにもかかわらず、まだ全員集まっていない」
と指摘されました。

心情的にも時間的にも外的にも、先生御自身としては
約束を守っているということを、はっきり証してくださったのです。

事情が変わって遅れたけれども、先生はその前に既に
出発していたことを、はっきり証されているのです。


分かりやすく言えば、オックスフォードからランカスターゲートまで、
一時間半かかるのでしたら、先生は、一時間半前のさらに十分前に、
もう出発しておられるのです。

しかし、途中で車が故障して遅れました。
それで約束した時間になりますと、
先生はその時から悔い改めのお祈りをされるということです。

「私が遅れたがゆえに、この人たちは今、この時間に待っているでしょう」
と言って、その人たちのためにお祈りをするのです。


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1967.6来日時の金元弼先生



約束というものは、本当に重要なものだということを感じます。

相対的なものではなく、絶対的なものであり、
神様が関与しているものであるということを忘れてはいけないし、
約束を守ることができなかったとするなら、
神様の前に悔い改めていかないといけないのだ・・・

お父様の姿を通して、感じさせていただきました。

明日、もう一回だけ続きます。




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