2017年01月19日

昔むかしあるところに… 金元弼先生が号泣、一番悲しい日本昔話?! 



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統一教会説教ブログに「真のお父様を絶対的に信じて」
という金満辰地区長の説教があります。

生前の金元弼先生を車に乗せて、
途中パーキングで休憩をした時の
証しが書かれています。


ある日、私は金元弼先生を車でお連れしていました。

先生が「あなた、あなた。ストップ、ストップ」と言われます。
先生はとても調子が悪くて、トイレに行きたいと言われるので、
急いである山の中のサービスエリアに行ったのです。

先生はトイレに行かれたのですが、
10分過ぎても20分過ぎても、帰ってこられません。
どうしたのかと心配になってきました。

「先生、先生」とお呼びしたのですが、返事がありません。
もし先生に何かあったらと、とても心配しました。
「先生、先生」と叫びながら探し回り、やっと先生を見つけました。


「先生、金元弼先生!」
呼んでも、返事をされません。

先生の顔を見ると、何も言わずに泣いていらっしゃるのです。
「先生、どうされたのですか?」と尋ねました。

「あなた、この絵を見なさい」
先生は、その絵を見ながら泣いていらっしゃるのです。

今でも長野には姨(うば)捨て山という山があります。
その絵はその山の絵でした。


昔、国が年を取った父母を、役に立たなくなった老人を
その子供たちに山に捨てるようにさせるということが実際にあったのです。

年取った自分の母親を若い息子が背負い、
朝からジャガイモやとうもろこしを持って山を登っていきます。

しかし途中で背中のお母さんの様子が変なのです。
山を登りながら木の枝を1本折り、また1本折りしています。
ああ、うちのお母さんは変だなあと思いながらも、
急いで山を登っていきました。
そうしながらも、お母さんはまた枝を1本折っては、また1本折っていきます。

長い時間が過ぎて、
「お母さん、着きました、ここでございます。
お母さん、これが最後のあいさつです」と、敬拝しながら、
「とうもろこしを召し上がってください。
おなかがすいたら、このジャガイモを召し上がってください。
もし雨が降ったら、ここで休んでください。
山ですから、もし動物が現れたら、この石の上に座ってください。
お母さん、お母さん、私は帰ります」

そのとき母親が「おまえ、おまえ、急いで帰ってくれ、急いで帰ってくれ。
今は、もう周りが暗くなってきて、道を見失うかもしれないから、
さっき私が折った木の枝を目印に、急いで、急いで帰ってくれ」
と、そのように言うのです。

その息子はお母さんを捨てるために来たのに、
最後の最後まで息子が無事に家に着くことを考え、
心配して木の枝を折ってきたお母さんだったのです。

「お母さん、私はだめです。
私はお母さんを置いていくことができない。
もう一度、私がおんぶして、一緒に帰りましょう」

「おまえ、何を言っているのか、早く私を置いて帰りなさい」
そういう場面を描いた絵でした。


先生がその絵を見て泣きながら、
「そうだ、そうだ。
私が統一教会に来て、
第一の弟子として何度神様をおんぶして、
あるときは真の父母様をおんぶして、
このような山に捨てたかわからない」

そして大粒の涙を流して泣いておられるのです。


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金元弼先生は、本当に心の底から
「第一弟子として申し訳ない・・・」
そのように思っていたのでしょう。

金元弼先生ほどではないかもしれませんが、
教会で祝福を受けた私たちは、
長い期間、この道にいることを思うと、
真の父母様を山に捨てた者だと言ってもいいのかも知れません。
そう思うと、いたたまれない気持ちになりますが。。。

子が親を捨てる、それは考えられないくらい限界の選択でしょう。
しかし、自分を捨てようとする我が子の身をも
案じ続ける親の愛、まさしく神様、父母様の愛といえるでしょうか。

限界だ、仕方ないとあきらめてしまう、誰でもあることかもしれません。
そんな時でも、神様を御父母様を放さずに
あきらめずに、前進する。
わかっていても難しくて、申し訳ないことばかりの、私たちの歩みです。

先日の集会において、総会長が、
『Never Again』と何度も語られていました。
二度と失敗してはいけない、
天から与えられた使命を果たさなければならない、
そのような時であることを強調されました。

本当にこれからの歩みが重要です。
悔いを残さないように前進していきたいです。




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2017年01月18日

(証し) 5人家族で100人大勝利などなど… 2000名参加のクリスマスフェス!! 《福島》 



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今日は、昨年12月のクリスマスフェスティバルに、
たった一つの教会で、1600名の新規・再復帰を動員した
という奇跡的な証しです。


福島家庭教会では、昨年の伝道目標として既成祝福式100組と
3回目となるクリスマス・ファミリー・フェスティバルに
2000名の目標を立て、教会長、婦人代表を中心に取り組んできました。

そして、10月2日に行われた祝福式を終え、
10月13日から毎日40名を目標に取り組み、
紆余曲折を経ながらも12月7日で
目標の2000名を達成することが出来ました。

今回の2000名クリスマス・ファミリー・フェスティバルの内訳は、
福島家庭教会内に所属する祝福家庭が200家庭ほどなので、
内部は400名、新規・再復帰合わせて1600名が参加しました。

そして何よりも、壮年・婦人・青年・成和学生と垣根を越えて、
全体で勝利出来たことが、とても嬉しく思います。


その中でも今回、家族 5人で一丸となって取り組み、
何と100名を動員して大奮闘した家庭がありました。

この家庭は、夜になると家族全員が膝を突き合わせて作戦会議が始まります。
『あと何名になった?』『あの人に声をかけてみようか』『〇〇さんはどうだろう?』
という様に、家族全体が目標に向かい、ひとつになることで、
自然と家族内で取り組みの話題となり、毎日精誠を尽くすなかで
自身の心情的問題も解決していき、結果100名の参加に繋がったのです。


また、母と娘で60名動員した家庭や30名以上動員した家庭が9家庭、
個人で20名以上動員した方が24名になりました。

その中には、国会議員を始めとする13名の議員も約束通り来場されました。
また、成和学生(小・中・高校生)が、80名の友人や知人を動員しました。


ある祝福2世(高校生)の証しは、「多くの人に家庭連合を知ってもらいたい」
「でも反応が怖い」との思いが交錯する中でも決意して、
クラス全員と部活の友達に声をかけました。

そして、ある友人から『お前の誘っている所って怪しいところだろう?』
と非難を浴びながらも、彼は怖気づくこと無く
『じゃ、来てみて、確かめてみたらいいじゃないか』
と雄々しく友人に応対したところ、
その友人と親が一緒に来てくれる事になったのです。

そして当日は、15名の友達が大会に来られ
皆が『とても、楽しかった』と喜んでいました。

そして次の日、大会に来れずにいた友達に
『楽しかったぞ、来年は一緒に行こう』と、
参加した友人が率先して誘っている姿に感動を受けたと言います。



そして昨年、研修隊として出発したばかりの青年4名で、
88名の動員を決めたことや、
壮年が会社の同僚にパンフレットを配るなどして
壮年部として210名を動員。

また一昨年、初めて大会に参加されたゲストが、
今年祝福を受けて今回の大会に6名を動員するなど

2000名という高い目標でしたが
「私達が絶対できる」と信じる心、
「兄弟姉妹が一つになれば、絶対善霊が働く事が出来る」
と確信して歩むなかで、霊界からの協助をとても感じる取り組みとなりました。


昨年1年「霊肉合同作戦」と唱えて精誠を尽くしてきましたが、
教会全体の食口が肌で感じる歩みとなり、皆が感動しました。

このような動員での精誠が実り、当日は晴天に恵まれ、
会場の雰囲気も家庭的なとても良い雰囲気で行う事ができました。

参加者たちも口々に『楽しかった』『感動した』
という感想がとても多かったです。

この歩みは、天の父母様と真の父母様、
そして霊界の協助をとても感じる恵みと感謝の大会となりました。
ありがとうございました。



5人家族で100名を動員することも本当にすごいことですが、
何よりも感動するのは、
婦人も子供たちも、そして壮年も
みんな一緒になって取り組んでいるところが素晴らしいと思います。

聞くところによると、福島家庭教会は、
本当に教会の雰囲気が良くて、
人が自然と集まってくるのだそうです。

『愛のあるところには、万物も人も集まってくる』
本当にその如くに実践しておられます。

また、岡山教区でも
一つのイベントに3000名が参加されたとのこと。
1000名の書写大会をしているところも全国的に増えています。

もちろん数的なものが全てではないかもしれませんが、
一つのバロメーターになることには違いないし、
全国展開されれば、私たちの運動が
世間に認知されていく時だと思います。

『一転突破、全面展開』です。
何よりも、私自身が、真の愛の人になることを目指し、
実践あるのみだと思います。





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2017年01月17日

(証し) 私も伝道できる! 勇気が出なかった30年間を変えたのは?!



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雪の天正宮 1.13☆


今日は30年間伝道に二の足を踏んでいた婦人が
「天一国実践トレを経て、喜びの心情で伝道活動スタート」
した証しです。


私はみ言に繋がってから30年経ちますが、
主人の仕事の関係で頻繁に引っ越しをする生活で、
私自身は信仰的に飛躍できず、足踏み状態が続いてきました。

しかし、新しい教区長が私たちの教区に赴任されてから始まった
「天一国実践トレーニング」を通じて、私自身が内的に大きく変化したのです。

トレーニングは4か月間あり、私は第1期生として参加。
この期間は、溢れんばかりのみ言を受けながら、
ホワイトボードを使っての原理講義の実践など初めての体験を数多く通過し、
一緒に参加したメンバーとも仲間意識も芽生え、
自分自身が大きく変わっていくことを感じました。


トレーニング修了後は、私も伝道前線活動に加わるようになりました。
これまでの信仰生活の中で、「神様が一番喜ばれるのは伝道することです」と
言われ続けながらも、「私にはできない」と苦手意識があったため、
手を付けることができずにいました。

しかしトレーニングを通して
「天の父母様が喜ばれることを私もしたい!」という気持ちになり、
「伝道活動は天の父母様に供える時間であり、
天の父母様と共有できる時間である」という意識に転換。
伝道前線をすることが喜びに変わりました。


また先祖解怨も「それは私的な事の一つ」と捉え、
全く手を付けずにいたのですが、先祖解怨の重要性を学んでからは、
初めて「先祖解怨をしたい」という気持ちが芽生えました。

祈願書も今まで重要視していなかったのですが、実際に祈願書に書いて祈り、
奉納したところ、すぐに効果が表れたのです。


例えば、最近始めたSNSに自分の顔写真をアップしたところ、
何通かのメールが届きました。

ある講演会の前日のこと、どうしても誘いたい人がいたので電話をかけようと思い、
SNSアプリを開けたところ、未開封のメールの中に、
子供が学生だった頃の同級生の母親Aさんからのメールが届いていました。

私が講演会に誘いたい人とは別の人でしたが、Aさんのメールを読むと
「時間があるときに話し相手になってください」と書かれていたのです。
早速Aさんに講演会をお誘いしたところ、「じゃあ、行ってみようかな」と
すんなり了承されました。
Aさんは翌日の講演会に参加され、その後に受講決定もしました。

現在も受講を継続中のAさんは「とても救われた気持ちです。ありがとう」
と喜ばれ、信頼関係も結ばれていきました。

私は「天の父母様を喜ばせて差し上げたい」という心情で
伝道前線での歩みを始めました。
伝道前線からはまだ結果が出ていないのですが、
天の父母様が別の形で実を結んでくれたのかなと感じました。


信仰生活を始めてから30年間、半分諦めかけた伝道活動ですが、
これを機に、自信をもって今後も取り組んでいきたいと思います。

同じように足踏みをしている皆さん、勇気をもって一緒に一歩前進しましょう!
ありがとうございました。



私自身も神様・真の御父母様に対する
最大の親孝行は「伝道」だと思っています。

神様のこと、真の御父母様のことを知っている人は多くいます。
しかし、「正しく」知っている人はほんの一握りです。

今回の証しにあった方の如く、
勇気をもって、そして、喜んで歩むことが
神様の願いであり、協助を受ける秘訣だと思います。



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