統一教会説教ブログに「真のお父様を絶対的に信じて」
という金満辰地区長の説教があります。
生前の金元弼先生を車に乗せて、
途中パーキングで休憩をした時の
証しが書かれています。
☆
ある日、私は金元弼先生を車でお連れしていました。
先生が「あなた、あなた。ストップ、ストップ」と言われます。
先生はとても調子が悪くて、トイレに行きたいと言われるので、
急いである山の中のサービスエリアに行ったのです。
先生はトイレに行かれたのですが、
10分過ぎても20分過ぎても、帰ってこられません。
どうしたのかと心配になってきました。
「先生、先生」とお呼びしたのですが、返事がありません。
もし先生に何かあったらと、とても心配しました。
「先生、先生」と叫びながら探し回り、やっと先生を見つけました。
☆
「先生、金元弼先生!」
呼んでも、返事をされません。
先生の顔を見ると、何も言わずに泣いていらっしゃるのです。
「先生、どうされたのですか?」と尋ねました。
「あなた、この絵を見なさい」
先生は、その絵を見ながら泣いていらっしゃるのです。
今でも長野には姨(うば)捨て山という山があります。
その絵はその山の絵でした。
☆
昔、国が年を取った父母を、役に立たなくなった老人を
その子供たちに山に捨てるようにさせるということが実際にあったのです。
年取った自分の母親を若い息子が背負い、
朝からジャガイモやとうもろこしを持って山を登っていきます。
しかし途中で背中のお母さんの様子が変なのです。
山を登りながら木の枝を1本折り、また1本折りしています。
ああ、うちのお母さんは変だなあと思いながらも、
急いで山を登っていきました。
そうしながらも、お母さんはまた枝を1本折っては、また1本折っていきます。
長い時間が過ぎて、
「お母さん、着きました、ここでございます。
お母さん、これが最後のあいさつです」と、敬拝しながら、
「とうもろこしを召し上がってください。
おなかがすいたら、このジャガイモを召し上がってください。
もし雨が降ったら、ここで休んでください。
山ですから、もし動物が現れたら、この石の上に座ってください。
お母さん、お母さん、私は帰ります」
そのとき母親が「おまえ、おまえ、急いで帰ってくれ、急いで帰ってくれ。
今は、もう周りが暗くなってきて、道を見失うかもしれないから、
さっき私が折った木の枝を目印に、急いで、急いで帰ってくれ」
と、そのように言うのです。
その息子はお母さんを捨てるために来たのに、
最後の最後まで息子が無事に家に着くことを考え、
心配して木の枝を折ってきたお母さんだったのです。
「お母さん、私はだめです。
私はお母さんを置いていくことができない。
もう一度、私がおんぶして、一緒に帰りましょう」
「おまえ、何を言っているのか、早く私を置いて帰りなさい」
そういう場面を描いた絵でした。
☆
先生がその絵を見て泣きながら、
「そうだ、そうだ。
私が統一教会に来て、
第一の弟子として何度神様をおんぶして、
あるときは真の父母様をおんぶして、
このような山に捨てたかわからない」
そして大粒の涙を流して泣いておられるのです。
☆
金元弼先生は、本当に心の底から
「第一弟子として申し訳ない・・・」
そのように思っていたのでしょう。
金元弼先生ほどではないかもしれませんが、
教会で祝福を受けた私たちは、
長い期間、この道にいることを思うと、
真の父母様を山に捨てた者だと言ってもいいのかも知れません。
そう思うと、いたたまれない気持ちになりますが。。。
子が親を捨てる、それは考えられないくらい限界の選択でしょう。
しかし、自分を捨てようとする我が子の身をも
案じ続ける親の愛、まさしく神様、父母様の愛といえるでしょうか。
限界だ、仕方ないとあきらめてしまう、誰でもあることかもしれません。
そんな時でも、神様を御父母様を放さずに
あきらめずに、前進する。
わかっていても難しくて、申し訳ないことばかりの、私たちの歩みです。
先日の集会において、総会長が、
『Never Again』と何度も語られていました。
二度と失敗してはいけない、
天から与えられた使命を果たさなければならない、
そのような時であることを強調されました。
本当にこれからの歩みが重要です。
悔いを残さないように前進していきたいです。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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