昨年の12月4日、
アメリカ・イーストガーデンにおいて行われた
『天地人真の父母様主管青年集会』での
真のお母様のみ言を紹介します。
☆
アダム・エバの堕落によって、
天は悲しく苦労の多い路程を辿られながら、
蕩減復帰摂理歴史を導いて来られざるを得なかった
悲しい事情があります。
太初に神様が天地万物を創造され、
人間先祖となることのできるアダム・エバを創造しました。
見るによく、美しいと言われました。
ところで特別にアダム・エバには責任を下さいました。
成長過程を通じて神様と絶対的に一つになった立場で
成長しなければならなかったのです。
その祝福を受ける立場が、
神様が人類の真の父母になる立場なのです。
それが天地創造をされた神様の夢でした。
ところで責任を果たさなければならないアダム・エバ、
サタンの誘惑に落ちたとか、欲心が生じたのです。
自分というものが入り始めたのです。
☆
あなたたちも同じです。
祝福家庭の2世、3世として、
君逹の本質は真の父母なのです。
真の父母から離れては、あなたたちの存在価値はありません。
それを知っていますか?
祝福を受けたあなたたちの立場も、
責任を果たさなければならないということなのです。
あなたたちが完成した人間として、祝福の立場に行くまで、
真の父母と一体となる立場で
勉強もしなければならないのです。
あなたたちの素質を育む面においても、
いつも“私がこんな事をするのは
真の父母様にお見せしなければならないからだ。
真の父母様が望まれる者になるからだ。
私がその一面を担当して成功して見せる。”
こういう欲心は大丈夫なのです。
しかし自分を中心とする欲心は、
災いを引き起こすと言うことを知らなければなりません。
☆
堕落した人類の願いは、
真の父母にお会いすることが願いです。
摂理が分かっても分からなくても、
絶対者の立場で自分を主管してくれることのできる
主人が現れるのを待って来たのです。
それで全世界的に4大宗教が出て来たのですが、
その中でキリスト教は中心であると言うことができます。
なぜかと言えば、神様を説明することはできないけれども、
神様をお父さんだと信じて来ました。
本来神様が創造した目的が、
人間の父母になるためだったので、
漠然として説明ができないけれども、
神様はお父さんである。
ところで神様の創造において、
すべての微生物から動物世界まで、
対(カップル)で創造されたのです。
人間もカップルとして創造されました。
そうだとすれば神様は天の父母様であって、
天のお父様お一人ではないのです。
☆
蕩減復帰摂理歴史においてサタン世界で、
それでも善良だと言える選民思想、善なる民族を選ばれて、
蕩減復帰摂理歴史を発展させて来られました。
個人から家庭・氏族・民族・国家基盤の立場まで来る過程が
どれだけ大変だったら、
4000年もかかったのでしょうか、4000年!
神様が堕落した世界で、私の息子であると言うことの出来る
イエスキリストを誕生させるまで4000年がかかりました。
とても考えることもできないほどの神様の痛みだったのです。
☆
ところでイエス様を誕生させたマリアは、
摂理が分かりませんでした。
自分がどうしてイエス様を誕生させたのか
分からないという結果を作ってしまいました。
イエス様に近いザカリア家庭、ヨセフ家庭、
ユダヤ教、イスラエル民族、それほどにひたすら
“メシヤを送って下さい”と願い、天は約束を守ったのに、
メシヤに侍ることができなかったのです。
そのようにイエス様を保護しようとする環境が
作られませんでした。
どれほどに4000年という長い歳月を通じて
天が独り子として送って下さったイエス様が、
100年も生きることができずに、33歳で
十字架につけられなければならないことが救いでしょうか。
☆
このように神様は痛みを忍耐され、
再び期待をかけられたのがキリスト教歴史であり、
摂理歴史なのですが、2000年のキリスト教摂理歴史は、
神様側から見る時には独生女を探し出す摂理歴史です。
このことを知らなければいけません。
イエス様が十字架に掛けられながら、また来ると言われました。
また来て小羊の婚宴をすると。
婚宴をするためには、相手が必要ではありませんか。
このようにすべて分かることができるように語られ、
見せて下さったのに、それでまた来られるメシヤの前に
必ず現われなければならない方がいて、
その方が独生女です。
それが、皆さんが見ている前にいるのです。
☆
真のお母様のみ言を訓読させていただきながら、
真の御父母様を侍ることができる、
そのことがどれほど貴いことか、
奇跡の中に生かされている者であるということに
心から感謝しました。
しかも、摂理の最絶頂期のこの時なのです。
教会長は、昨日の礼拝説教の中で、
「一番重要なことは『私』が変わることです」
そのことを最も強調して語られました。
周りを見れば、いろんな思いがでるかもしれません。
しかし、周りがどうのこうのよりも、
『私』自身が今この時に、何を成すのか、
そのことの方が重要ではないか、と思うのです。
明日に続きます。。。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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