2017年01月16日

2017年は、孝進様の年?! HJと共に天を駆けよう!! 《証しとみ言》



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何千の私がいれば
世界を駆け回って示せるのに


文孝進様



先日、ある教会の総務部長から連絡があり、
「『今年は、孝進様だ!』と教会長が言われていまして、
孝進様のみ言を探しているのですが、
ブログに掲載されていた孝進様のみ言を教えていただけますか?」
そのように言われました。

実際、ブログを検索しても孝進様のみ言はほとんど見当たらず、
ただ、感動的な証がありましたので、
それを紹介すると教会長がとても喜んでおられたとのこと。

これは、統一教会説教ブログの説教から、
金満辰地区長の孝進様の証しの部分を、紹介したものです。
少し要約してお伝えします。


3月になったら、孝進様の言葉が思い出されます。
皆様が知らない証しです。

孝進様が2007年(聖和される前年)、3月6日から4月の初めに
日本全国でコンサートをしてくださったときのことです。
そのときに、私(地区長)は孝進様のサポートをするように言われました。

私は初めて孝進様の近くにいたのですが、コンサートの前日、
しっかりと食事を摂って、準備されるだろうと思ったのに、
孝進様は何も召し上がりませんでした。

私はびっくりしました。
孝進様が食べられないので、私も食べられません。

その時はお子様をつれて来られていました。
孝進様の奥様は何が素晴らしかったかというと、
同じように何もお召し上がりにならず、
ずーっと最初から最後まで祈っておられました。

お子様たちは、「お父さん、お父さん」と手を振っていました。


全国での大会が終わりました。
その日の夜の10時でしたが、孝進様が、
「私と一緒に韓国に行こう」。
「あすですか?」チケットも何もありません。
「行くんだ」。「はい、かしこまりました」。

当日チケットを取って、孝進様と孝進様のスタッフ2人
と一緒に韓国に向かいました。

道中2人は一生懸命、何か勉強をしていると思っていましたが、
途中でよく見るとツアーの報告の準備をしていたのでした。
私は何もしていなかったので、だんだん心配になってきました。

天正宮博物館に到着しました。
お父様が来られるまで待っている時間に、
私は、沈明玉先生に電話をしました。

「私は報告しなくてもよいでしょう?」ときくと、
「何を言っているの!なんで韓国に来たの?」
と、そこでようやく状況を理解し、
沈明玉先生に報告するポイントを教えていただき、
お父様が到着するまでの2時間で準備しました。


お父様が到着されました。
その時、私は初めて天正宮博物館の父母様のお部屋に入ったのです。

孝進様が、「お父様、私は日本から帰って来ました」と、
長い髪を後ろにかき分けながらおっしゃったのです。

お父様はお茶を飲んでいらっしゃったのでしょうか、
距離も1メートル以内です。
「ご苦労さん」

すると孝進様が、三人ついて行った中で、
私の顔を見ながら、「あなたが報告しなさい」。
「まさか私が!」と思いました。
二人はノートから何からたくさん準備していたのに、
私には何もありません。

「はい、かしこまりました」
聞こえにくいといけないので1メートル以内に近づいて、
いろいろな報告をしました。


沈明玉先生がおっしゃったとおり、
食口たちの表情がどうであったかなど、
そして孝進様が食事を召し上がられずに、
口から血が流れるまで投入される姿に、
私が初めてショックを受けたこと。

さらに、東京においては、群馬に住んでいる食口でない人が
韓国に遊びに行って韓国でご来日前に行われた
孝進様のコンサートにたまたま参加して感動し、
今回再び日本でも参加したことを、
その人の感想も覚えていたので報告しました。

まだ私の報告は終わっていなかったのですが、
お父様が突然、「ははははは」と笑われながら、
「よかった。よかった。よかった」と拍手をなさいました。

お父様がそうなさるので、お母様もそうなさり、
みんなが一斉に拍手しました。


私はその時、孝進様の顔を見ました。
いつもは硬い表情をなさっていましたが、
その時の笑顔を忘れることができません。
一生涯忘れられない笑顔です。
びっくりしました。

どれほど孝進様がお父様から一言褒めてもらいたかったことでしょうか。
一言でいいのです。


お父様が、「孝進! これから食事にしよう。
食べて行きなさい」とおっしゃるのです。
わずかな人数で父母様と食事ができるのです。

ところが孝進様はまた髪をかきあげながら、
「お父様、私はもう食事しました」と。
実際は召し上がっていないのに。
「では、帰ります」。
「なんだ、もう帰るのか……。そうか、じゃあ、外で食事をするんだよ」。

その時の孝進様の表情は見たこともない、
それはもううれしくて仕方がないという表情でした。


皆さん、5歳、10歳、15歳と、お父さん、お母さんの愛が
とても必要な時期ではないでしょうか。
しかし真の家庭はそうではなかったのです。

お父様はアメリカで、そして韓国で、さらに全世界を巡回なさり、
そのたびに孝進様、國進様は、
「うちのお父さんは私たちと食事をする時間もないのか」
と思いながらお育ちになったのです。

ですから、たった一言のお父様の温かい言葉で、
泣きながら笑顔で喜ばれるのです。

私たち食口のために、どれほど真の家庭が
犠牲の道を歩まれたことでしょうか。
それを私は孝進様のその時の表情を通して深く感じました。


皆さん、真の家庭の犠牲は孝進様だけではないのです。
すべての子女様が歴史的なすべての蕩減を
背負ってこられた家庭なのです。

もし、万が一、真の家庭がこうなった、
ああなったという変なうわさが聞こえても、
一切耳を貸さないでください。

真の家庭は普通の家庭ではなく、
すべての時間を、全人類のため、統一教会のため、
そして私たち食口のために捧げられました。

真の子女様が立派に成長なさって、
90歳になられたお父様に親孝行していかれるよう、
私たちも共に侍っていきましょう。

「真の父母様に精誠を捧げよう」
<2011 春季 牧会者説教集>



孝進様の証しを通して、
真の子女様も親の愛を受けたいのだな、
そのことを感じます。
むしろ、御子女様だからこそ、
真の愛に敏感なのかとも思います。

さらには、真の御父母様も子女に愛を与えたいのです。
しかし、それ以上に私たちに愛を与えておられる
真の御父母様に心から感謝しなければならないと思います。

真のご家庭の犠牲の土台の上に
今の私たちがあるということを
決して忘れていけないと思いますし、
霊界におられる孝進様に
恥じない歩みをしないといけないと感じるのです。



文孝進様のみ言

時々 私は神様にこう言います。
「すべての人々に示せるようにしてください」と…
「何千の私がいれば世界を
駆け回って示せるのに」と…

お父様を見るたびに
私の心は痛みます。
私たち食口がまだまだ幼いからです。

お父様にすべてを捧げる
心情を持ちましょう。
それが皆さんの使命であり
到達すべきゴールなのです。




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posted by ten1ko2 at 10:06 | Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする