昨日、中断なき前進をされるお母様の話がありましたが、
今日は、金元弼先生の証しを通して、
お父様のかつての姿を紹介します。
1989年ドイツで語られたものです。
☆
休むことなく歩み続けられる先生
休むことなく歩み続けられる先生
文先生がカンベルグに到着されたのは、
韓国時間で朝の四時でした。
夜通しかかってここまで来られたのに、
それからすぐ三時間半もみ言を語ってくださいました。
ドイツ時間で夜中まで語られ、
翌朝四時にはまた話を始められました。
皆さんは先生が全く休まれなかったのを見ましたね。
先生は四十年以上、このような生活をしておられるのです。
先生の過去の生活は分からなくても、
年を取られた今でさえこうなのですから、
若い時の先生がどのような生活をされたか想像できるでしょう。
このように先生と過ごした二日間のみを見るのではなく、
これを通して先生の過去と未来はどうなのかを見るように努めましょう。
そうしなければ、皆さんは本当の意味で先生を理解することはできません。
☆
先生はリーダーや幹部だから、メンバーだからと区別されません。
先生の目にはみな同じなのです。
私たちは同じ時間に、同じ場所で、
真の親をはっきり見ることができました。
先生は平等に私たちの前に現れ、
同じみ言を語ってくださいました。
そして、同じくみ言を実践するようにと言われました。
ですから私と皆さんは何も違うところがありません。
例えば、私は実践せず、皆さんは実践したとするならば、
私と皆さんの位置が変わっていくでしょう。
私たちは同じみ言を聞きましたから、
お互いが助け合って共に実践しましょう。
☆
理だけでなく真心込めて語る
理だけでなく真心込めて語る
真の父母はどんなに私たちに尽くしてくださったことでしょうか。
先ほども一人の兄弟が言ったように、
先生に「少しはお休みください」とお願いしても、
「もっと話してあげたいことがいっぱいある」
と言って聞き入れられないのです。
先生は、私たちを他人として考えるのではなく、
子女として考えておられるので、
十年ぶりに会う子女に何でもしてあげたいと思われるのです。
尽くしたくてたまらない、話したくてたまらない、
そういう先生に、私たちは本当にこたえていかなくてはいけません。
☆
私たちは立派な話をしながらも、お互いに傷つけ合うことがあります。
それは、心から話してあげられないからです。
原理を語る場合も、頭ではなく心を通して話さないと、
相手に生命を与えることはできません。
先生が私たちに「皆さんには涙がない」と言われるのは、
そのことなのです。
☆
夫婦の間でも、涙なくして相手に意見してはいけません。
「これがみ旨の道ではないですか、これが神の伝統ではないですか」
と話す前に、心の中で「伝統を守り続けない限り、
この命はどうなるのか」と心配して、
涙ながらに語れるようでなければならないのです。
そういう心がない時には、話すのをやめてください。
心なくして話すならば、論争やけんかにしかなりません。
涙がないのが問題です。
☆
例えば、皆さんがその人のためを思って話をしたとしても、
相手が寂しく感じているように思う時には、
そのままにしてはいけないのです。
そこでいったん別れたとしても、
「神様、私は彼のことを思って話しました。
しかし、彼は私の心を理解できなかったようです。
どうぞ、私の本当の心を分かるように導いてください」と祈りなさい。
そして、一日たって、彼の心がまだ満足できないでいる時には、
もう一度話してあげることが大事です。
そして、喜ぶのを見るまで尽くして、
自分も安心しなければなりません。
☆
繰り返しますが、頭だけで話さないようにしましょう。
先生に倣って、私たちも心で話す努力をする時に、
先生が語られる心を理解することができるのです。
もし、「ためにする心」なくして話すなら、
それはみ言を利用することになるのです。
真の父母は、私たちの所に来る時は
何をあげようかと準備されるのです。
そのような心があるので、先生は休まれないで
私たちにみ言の恵みを与えてくださるのです。
このような恵みは、教会と国を代表して皆さんが受けたものです。
自分が受けた感動や恵みを自分のものにしながら、
そこに参加することができなかった人に分けてあげるようにしましょう。
1989年11月19日
ドイツ・カンベルグ修練所(欧州リーダー会議)
「真の父母を迎える心」
ドイツ・カンベルグ修練所(欧州リーダー会議)
「真の父母を迎える心」
☆
「頭だけで話さないように・・・」
心情を中心とした生活習慣を身につけないといけないですね。
「夫婦の間でも、涙なくして相手に意見してはいけません」
金元弼先生はこのように語られていますが、
家内に、涙を流して意見したことなんて、あったかな。。。
恥かしながら、そんなことも思いました。
夫婦は一番感情がぶつかる相手だと思います。
だからこそ、心情を中心とした授受作用を
意識していかないといけないと思います。
真の御父母様においても
お父様とお母様は愛の表現の仕方は違うので、
食口に対する接し方は違うのかも知れません。
心情を中心としていけば、
私なりの表現方法で相手に接することができると思います。
努力していきたいと思います。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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