神のために、善なることのために、
家庭を犠牲にすれば、
神がその家庭を守ってくださる
☆
家庭を犠牲にすれば、
神がその家庭を守ってくださる
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真の父母様の生き方は、まさしく神様が守らざるを得ない
生き方だといいます。
金元弼先生の信仰サプリ、今日からは
1987年ドイツで「主流の道における伝統」と題し、
草創期の貴重な証しをふんだんに盛りこんで語られたみ言を
何回かに分けて紹介します。
今日は
「すべてを捨てたとき神が守ってくださる」
という内容です。
☆
最初のころに導かれてきた人たちは、
長く深い信仰生活をしていた人々で、
いろいろな神体験をし、そればかりでなく、
いろいろな霊的役事をしてきた人たちでした。
病気を治したり、過去、現在を透視し、
未来を予言する人などいろいろです。
ですから彼らは、周りの人々から神のごとく侍られていました。
そんな彼らが主の来臨のお告げを受けたのですから、
今まで待ちに待っていたがゆえに、すべてを断ち切って、
いつまでもいつまでも先生から離れようとしなかったということは、
皆さんもよく理解できるでしょう。
☆
例えば、韓国の土着宗教を信じていた人で、
ある時、亡くなって他界していたその宗教の教祖が現れ、
「これからあなたは、私が導く新しい宗教の道を行きなさい」
と言われて、キリスト者になった人がいました。
彼女は、土着宗教を信じていたときに、
病気を治すなどいろいろの役事をしていたのです。
そしてキリスト教に入信し、
神のみ言は聖書に著わされているということで、
その神のみ言を読みたいのですが、文字が読めませんでした。
ところが神が彼女に現れて、
聖書の内容を一つ一つ導きながら言葉を教えたので、
彼女はそれが読めるようになったのです。
その方がまた導かれて、先生が再臨のメシヤだ
ということが本当に分かるようになったのですから、
すべてを捨てて、先生に侍っていくのが当然だったのです。
☆
ところが、そういう人たちがいろいろと迫害に遭うようになりました。
それは、キリスト教を指導している指導者たちには、
その神のお告げが理解できなかったからです。
このような人たちは非常に家庭で尊敬され、
教会で神のごとく侍られていた立場だったのですが、
家庭から迫害され、教会から迫害され、
行く所は先生の所しかなくなったのです。
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当時、先生が二十六歳のころでした。
また、とても素晴らしい牧師の家庭がありました。
その牧師の娘さんは結婚していて、
神からお告げを受け、先生に仕えるようになりました。
子供もあり、またご主人は非常に反宗教的で、
共産党の党員でもありました。
そういう中で、先生の所に来るので、
そのご主人は奥さんを愛しているがゆえに、
先生を殺してやると、いつも銃を所持して脅迫していました。
また親からも迫害を受ける、そんな中に神がお告げされるには、
「すべてを捨てて、み言を宣べ伝えなさい」ということだったのです。
☆
私たちはそういう人たちに、何とアドバイスしてあげればよいでしょうか。
今、私たちは、氏族復帰の恵みの時代を迎えていますので、
家族がそろってこの道を行くことを教えています。
しかし当時は、開拓の時代でした。
その時に、悩んで訪ねてきた食口たちに先生がアドバイスされたことで、
忘れられない一つのみ言があります。
☆
それは、
「神のために、善なることのために、
私たちが家庭を犠牲にして出て働くならば、
神がその家庭を守ってくださるでしょう」
ということです。
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神は、人間が神のためにあるとき、その人のためにあられる方なのです。
ですから、神のために自分の子供や家庭を犠牲にしたときに、
神はあなたを否定しても、その家庭を、
子供を守ってあげなければならなくなるというのです。
ところが、私たちが自分の子供のことを心配すると、
神は、「私が心配してあげなくても、
彼らが心配して見ているから助ける必要がない」ということになるのです。
そう考えてみますと、人が子供を見るのが安心でしょうか、
神が子供を見、家庭を守ってくださるのが安心でしょうか。
そのような話をされたとき、すぐに私は、
先生がそういう道を歩き、勝利されたので、
そう教えておられるのだと気づきました。
☆
み言を拝読させていただきながら、
改めて、「神様は親であり、
生きて働いておられる・・・」
そのことを強く実感しました。
多くの先輩たちが本当に苦労の道を行きました。
多くの犠牲の土台の上に、
今の私たちがあることを忘れてはならないと思います。
そして、先輩たちの苦労と犠牲の背後にも
神様の多くの祝福があることも、
後輩の身としてはありがたいことです。
お父様のみ言を私たち以上に噛みしめて歩んでこられたと思います。
今は大手を振って、氏族に向かえる時です。
神様も待ちに待ったこの時。。。
果敢に立ち向かっていきたいと思うのです。
次回に続きます。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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