2月10日、真の父母様の御聖誕と基元節を記念する
すべての行事を締めくくり、祝勝会があったということです。
2020年を控え、世界人類のため、神様のため
精誠を尽くしておられる真の父母様。
すでに、これからの3年間のための新たな出発をされています。
☆
8日間の日程は勝利しましたか。
皆さんの苦労をねぎらいたいと思います。
このたび、「孝情天一聖和苑」をつくります。
☆
人間はまず、母親の腹中で10ヵ月過ごします。
地上生活では100歳まで生きれば良いほうでしょう。
地上生活のあと、私たちが最後に行くべき所が天上天国です。
神様の創造がそのようになっています。
今まで人間始祖(の過ち)により、
誤った人類歴史がつづられてきました。
しかし、暗澹とした6000年の蕩減復帰摂理の歴史が、
真の父母様の勝利によって(終結し)、神様を解放し、
天の父母様が本来願われた夢を
成し遂げることのできる土台を築いたのです。
☆
世界の人類を思うなら、私たちは
さらに行くべき道を急がなければなりません。
一瞬たりとも休むことはできません。
今後、聖和文化が、人類が最後に願う夢となります。
本来、神様が創造されたこの美しい地球を、
人類はさらに豊かに生き生きとした姿で
生きるべきだったのですが、
堕落の結果、地球に危機が訪れました。
この限りある地球に74億の人類が、
それぞれ傷を付ければ見た目にも良くないでしょう。
地球を一つの体として考えれば、
あちこちに腫れ物ができているかのようです。
私は今後、この聖和文化を通して地球の美しさも守り、
人間の尊厳性(も守ります)。
☆
一人の人間として、
いかに責任を果たして逝ったのですか。
一言で言えば族譜です。
族譜を総括する機関、建物、園をつくります。
皆さんの未来を考えれば、ありがたいことでしょう。
それで私は、統一財団とグローバル財団を合併し、
その場所とどのように関係をもち、手続きを踏めばよいか、
みな研究させ、 報告を受けた上で
「始めましょう」と言いました。
そうなれば おそらく全世界の食口たちは
「自分が最後に行くべき所はここだ」
という夢をもつでしょう。
☆
先ほどUPF世界会長と韓国会長の報告を聞きましたが、
必ずこれをしなければなりません。
(本来)真のお父様のご在世時にすべきことでした。
それが天一国の民、天一国の勇士、
天一国の勇将として天一国の忠臣になる道です。
☆
摂理の春を迎えたと言いましたが、
春は本当に希望的です。
私たちの夢は、遠大に描けば描くほど
果てしなく広がっていきます。
2020年まで第一段階として、
私たちが選び取って責任を果たし、
全世界に向かって進んでいくべき道が残っています。
私たちはまた、全世界を救う春を迎えるのです。
2017年春、皆さんはどのような種を、皆さんの周りに、
皆さんの国に、世界に蒔きますか。
その種が、夏を経て、秋に期待したとおりの鮮やかで美しい、
次の1年を約束できる実として
成長するようにしなければなりません。
☆
その責任を果たすに当たり、
男性も女性もみな心を一つにしなければなりません。
「母の心」をもってなさなければならないのです。
全世界に起きている様々な問題も、
中心に真の父母様を迎えなければ、
何も解決されません。
そのことを知らせてあげるべきです。
教育しなければなりません。
天が願うとおりに働くことのできる
環境圏をつくってさしあげなければなりません。
私たちは一つになって、
そのみ旨を必ずや成し遂げてさしあげる、
天一国の誇らしい勇将になりましょう!
天地人真の父母様御聖誕および基元節記念行事祝勝会
天一国5年天暦1月14日(陽2.10)天正宮博物館
天一国5年天暦1月14日(陽2.10)天正宮博物館
☆
世界では様々な問題が起っています。
結局は人間的な力では解決できないのだと思います。
神様を知らない限り問題は解決できません。
そして、真の神様、天の父母様を御存知である、
真の御父母様を通さなければ、
全ての問題を解決できないのだと思います。
真の御父母様を正しく知っていただけるように、
これからも頑張っていきたいと思います。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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