2017年08月22日

苦痛との和睦、十字架との和睦?! お父様の場合  《李ヨハネ先生》和睦3



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李ヨハネ先生の「苦痛と和睦」

神様との和睦、人との和睦、そして今日は
苦痛・十字架との和睦を勝利されたお父様のお話、
「獄中で神の心情を相続された先生」です。


ところで、信仰の道を行きながら、ぶつかる苦痛には、
大きく分けて二つあります。

堕落性を脱いでサタンを分立するためにぶつかる苦痛と、
主体者に侍り、その事情に責任をもつためにぶつかる苦痛です。

私たちは、この二つの苦痛を克服し、勝利してこそ、神と和睦できるし、
私たち相互の間でも和睦することができるのです。



獄中で神の心情を相続された先生

先生は、この二つの苦痛に勝利され、
苦痛を通して神の心情を相続された方です。

先生は、サタンを屈伏させながら、神の事情に責任をもち、
神の願いをご自身の体と家庭に、
そしてこの地のすべての人類に実現させていかれる過程で、
極限的な苦痛を受けながらも、神の心情を体恤し、
多くの人をご自身の子女のように愛してこられました。

先生は、神のみ旨を成就するための、
重い苦痛の十字架を負ってこられながらも、
神の隠された心情を体恤しつつ、
苦痛の路程を通して、父母の愛を完成された方です。

苦痛の路程を契機として、
神の心情と愛を相続し、完成されたのです。


父母は、自分の子女に心を痛めながらも
子女たちを愛さなければならず、
子女が憎いといって簡単に始末することはできません。
これが正に父母の心情ではないでしょうか。

こういう一面を通して、私たちは、先生が今まで
ぶつかってこられた苦痛を、多少なりとも理解できると思います。

実際、子女をもつ父母たちは、
その子女に対して僕のようだといえます。

子女のいろいろな良くない点を知りながらも、
より素晴らしい子女に育てようという希望をもって、
その良くない点を取り除いてあげ、
愛して祝福してあげたいのが父母の心です。

これは、父母と子女の関係においてできるのであって、
他人同士では難しいことです。


今日の私たちも、過ぎし日の短い歳月を振り返ってみれば、
迫害と苦労の中で伝道したけれど、
伝道した人をどれほど大切に思ってきたでしょうか。

自分の血統よりも愛してきたでしょうか。
自分の親戚以上に愛したでしょうか。
一生懸命に伝道しておいて、自分の子女や
兄弟ほどには愛さなかったのではないでしょうか。
振り返って考えてみましょう。


血統的な因縁で苦痛にぶつかっても、神と関係を結べません。
他人の間柄でありながらも、その人の
苦痛の十字架を負って責任をもつようになる時に、
神の心情が相続されるようになっています。

先生は、北韓で獄中生活をする期間に、
神と切っても切れない関係を結び、
神の心情を相続されたのだと思います。

今まで先生に侍り従いながら、先生について久しく考えてきたことは
「先生はどのようにして
神が絶対的に信じることのできる方になったのだろうか。
どうやって神の愛を独占するようになったのか?」
ということです。

先生は、獄中生活の死のような場でも、
先生自身のためには一言も祈らず、
かえって神を慰労しつつ、「心配しないでください」と言われた、
その先生の心に神が慟哭されながら、
ご自身のすべての心情と愛を相続させたものと、私は思います。


このように、先生は人類の救いのための十字架を負って獄中生活をする、
その凄絶な死の場で神の心情を相続されたのですが、
私たちはどうでしょうか。

兄弟同士で仲が悪いのはどういう場ですか。
他人のために十字架を負うべき、正にその場で、
その十字架を負わずに苦痛を拒む時、兄弟の間が不和になり、
神の心情から遠い立場に立つようになるのです。

ですから、今や私たちはぶつかってくる苦痛を
神が与えたものと思わなければなりません。
嫌がらずに、責任をもつことができなければなりません。

神がご自身の心情を相続させるために与えるものとして、
理解しなければなりません。
神が私に苦痛を与えたのだと思って、責任をもとうとする時、
神の心情が相続されるということを知らなければなりません。


先生は獄中に入っていく時、どう考えられたでしょうか。
全人類に責任をもってイエス様が歩まれた道であり、
神が6000年間、不信する人類を率いていかれた道がこの道なので、
地獄の一番底に行ったとしても、このすべての死亡の荷を
私が負っていこうと考えながら行かれたことでしょう。

今日私たちも、困難な逆境に置かれる時、
この道は先生が行かれた道であり、
先輩たちがぶつかっていった道だと考えて、
その苦痛を貴重に思って価値視し、責任をもつようになる時、
神の心情が相続されると思います。


この苦痛の十字架を背負い切れれば、私たちは早く一体化します。
今日私たちの教会で、互いにこの苦痛の十字架に
責任をもとうとするなら、早く和睦できます。

そして、信仰の道において十字架を正しく負う時、
その十字架を通して神の心情が相続されるという原則を正しく知れば、
私たちは生活の中で、神の心情をたくさん体恤できるでしょう。

イエス様の路程や先生の路程で、
こういうことをはっきりと私たちに見せてくれました。



お父様はどんな状況でも、
神様とともに乗り越えていかれます。
苦痛の十字架をすべて感謝して、
神様を慰めていかれました。

私たちは、堕落人間なので、
与えられた環境に対して、
自分の感情で捉えてしまうことが多いですね。

真の父母様が通過して、
勝利していかれた心情圏を相続するためには、
置かれた状況を真の父母様なら、
どのように乗り越えていかれただろうか。。。
そのような立場で、自分の感情を乗り越え、
神様と共に越えていく者にならなければと思います。

続きます。





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*李ヨハネ先生のお名前について
李耀翰と書いて、イ・ヨハンというのが正式なお名前ですが、
日本では、李(リ)ヨハネ先生としてもお馴染みです。
ご父母様が、文鮮明(ムン ソンミョン) 韓鶴子(ハン ハクジャ)であるように
元老の方々のお名前についても、日本語読みではなく韓国語読みに変えるべきであるかとは思うのですが、
このブログでは、シリーズとなった《李ヨハネ先生のベスト・アンサー》で紹介するに当たり、
親しみを込めて李ヨハネ先生とお呼びしています。



※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
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posted by ten1ko2 at 08:30 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月21日

嫌な人との和睦、大切な人との和睦… なぜできないか?! 《李ヨハネ先生》和睦2



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李ヨハネ先生の講話「苦痛と和睦」の2回目。
先回は、まず「神様との和睦」が大切というお話でした。
さて、今日は・・・



人との和睦


私たちの教会においても、発展を妨げる大きな要因の一つになっているのが、
人との和の問題だと思います。
言い換えれば、「和睦の問題」なのです。

この和睦の問題は、大きく二つに分けられます。
第一に、教会の食口同士の関係および、
教会食口と教会の責任者との関係で生じる和睦の問題です。

すなわち、カイン的立場にいる人とアベル的立場にいる人との和睦の問題であり、
第二には、教会の責任者たる人の夫婦の間での和睦の問題です。


カインとアベルの不和ゆえに、歴史が今まで延長されてきたことを
私たちはよく知っています。

歴史的に問題となったことが、今日、私たちにも問題視されています。
また家庭を中心とした摂理は、私たちの時代になって初めて始まりましたが、
そこにおいても問題となりました。


しかし、ともかくカインとアベルの和睦であれ、
教会の責任者たる人の夫婦間の和睦であれ、その原理は同じなのです。
和睦は神の真の子女の立場でのみ可能なのです。

なぜなら、心情が成長し、神の事情を
たくさん感じることができてこそ、和睦できる人になるからです。

神の事情を感じられず、自分の事情ばかりを中心にしては和睦できません。
自分の事情を中心としては和睦できないというのは、
和睦において最も基本であり、重大な原則だといえましょう。


また、和睦しようとするなら、憎い人があってはなりません。
憎い人も包容し、抱えることができなければならないというのです。
好き嫌いがあってはなりません。

人を哀れむことのできる人、「私の誓い」にもあるように
「平和と幸福と自由と理想をもたらす」ことのできる人は、
いかにレベルの高い人でしょうか。

こういう人になってこそ、人と和睦できるのです。


今の時代は、蕩減復帰がすっかり終わり、和睦した私たちの姿を、
実際に世の中に見せる時だといえるでしょう。

私たちが生きている時代は、それ以前の時代とは違って、
摂理の結実期だからです。

この時代に問題になるのは、私たちの信仰が
どういう感情を備えた信仰なのか、周囲にいる人をして、
信じたいという思いを生じさせる信仰なのかどうかです。

教会の責任者ならば、今や口で語る時代は終わり、
周辺にどういう影響を与えているのか、
これが問題となる時代になったということを知らなければなりません。

「信仰の実体」、「愛の実体」になって、周辺に影響を与え、
周辺の人々をして信仰せざるをえないようにできる、
真なる生命の繁殖力をもっていなければならない時代なのです。


文先生はこのような影響力をもっておられる方です。
外見は私たちと同じ人間ですが、先生は口先で語るだけの方ではなく、
「み言の実体」であるということが、私たちと違います。

心の世界を動かすことのできる原動力を、ご自身の内的世界にもった方です。
この原動力は、先生が神を絶対視し、神も先生を絶対視する
土台の上で始まるものだと、私たちは理解しています。

では、先生はどのようにしてそういう位置まで行かれたのでしょうか。
苦痛を克服し、勝利されたからだと、一言でいうことができます。
先生は生きて十字架の苦痛を勝利された方です。


私たちの心を動かすことができる愛と
和睦の原動力を所有された方が先生なのですが、
今日、私たちはなぜ和睦できないのでしょうか。

自分に損になるからできない、苦しいからできない、
自分に害になるからできない、その人と授受しても
自分に益がないからできない……。

こういうことが、家庭や教会で和睦できない理由なのです。
これは正に、苦痛の十字架を負えないということです。

ですから、苦痛の十字架をどう扱うのかというのが、私たちの問題になります。



以前も書いたと思いましたが、
私だけの信仰なら、何の問題もなく、
神様と真の父母様を慕っていけるでしょう。

しかし、問題なのは、アベル・カインの関係があり、
ともに歩む兄弟姉妹がいる、それが「人との和睦」なのだと思います。

組織を外から見て批判する人がいます。
もちろんその人が指摘するように、
足りない部分はたくさんあるかもしれません。

しかし、その中で信仰をしっかり持つためにも、
苦痛の十字架を負っていくことなのだと思います。

具体的なことは続きます。。。






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2017年08月20日

21日間で210教会を巡回、日本に愛の旋風!! 8人の特使を慰労《真のお母様のみ言》



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記憶に新しい8名の先生方の日本巡回。
各地で感動の集会が持たれたことでしょう。

週刊ブリーフィングよると
8名の天一国世界特別巡回師たちは、
21日間に渡り、210の教会で特別集会を導き、
3時間から6時間に渡る集会を一日3つの教会で行うなど、
年齢と体力を超越する強行軍の中で、
全2万1千名以上の食口たちに
真の父母様の愛と心情を伝えてくださったということです。

お母様の名代として使命を果たし帰国された
8名の先生たちに語られた
お母様のみ言を紹介します。


ご苦労でした。
聖和節まで、あと20日ほどですか?

神様の夢は何でしょうか?

失った人類を探し求める、困難で、
痛切な言葉では言い表せない裏切りに遭いながらも、
それでもご自身が原則を立てておかれたので、
その原則を成就するために
今まで蕩減復帰摂理歴史、救援摂理を
してこられたのではないですか?

その父母様の夢を
なして差し上げる時になったのです。

ですから、今、地上にいる間に、
私は天の父母様の夢、人類の願い!地上天国が
いかなるものであるかを
見せてあげなければなりません。

天苑団地を通して、私は今、
「天の父母様に侍りながら暮らす世界はこうである!」
ということを見せてあげようと思います。

神様の夢をなして差し上げるためです。
これから、私が地上にいる間に
なされなければなりません。

私がタイででも、アメリカででも
講演のときに話す言葉があります。

皆さんは、「みな平和を願い、
自由であることを願っている」と言います。
「自由・平等・平和・統一!
実現されます。実現されます」と話します。

(それは)遠くにあるのではありません。
実践しており、
父母様が一緒にいらっしゃるために可能なのです。


真の父母様招請天一国世界特別巡回師午餐会
天一国5年天暦6月23日(陽8.14)天正宮博物館


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真の父母様が地上におられる、今この時が
どれほど重要であるのか、
何度も心に刻まないといけないと思います。

いつまでも真のお母様が
最前線で歩める期間がずっと続くわけではありません。
振り返って、後悔しないように、
お母様が神様の夢を果たすために歩んでおられるように、
お母様の前に孝情の心情で歩んでいきたいと思うのです。





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posted by ten1ko2 at 08:25 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする