李ヨハネ先生のみ言。
「苦痛の中での『信従』」より
「ある人の驚くべき復活体験」を紹介します。
☆
少し前に、ある人がとても驚くべき話をしてくれました。
自分の妻が練炭のガス中毒で意識不明となり、
この世を去るというので、あまりにもぼう然となり、
「永遠の祝福であるのにこうなりえるのだろうか」
と思いつつ、数時間、意識不明の妻の顔をのぞき込んでいたら、
自分の意識が混沌となり、ふらっとしたそうです。
ついに完全に息を引き取った妻の死体の前で、
本当に去って行くのかと思うと、一層意識が混沌としたというのです。
その時、その人は先生の苦痛の事情に通じながら、
自分の心が復活したそうです。
「先生は私を苦痛の中から救い出す方なんだなあ」と、
本当に先生は偉大な方だと思ったというのです。
☆
耐えがたい苦痛の中で先生の偉大さを悟ったというのは、
驚くべき経験です。
そういう逆境の中で天を中心とした事情と通じるというのは、
当面してみない人には想像もできないことです。
自分の苦痛なんかは何でもなかったそうです。
先生の苦痛が感じられ、それに比べれば何でもないことで、
自分はふらっとして倒れたというのです。
神の苦痛が私たちの苦痛と通じてこそ、
その苦痛という圏内から逃れるようになるのです。
その時、感じられる喜びは何に比べることができましょうか。
☆
夫人の顔が硬くなりつつあるのに、
その人は先生の苦痛とぶつかった瞬間から、
心が悲しみから解放され、神の愛を体験しました。
瞬間的にこの人は妻の死亡を経て復活を体験したのです。
きょう、私がはっきり言いたいことは、
自分の苦痛と神の苦痛が通じる時こそ、
愛によって復活するということです。
全人類の苦痛を合わせても比較にならない神の苦痛だからです。
苦痛をたくさん受けた人こそ、
他の人の荷を引き受けることができます。
☆
子の悲しみは母の懐で解決されるのと同様に、
人間の苦痛は神の苦痛によって解決されるのです。
神の苦痛を悟り、自分の苦痛の領域から脱して
愛の世界に入っていくこと、これが本当の復活です。
自分自らが苦痛の中で見いだした愛だからです。
苦痛の中で神の愛を探し出した人だからです。
これは自分自らが掘り出していってこそ、自分のものになるので、
私たちが行く道は本当に険しい道です。
☆
ヨハネ先生が語られているように、
「自分の苦痛と神の苦痛が通じる時こそ、愛によって復活する」
これは本当に真理であると思います。
また、これは頭で理解するということよりも
心情で感じていく世界なのだと思います。
ですから、原理というものは、もちろん知的に理解するものでもありますが、
どんな人でも受け入れることができるのは、心情に通じるからです。
そして、神様は目には見えませんが、
その心情に完全に通じている方、
すなわち真の父母様に通じることを通して、
私の心情は解放されるのです。
真のお父様に心から感謝いたします。
真のお母様に心から感謝いたします。
続きます。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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