李ヨハネ先生の講話「苦痛と和睦」の2回目。
先回は、まず「神様との和睦」が大切というお話でした。
さて、今日は・・・
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人との和睦
人との和睦
私たちの教会においても、発展を妨げる大きな要因の一つになっているのが、
人との和の問題だと思います。
言い換えれば、「和睦の問題」なのです。
この和睦の問題は、大きく二つに分けられます。
第一に、教会の食口同士の関係および、
教会食口と教会の責任者との関係で生じる和睦の問題です。
すなわち、カイン的立場にいる人とアベル的立場にいる人との和睦の問題であり、
第二には、教会の責任者たる人の夫婦の間での和睦の問題です。
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カインとアベルの不和ゆえに、歴史が今まで延長されてきたことを
私たちはよく知っています。
歴史的に問題となったことが、今日、私たちにも問題視されています。
また家庭を中心とした摂理は、私たちの時代になって初めて始まりましたが、
そこにおいても問題となりました。
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しかし、ともかくカインとアベルの和睦であれ、
教会の責任者たる人の夫婦間の和睦であれ、その原理は同じなのです。
和睦は神の真の子女の立場でのみ可能なのです。
なぜなら、心情が成長し、神の事情を
たくさん感じることができてこそ、和睦できる人になるからです。
神の事情を感じられず、自分の事情ばかりを中心にしては和睦できません。
自分の事情を中心としては和睦できないというのは、
和睦において最も基本であり、重大な原則だといえましょう。
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また、和睦しようとするなら、憎い人があってはなりません。
憎い人も包容し、抱えることができなければならないというのです。
好き嫌いがあってはなりません。
人を哀れむことのできる人、「私の誓い」にもあるように
「平和と幸福と自由と理想をもたらす」ことのできる人は、
いかにレベルの高い人でしょうか。
こういう人になってこそ、人と和睦できるのです。
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今の時代は、蕩減復帰がすっかり終わり、和睦した私たちの姿を、
実際に世の中に見せる時だといえるでしょう。
私たちが生きている時代は、それ以前の時代とは違って、
摂理の結実期だからです。
この時代に問題になるのは、私たちの信仰が
どういう感情を備えた信仰なのか、周囲にいる人をして、
信じたいという思いを生じさせる信仰なのかどうかです。
教会の責任者ならば、今や口で語る時代は終わり、
周辺にどういう影響を与えているのか、
これが問題となる時代になったということを知らなければなりません。
「信仰の実体」、「愛の実体」になって、周辺に影響を与え、
周辺の人々をして信仰せざるをえないようにできる、
真なる生命の繁殖力をもっていなければならない時代なのです。
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文先生はこのような影響力をもっておられる方です。
外見は私たちと同じ人間ですが、先生は口先で語るだけの方ではなく、
「み言の実体」であるということが、私たちと違います。
心の世界を動かすことのできる原動力を、ご自身の内的世界にもった方です。
この原動力は、先生が神を絶対視し、神も先生を絶対視する
土台の上で始まるものだと、私たちは理解しています。
では、先生はどのようにしてそういう位置まで行かれたのでしょうか。
苦痛を克服し、勝利されたからだと、一言でいうことができます。
先生は生きて十字架の苦痛を勝利された方です。
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私たちの心を動かすことができる愛と
和睦の原動力を所有された方が先生なのですが、
今日、私たちはなぜ和睦できないのでしょうか。
自分に損になるからできない、苦しいからできない、
自分に害になるからできない、その人と授受しても
自分に益がないからできない……。
こういうことが、家庭や教会で和睦できない理由なのです。
これは正に、苦痛の十字架を負えないということです。
ですから、苦痛の十字架をどう扱うのかというのが、私たちの問題になります。
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以前も書いたと思いましたが、
私だけの信仰なら、何の問題もなく、
神様と真の父母様を慕っていけるでしょう。
しかし、問題なのは、アベル・カインの関係があり、
ともに歩む兄弟姉妹がいる、それが「人との和睦」なのだと思います。
組織を外から見て批判する人がいます。
もちろんその人が指摘するように、
足りない部分はたくさんあるかもしれません。
しかし、その中で信仰をしっかり持つためにも、
苦痛の十字架を負っていくことなのだと思います。
具体的なことは続きます。。。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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