2017年09月21日

生きて帰れないかもしれない! 命がけの北朝鮮入り?! 《秘書室長の証し》2



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鄭元周(チョンウォンジュ)総裁秘書室長の証し。
今回は、真の父母様が、北朝鮮に
劇的な訪問をした時の証しです。


もう一つの証しを紹介します。

1990年12月のことです。
当時、真の父母様は、ハワイの地で
特別精誠を捧げておられました。

お父様は、「これから一週間、とても寒いところに行くので、
冬服を準備するように」と静かにおっしゃられ
ハワイで血と汗と涙の精誠を尽くされました。

お父様が「寒いところ」と言われたのは、
北朝鮮の平壌に行くことであることがわかりました。
私は、どのような予定なのか、全く知らぬまま
父母様とともに出発しました。

北京に到着し、北朝鮮から送られてきた専用機で、
出発するその日の朝、お父様はお母様の手を握り、
特別な祈祷を捧げられました。
お父様は命がけの北朝鮮訪問について
祈祷されたのです。

「神様!
今回、北朝鮮へ入ったら、
私たちは生きて帰ってこられるかどうかわかりません」


横で、そのお祈りを聞きながら、
本当に怖かったのを覚えています。

生きて帰ることができないかもしれない。。。
命がけの北朝鮮訪問をお父様は決断され、
愛するお母様の手を握り、専用機にお乗りになりました。

平壌に到着したこの日、
万寿台人民大会堂でみ言を語られました。

実は、北朝鮮からは、神様や宗教について
絶対に口に出さないように言われていました。
しかし、誰がお父様を阻むことができるでしょうか。
お父様はその場で、神様について、また主体思想について述べ、
「主体思想では、南北は統一できない!」と。
そして、神様のこと、頭翼思想について、語られました。

そこに参加していた随行員みな、
「あぁ、もうダメだ。
私たちは終わった・・」
そう思い、震えていました。

しかし、たった一人お母様は、
お父様の手を握られながら、
「お父様。
本当に良くおっしゃられましたね」
そのように激励されながら、
背中をたたかれたのでした。


私は、真のお母様が真のお父様に対して、
絶対信仰と絶対愛で侍っていかれる生活を
間近で、見てきました。

特に、真のお父様が聖和された後、
摂理の重荷を両肩に背負いながら、
「命が尽きるまでに、天一国を必ずこの地に安着させます」
とおっしゃられ、お体に無理に無理を重ねられ、
『中断なき前進』を続けていらっしゃる、真のお母様の生涯は、
このような天の父母様に対して侍る生涯そのものです。

3年間、侍墓(シミョ)精誠を捧げ、
孝情を捧げて、全世界の希望になることを願われる、
お母様の生涯は、私たちが歩まなけばならない、
侍る精誠の見本だと思います。

(文責:ten1ko2)



「南北統一は、真の愛でしなければならない」
そのように語られていた真のお父様。
当然、主体思想では統一できないし、
神様を中心にしなければならない、
ですから、堂々と神様のことを宣布された真のお父様でした。

そして、お母様は、ただお父様の横に
座っておられる方ではありませんでした。
お父様と全く同じ心情圏でおられたのです。
ですから、「お父様、よくおっしゃられました」
と激励の言葉をかけられたのだと思います。

今は、お母様が最前線に立っておられます。
以前から変わらない心情を持たれているがゆえに
『中断なき前進』と決意されているのだと感じます。

お父様もお母様も本当に、
生きた神様に侍っておられるのです。

明日、もう一回続きます。





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posted by ten1ko2 at 13:09 | Comment(0) | 父母様の路程 生活の証し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月20日

子女様より天を優先しなければならない! その時父母様は?! 《秘書室長の証し》1



お母様と子女様.jpg


5周年聖和祝祭の時に、
2017 天一国指導者総会がありました。

鄭元周(チョンウォンジュ) 総裁秘書室長が
貴重な証しをされています。
3回に分けて、紹介します。


今日は、皆さんと共に、
「侍る」ということについて、考えてみたいと思います。
なぜなら、天一国は、天の父母様、真の父母様に「侍る」
天宙大家族を意味することだからです。

それでは皆さん、侍るとは何でしょうか?
私は、光栄にも一生を通じて侍らせていただいています。

しかし、正直に告白しますと、
まだ、侍るということをよく知らないのです。
なぜなら、侍るというのは、侍る主体でなく、
侍る対象のためにするからなのです。

たとえば、両親に対して、自分としては、
良く侍ったと思ったとしても、
侍る対象である両親にとって、迷惑であれば、
良く侍ったとは言えないのではないでしょうか?


侍ること、その心持ちと姿勢を
実は、真の父母様から学びました。

様々な困難を乗り越えてきたことも、すべて、
真の父母様が天の父母様に対し、侍ってこられた伝統、
孝情の伝統を学びました。

さらには、天の父母様を解放して、
失った父母の位置を復帰して差し上げ、
死亡圏で苦しんでいる人類を天の父母様に戻していく、
そのために骨がきしみ肉が震える苦難に打ち勝ち、
父母を失った孤児の身に陥った人類を導き、
世界救援の道を歩んでこられた真の父母様の
犠牲の道を見てきました。


ここで、証しを紹介したいと思います。

真のお母様がある子女様のために
学校に行かなければならないことがありました。
「両親のうちどちらか一人は必ず来るように」
そのように、数日前に学校の先生から言われていました。

そして、学校に行く日の早朝、
お父様がお母様に次のように言われたのです。
「今日、天の摂理のため、南米にいかなければならない。
オンマ、荷造りをして、早く行こう」


その時、お母様はお父様に、静かに事情を伝えました。
「今日は、学校に行く事情があるので、午後に飛行機で行きます」

ところが、お父様は人情と天情について、
また、人倫と天倫についてみ言を語られました。
そして、お父様は、強い口調で語られたのです。

「子供のことはほかの人に任せて!
天の大事のために南米に行かないといけないんだ」


聞いている私はとても胸が痛み、
そして、お母様の表情を見ました。
すると、お母様は涙を胸に鎮(しず)めて
表情を一つも変えずに、荷造りをして、
お父様と一緒に南米に向かわれたのでした。

(文責:te1ko2



真の父母様は、天のみ旨、摂理を優先させるべく、
真の子女様を犠牲にせざるを得ない、
そんな道を歩まれました。
今回の証しもそのうちの一つだと思います。

今、お母様においても、
真の子女様との関係の中で、
複雑な問題が生じています。

そこだけに意識と心情を投入されれば、
解決できる内容もあるかもしれません。
しかし、何よりも天を愛し、み旨を愛しておられるので、
御子女様のこと以上に私たちを愛し、
導いてくださっておられます。

そして、お母様は何の思いもないのではなく、
『涙を胸に鎮めて』歩まれていることを
私たちは忘れてはいけないと思います。

明日に続きます。




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posted by ten1ko2 at 10:10 | Comment(0) | 父母様の路程 生活の証し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月19日

自分と家庭のことをしつつ、隣の人に家庭完成させてあげる?! 《金元弼先生》天国4



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金元弼(ウォンピル)先生の講話、
今日は『天国創建のために』の4回目、
「他の人を救うために」です。


子供はみな、父母から学びますから、子供に問題があれば、
結局、父母に問題があるということになるのです。
父母が苦しみ、いろいろ解決できない問題があれば、
必ず、子女がそれで苦しみます。

子女にそういう苦痛を与えない父母になるためには、
どうしたらいいかということを考えなければなりません。


それは、強制的にやる方法もありますし、
何とかして説得してやる方法もありますが、
とにかく祝福家庭はすべて、神が願う家庭として
成長するようにしていかなければだめなのです。

ですから「死ね」と言うのではなく、
「生きながらやりなさい」と言うのです。

家庭生活をしながら、神のみ旨をやるように、ということです。
この調和が難しいのです。

心情的に幼いと、この調和ができないのです。


ある人は、一回に二つの仕事をすると、
頭がこんがらがって何もできないという人がいます。
これと同じです。

自分が家庭生活をしながらみ旨をやるという、
二つの仕事を一緒にしなければだめです。
そういう訓練をしなければなりません。

ですから私たちは自分のことを一生懸命にやるだけで
良いとは言えないのです。

自分のことをやるのは当たり前のことであって、
次に自分の隣の人を生かすことまでしないと、
責任を全うしたとは言えないのです。


先生が今までやってこられた、先生個人として完成するということ、
それはもちろん最小の目標です。

そして、先生が家庭を完成させるということも、それが最終の目標ではないのです。
個人を完成し、家庭を完成する目標は、
結局、世界の人々を救うことが目標です。

自分の個性完成、自分の家庭完成、これはまだ易しいのです。
しかし、いかにして他の人を完成させるか、これはもっと難しいことです。

自分のことは自分でやれるからいいけれども、
他の人のことは自分でやれないのです。
ですから助けてあげて、その人ができるようにしなければなりません。
他の人を完成させて、他の家庭を完成させるようにすること、
これは最も難しいのです。


だからこそ先生は、それをまたしてこられたわけなのです。
私たちも同じです。

自分の完成だけが問題ではなくて、家庭完成をしながら、
隣の人をいかにして個人完成させ、家庭完成させるかです。
これをやって初めて、私たちの使命は全うされるのです。


私たちがみ言を語るのも、説教をするのも、すべてそのためです。
人に聞かせて、その人がそのようにするためにやるのです。

このように、人を生かすことが神の願いです。
神が私たちを救ったのも、私たち個人の救いが目的ではないのです。
私たちを通して、次の人を救うことが目的なのです。
私たちはたいていそれを忘れているのです。

キリスト教もみな、自分だけの完成、個人の救援で終わりです。
しかし私たちは、隣の人を導くことがいかに難しいかを知って、
それをやらなければいけません。
これをやって初めて私たちは、
自分の目的、目標、責任分担が完遂されるというのです。

ですから模範を示すことが責任分担です。
模範を示しながら、他の人がそれについて行けるようにすることです。

その両方をして初めて、責任を全うできるというのです。
これをはっきり知っておくべきです。

天国創建のために 
1986年4月4〜7日 
ドイツ・カンベルグ修練所(日本人修練会)



私たちの団体は、世界基督教統一神霊協会から、
世界平和統一家庭連合に名称変更しました。

ただ名称を変えただけでなく、
私たち自身も意識と行動を
はっきりと変えないといけない立場です。

私の家庭完成は、もちろんのこと、
伝道する人たちに対して、
家庭完成を成していくこと。。。

昔から言われてきたことではありますが、
今は、本当にそういう時代であることを
はっきりと認識していかないといけないのだと思います。

続きます。




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