可知講師のみ言、続編です。
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親が最後に選ぶ選択の道
親が最後に選ぶ選択の道
弟子たちが、如何に愚かな者たちだからといって、
統一教会を滅ぼして、
もう一度始めからやり直すことは出来ません。
そこでその弟子たちに、心底から自覚させ、
決意させ、勝利させるために、
親にとって最後に残された選択の道は
一つしかありませんでした。
食口たちに当てた手紙より(1965.6.30)
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“親の心、子知らず”という言葉があります。
また「親を養わんと欲すれば、親いまさず」
(親に尽くし得なかったことを、今してあげたいと思っても、
親はもうこの世にいない)(『小学』外篇)という言葉があります。
御言にも次のような御言がありました。
自分たちを育てておいて霊界に行った
父母を考えるとき、
一生の間信じることができずに親不孝した、
その親不孝に対する悔い改めの心を
忘れることができないのです。
(2006.1.1)
親が子のために生きてあらゆることを教えても
子が悟らなければ、
親が自らを祭物にし、その死によって悔い改めさせ、
子に悟らせて勝利させるしかない、と。
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真の御父様は2012年4月27日の天正宮の訓読会で、
以下のように指示されました。
このままでは誰一人、『基元節』に
天の前へ連れて入ることのできる人がいない。
全員が40日断食をしてでも、
これまでの歩みを反省し、
悔い改めて、30日原理本体論特別教育に参加し、
氏族的メシヤを勝利して
『基元節』を迎えなければならない。
過去のすべての事は問わない。
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その後、自らの肉身を祭物とするかのように、
真の御父様は、御自身を極限に追いやるような日々を続けていかれました。
訓読会が延々と続き、食事もとらず、
時には9時間、13時間半と続きました。
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真のお母様も、後日、次のように語っておられます。
お父様は元来とても健康なお体で
お生まれになられたため、
管理だけでもしっかりされれば
もっと長く生きることが出来たのですが、
最近数年間は一日を千年の如く感じられると語られながら
大変お忙しく動かれました。
…ある時は私の身体の調子が悪くて、
ついて行くことが出来ませんと
お伝えしたこともあります。
そうしたらご自身お一人で行かれると言われました。
…そのように無理をする生活を
継続して来られました。
(2012.9.23)
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真の御父様は風邪をこじらせて肺炎となり、
かなり咳きこんでおられたため、真のお母様の説得によって、
2012年8月3日に江南のカトリック大学聖母病院に入院されました。
しかし真の御父様は、「何も出来ないここは牢獄だ!」と言われるので、
静かに静養して動かない事を条件に、12日ごろ、
真のお母様が真の御父様を天正宮に戻されました。
しかしその車の中で「今から巨文島に行かなければならない」
「飛行機はどこだ!」等、叫んでおられました。
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お母様のみ言です。
8月13日は太陽の日差しが非常に強かったのです。
にも拘らずその痛いほどの日差しを受けられながらも、
一抱えではきかないほどの大きな
酸素ボンベを持って回らなければならない立場で
あることを御存知でありながら、
しきりに見て回るとおっしゃったのです。
・・そして私の手を掴み
「オンマ、ありがとう!オンマ、よろしく頼む!」
とも語られました。
このようにされたのは何を意味するのでしょうか?
時々御言の中で
「私は行く時になった。私が行く時を知っている」など、
このようなみ言を数多く語られたのですが、
最後にそのような準備をされた期間であったことは
間違いありませんでした。
…少し休んで下さいとお勧めすると
「オンマの膝で横になりたい」と言われながら、
うたた寝をされたりもしました。
健康であられた時は一度もされなかった
そのような行動を、近頃はたくさんされました。
一生涯を通じて誰よりも強く生きてこられた
お父様でしたが、お体が大変になられてからは
子供がお母さんを必要として頼ってくるように、
いつも私の側に近くにいたいと言われました
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天正宮に戻られても、真の御父様は無理をされ、
再び悪化したため清心病院を経て聖母病院に再び移られました。
病院では治療に苦痛が伴うため、睡眠治療を続けておられましたが、
進展が見られず、環境が整っている清心病院に移動されました。
そして、9月3日、お母様、子女様たちに看取られながら
静かに聖和されていかれました。
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「親の心、子知らず」・・・
わたしも、子供たちが時には言うことを聞かず、
不甲斐ない思いになるときがありますが、
そういうときほど、真の父母様が
私たちをどう思われているのか、
そのことを思い訪ねて、胸が苦しくなることがあります。
真の父母様はどこまでもどこまでも、
私たちのことを子供として、見続けておられるのです。
お父様の歩みもまさにそうであり、
そして、霊界に行かれても、全く同じ心情圏で、
見つめておられることが感謝でなりません。
父母様の深い愛の中に生かされている私であることを
改めて感じるのです。
あと、一日続きます。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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